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変わらないもの、変わりゆくもの


WBCでチェコのチームへの言葉が
たくさん溢れていて、
なんだか偉そうだけど、自分のことのように嬉しくて、幸せ。

わたしがチェコで過ごした日々は
本当に人としての生き方を
見直す原点となった場所でした。

当時2歳の娘を連れての外出は、なかなか。

慣れた日本でも、大変なのに、
言葉もわからないし、
土地勘もないし、
石畳にベビーカーもこれまた、、、

でも、本当にいろんな人が優しく手を貸してくれました。

それまで日本で体験した、

ベビーカーを邪魔そうに見る人、
子供の泣き声をうるさそうにする人、
我先に椅子に座ろうとする人、
急ぐ道をわざとぶつかって歩く人、

そんな人はほとんど見当たらず、

目が会えば、
ニコッと笑みを返してくれて、

黙ってベビーカーを支えてくれて、
席を譲ってもらって、

公園には、
家族3代でお散歩する姿が
あちこちあって、

言葉なんか通じなくても、
一緒に遊んで、

平均年収は
はるかに日本より低いけど、
物や便利グッズも刺激的な娯楽も
ほとんどないけど、

こころは
はるかにゆとりがあって、
自然を愛し、
自然を楽しみ、
過ごす日々がとても幸せでした。


もちろん、
中には、そうでない人もいると思う。
でも、
わたしは出会わなかった。

日本で過ごす日々は、
来月食べるものに
困らない生活をしているのに、

「お金ない」と言っておいた方がまるでいいかのように、
すぐに「お金がない」と言うのが、自然で


働くことは「生活のためで」、
もっとこれが欲しい、あれが欲しい、

だから、お金がない、だから稼ぐ。。


「生活のため」に働き続けるのなら、

なんのために
この世に生まれてきたのだろう?

こころを置いていきぼりにしてまでの
生活ってなんだろう?

人として大切なことってなんだろう?




わたし、
何か違ってないかな、

どこでどう間違ってきてしまったんだろう?

それが
自分を知ろう、
と思ったきっかけでした。

きっと、
この国に行かなかったら、

当たり前に過ぎる日々の中で

多少のグチや不満も
ストレスも
ままならない思いも、

それが当たり前と
マヒしたまま過ごしていたことと思います。

こころ(脳)次第で
全てを
変えることができる、なんて
頭によぎることさえ
拒否したまま過ごしていたと思います。

12年前の3月11日
その時、
わたしはチェコにいました。

ただ、
日本人というだけで
見知らぬ人たちに優しい言葉をかけてもらい、

美術館など至る所での募金活動、

友人のお店で
いっぱいになった募金箱や入れていく人の姿、

チェコの人たちの
優しさにいっぱい触れました。

キュンとする
過去の思い出に浸ったとき、

起きることに偶然はないとすれば、

なんで、
3月11日に試合なんだろう?
と考えてみた時、

あれほど誓った
あの時の気持ちを
目の前の現実に意識を取られ
見失いかけていたのかもしれない、と思ったんです。


もっとステージを上がっていかなきゃ、、、って
思っていたかも、と。


前へ、前へと
進んでいくことだけが
正しいわけでもなく、

変わることが正解でもなく、

時には、立ち止まって、
ゆっくり過去歩んできた道を思い返して過ごす時間が
あっていいんじゃないかと。


変わらぬ美しい景色と
変わらぬ優しい姿と
変わらぬ思いと

変わらない安心の中にいるから、
人は変わっていけるわけで。。。

もし、
世の中そんな綺麗事ではない、
そうは言っても、「変わりたくても変われない」
現実的にムリとジャッジするこころが入って来るなら、


その思いは、
変わる事で失ってしまうものへの恐れ
これまでの場所を無くしてしまうのではないかという不安

そのものかと。

でも、
本当に大切なものは、どこにもいかない。
必要だから、決して消えて無くならない。

ざわつくこころはそのままに
ただ素直にこころを感じて優しさにふれていこう。


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