満月の語り場~Grand Mother Moon~に参加して
2021年3月30日にクローズド(お誘いを受けた人だけ)のジェンダーについて語る会に参加しました。
語る会、と書いたけれど、タイトル(そして会の名前)通り、「語り場(語る場)」で、人は話すことで、それが受けとめられることで、そしてそこに共鳴・共振が起きていることが感じられることで安心・安堵するのだ、ということをしみじみと感じました。
安心するけれど、それは最低限の安心で、安心しきれるわけではありません。そうではあるものの、「私にも似た経験があります」「私の経験はこうでした」と話せるだけで、受けとめられたと感じるだけで、ひとりじゃない、怖くない(まだ怖いのだけれど)、と安堵できる、ことを体感しました。
2時間半という短い時間だったこともあり、私自身は、自分の体験をシェアしなかったのだけれど、参加していた人と共有している体験もあり、そのときの体感をありありと感じながら、話している人にとってはどんな体験だったのだろう、と想像しながら、味わいながらその場にいた、そんな時間でした。
そして、会が終わり、感じたのが冒頭のしみじみと感じたことでした。
会では、だからどうする、という話が出たわけでも、何かが解決したわけでもありません。
そして、私にとっては、その、話すだけ、その場にいるだけ、というのがよかったんだな、と気づきました。
ともに嘆く人がいる、大切なことがあるからこそ嘆く、というのを味わう時間を持てたことから、とても大きなインパクトを受け取りました。
語り場、の大切さ、必要性をひしひしと感じました。語ることに意味がある。どっちがいいとか、知っている、とかではなく。
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これだけだとなんのこっちゃ?だと思うのと、私の振り返りメモを作りつつ、せっかくこのnoteを読んでくれた人に、なんらかのお土産(笑)を差し出してみたいので、断片的でやっぱり意味がわからないかもしれないけれど、私のメモと、この語り場以前に学んだこと、わたしが考えたことなどを追加します。
□ 女性が男性をケアするロール(役割)をする
女性が自然にやっていることもあるし、男性が求めることもある。
どちらも無自覚。
男性は女性のnoを受け取らない(これはMiki Kashtanさんから学んだ)
□ 女性が女性をケア、または女性が自分をケア、はあまりない
□ 声を上げると他の女性が元気づけられる
「見てるよ」「応援してるよ」「私もそう感じてる」
「勇気がいることを、代わりに言ってくれてありがとう」
「フェイスブック等の『いいね!』」でも構わない、
女性が女性を元気づけ合える。
□ 「ジェンダーの話をすると痛い目にあうからなー」という男性には、
「そうだよ、だから気をつけて(配慮して)話して」という
(私に言わせれば、それは女性がそれ以上の痛い目にあっているから。
とはいえ、男性がラクしているとかではなく、男性も痛い目にあって
いる。人々を分断したい人にとっては、男性と女性のどちらにも痛い
目にあわせつつ、男性と女性でも誰でも構わずいがみ合うのが
好都合。だれもが協力するようになると、現行システム、上下関係、
懲罰的世界観が成り立たなくなる)
□ 自分がランクが高いところにいるときにはそれに気づかない。
「対等に」という時には、そう言っている人がランクが高いことが多い。
◯ 自分たちのpowerに気づき、うまく使う
☓ 偉そうでごめんなさい
□ 「自分が自然とつながっている」という感覚を持つ、持つ機会を持つ
□ 痛みの連鎖、痛みのケア
話す、聴くことで少しは癒やされるのでは?
*ここで書いているロールとランクという言葉は、プロセスワーク(ワールドワークとも呼ばれています)で使われる用語の意味です。用語やプロセスワークに関しては、以下の動画を皮切りに色々みてみてください(私もまだ本を読んで動画を見て得ているくらいの知識です)。
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