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聖者と 天才数学者・岡潔

岡潔(おかきよし)と言えば1901年に生まれた、日本が誇る天才数学者であることは、ご存じの方も多いと思います。

どれほど天才だったかというと、欧米、特にフランスの数学界隈では当時、「岡潔は一人ではなく、OKA・KIYOSHIというグループがあって、秀でた数学者たちが、束になって研究しているのではないか」と噂になっていたほどだそうです。

ちなみに京大時代、湯川秀樹や朝永振一郎も、岡潔の講義を受けていたとか。

2018年2月には、妻・岡みちさんの人生についてのドラマが放送され、話題にもなりました。

そんな岡潔ですが、天才にありがちな奇行でも知られています。

細かい内容はネットやyoutubeなどにも沢山出ていますが、例をあげると…

  • スーツのネクタイや和服の帯を締めず、スーツをダブダブに着用していた。

  • 晴れた日でもゴム長靴を履いていた。

  • 数学の演習中に考え出すと、長時間微動だにしなかった。

  • 広島時代、授業がデタラメすぎて学生からクレーム。

  • 電柱に何時間も石を投げ続けた。

  • タバコとコーヒーが大好きで、食事もせずに思索にふけった。

  • いいアイデアが浮かぶと散歩中でも道端にしゃがみこんで石や木を拾い、難しい数式を描き込んで計算を始める。

まぁ、このあたりなら、まだ天才の片鱗としての奇行とも言えますね。

しかし、情緒不安定が進み、中学生への暴力事件を起こし、精神が崩壊寸前までいって、周囲も彼のことを狂人と認識し、社会的にも立ち直れないと思われたとき、救われるきっかけとなったのが、弁栄(べんねい)上人について書かれた1冊の本との出会いであり、そこから始めた念仏と言われています。

「日本の光」というタイトルのこの本を、私も昔入手しましたが、まさに仏の化身と呼ぶにふさわしい、私心なく、慈悲に満ちた姿に、このような人物が、歴史的に見ればそう遠くもない明治・大正の日本に…と驚いた記憶があります。

なので、弁栄上人を知り、念仏を唱える気持ちになったというのは、凡夫の私にも、よくわかります。

弁栄上人は、法然上人を敬愛し、釈尊を深く信奉し、自ら光明主義を掲げ、布教に命を捧げた大聖者ですが、あまりに魅力あふれるその人物像は、一言では語れないものの、本当にごくごく一部ですが、例をあげれば、次のようなものです。

  • 寄進された米や物を、貧しい人や困っている人にすべて施し、自分は米のとぎ水だけで何日間も過ごした。

  • 村の子供が庭で転べば、雨もいとわず裸足で駆け寄り「泣くな泣くな仏の子」と言って慰めた。

  • 「坊主に良いものはいりませんぬ」と言って、新品の下駄や着衣を固辞した。

  • 右手、左手、口にも筆を結び付け、書や仏の絵を描き、望む人に配っていた。

  • 米粒に「南無阿弥陀仏」や般若心経の文字を書いた。

  • 蚊の1匹どころか、虱すらも殺さず、子どもには「蟻を殺すと蟻さんの子や兄弟が泣きますよ」と言って、それとなく命の大切さを教えた。

  • 信者の負担にならないよう、礼拝の場所さえあればと本堂のみを建立して、自分は元のあばら屋に暮らしていた。

こういった話は枚挙にいとまがありません。また、神秘的な力があったことでも知られます。たとえば、

  • 川べりで急に祈りを始めた上人に、お供が「どうしたのですか」と尋ねると、沈んでいる者がいたが、成仏した、と答えた。

  • 古井戸で立ち止まり一心に念仏されているのを、あとで人が理由を聞くと、「血みどろの男が見えた」。確認すると賭博の親分が、金を貸した者に殺された場所だった。

  • 弟子が読みたいという法華経講義を買うために、上人から預かったお金で、割引分の釣り銭を報告せず、「このくらいはいいだろう」と、内緒でウナギと焼き鳥を食べて帰ると、

 上人「うなぎ飯はうまいか」
 弟子「もう一年も、そんなものは食べませんから」
 上人「焼き鳥はうまかったか」

  • 行こうとする道に、蟻が集っているので、「その道には行くな」と上人に言われたが、どこにもないと思い、先を確認すると、確かに蟻の大群がいた。

  • 大火で周囲の家々すべてが焼けたのに、上人から「火伏せ竜」をもらった家だけが、一軒焼け残った。

しかし、弁栄上人自身は、こういった奇跡が広まることを決して喜ばず、利益を得ることより、
「むだやこごとをいう口いらぬ ただその口で南無あみだ仏」と、ただ一心に念仏を唱えることを奨励しました。

「財産を目当てに嫁入りしますか。当の人物を目当てに嫁入りしますか。お浄土の楽しみを目当てにして往生を願うのは、財産目当ての嫁入りのようなものです。如来様が目当てでなければなりません」と言って、如来のすがたを心に念じることが、いかに大切であるかを説かれたという話は、

心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。

(マタイ22-37、マルコ12-30)

というイエスの言葉にも通じるものを、感じます。

実際、唯一の財産であるズダ袋の中には、
親鸞の教行信証、
善導大師の法事讃、
六時礼賛
と共に、聖書も携えられており、イエスを深く尊敬していたとの記録があります。

弁栄上人の広く深い宗教観が、垣間見える逸話です。

弁栄上人の評判を聞いて、興味を持ったあるキリスト教牧師が、宗教に縁のない人間と偽り、弁栄上人に会いましたが、案の定!?その身分を見破られたとき、「耶蘇教(キリスト教)も、仏教も違いはありません」と話されたとのことです。

その牧師はのちに念仏門に入り、弁栄上人に随行するようになり、平和で親切な余生を、念仏の中に終えたとあります。

また、特定の人物に、南無阿弥陀仏より南無釈迦牟尼仏と唱えた方がいいと、相手の資質を見抜いて指導することもありました。

わたくしごとで恐縮ですが、かなり以前に、弁栄上人ゆかりのお寺にお参りしたことがあります。

最寄り駅から離れていたのでレンタカーで向かったのですが、門前に着くと、背中に弘法大師の真言が書かれた白い衣を着た大勢の方々が、ちょうどお寺に入るところで、その方々のために門が開いたタイミングで、私も車ごと中に入り、弁栄上人直筆のご本尊の前で、しばらくお参りさせていただいて、帰路につきました。

霊妙な空間で、心静かに祈りを捧げた、そのときの体験が素晴らしかったので、再訪しようと思い、お参り時間を問い合わせるため、後日お寺へ電話すると、「ここは一般の方は入れないのです。たとえ総理が来ても入れません。」とのことでした。

ましてや私のような、いわゆる”いちげんの者”が、入れる所ではありませんでした💦

知らなかったとはいえ、申し訳なく思うのと同時に、それでもお参りできたことは、恐縮しながらも深く感謝した次第です。

一見、排他的ともとれ、弁栄上人の志とは異なるのではないかという意見もありそうですが、ただ、あの場の精妙さ、清まった気の美しさを思い起こすと、やたらに人を入れられないというのも、十分理解できることです。

この文章を読んでくださっているような方は、そんなことはないと思いますが、霊感鋭い知人が、「人混みに行くと、具合が悪くなる…」というくらい、人間は知らず知らずに、ネガティブなエネルギーを蓄積してしまうものだと思いますから。

法然上人が弘法大師を高く評価されていたことは知っていましたが、実際、南無阿弥陀仏の念仏行と、真言密教の修行が交わることは珍しくないようで、信仰の域を超えて、影響を受けあう例も多いようです。

たとえば、浄土宗のお寺でも護摩供養を行うことがあったとのことですし、四国遍路中、念仏を唱えながら巡る方がいるように、宗派の垣根を超えた信仰の姿が見られます。

特に、弁栄上人は「光明主義」を提唱し、阿弥陀仏の光明を重視しましたが、これは密教の「大日如来の光明」との親和性があるように、あくまで個人的にですが、感じます。

今回見かけた、弘法大師ゆかりの衣を着た方々も、そうした背景の中で弘法大師を尊崇しつつ、お参りされていたのかもしれないと思うと、遍路道を歩かせていただいたことのある私も、感慨深いものがありました。

また、全国に多数ある、弁栄上人のお墓の1つに、お墓参りしたことがあります。

高野山の奥之院に行ったとき、ふっと目をやったお墓が偶然、弁栄上人のお墓だったことがきっかけで、当時住んでいた家から1時間ほどの場所にも、全国に複数ある上人のお墓があると知り、お参りに行きたいと思ったのです。

周辺に着き、このあたりかと迷っていると、親切な方が声をかけてくださったので、「弁栄上人のお墓を探しています」とお伝えすると、急に怪訝そうな顔になり「異安心者(いあんじんもの)ですけど、いいのですか?」と言われてしまいました(笑)

異安心者は、おそらく異端やアウトサイダーといった意味で使われたと思いますが、亡くなって随分たつのに、まだそう言われていることに驚くのと同時に、生前、それを嘆く信者に、自ら「異安心(いあんじん)結構です、迫害、結構です」と言ったという一節を思い出しました。

「天台宗の異安心者が法然上人となり、また日蓮上人ともなり、法然上人の異安心者が親鸞上人となったのであります。浄土宗の末徒、必ずしも法然上人の御聖意(みこころ)を汲むものばかりではありません。それもやはり異安心者であります。弁栄はしかも法然上人の聖意にかなうので、ある意味の異安心者でも悪いのではありません」ということばには、なるほど…と納得しました。

特に、墓前で手を合わせたとたん降りてきた、とても大きくあたたかい、強い光は、今でも忘れられません。

「人間の一生は学校である。如来様のお試験は、日常のなすわざの中にもある。卑劣な人は他人の成功を見、また善事を見、他人の誉めらるるのを聴いて、我慢ができぬ。その人が同職ででもあれば、なおさらである。他人の短所をさがすに汲々とす。賢人は他人の過失を見ることを、避けんとす。」

「私は常に煩悩と戦っています。」

「衣食憂うに足らず。如来より衣食はたまう」

「都合がよかったことも、悪かったことも、あとから考えてみれば、たいてい同じだ」

「ただ死後の幸福のためにのみ称名する人は、気の毒な信者である。南無阿弥陀仏という、そのまっ正面に、弥陀は現に在すなり」

「あなたを苦しめたのでなく、あなたの精神の光をあらわさん為である」

「人は遠大の希望なしに生活するが故に、ついに煩悩の奴隷となる」

一心に念じる(求める)ことで救われるという話は、死と隣り合わせの戦場で、無心に唱えたお題目(南無妙法蓮華経)や観音経によって救われたという紀野一義先生のお話を思い起こさせます。

空海も、一心に般若心経を唱えることを、推奨していましたね。

岡潔は晩年、神道に向かったという話もありますが、人生の危機にあった時期、念仏に出会って救われたことは興味深く、心を空き家にしないことの重要性を、改めて思いました。

(心を空き家にしない重要性については、動画で解説していますので、もしご興味があればご覧ください。一番最後ににリンクを貼っておきます)

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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ネットで見つけたブログに、岡潔が念仏を唱えている写真がありました。


本文で引用させていただいたのは、こちらです↓。


国立国会図書館デジタルコレクションでも閲覧できます。無料です。(読みずらいかもしれませんが…。検索窓で「日本の光 弁栄上人伝」で検索すると出てきます。


こちらも良書です。



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