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無欲だと却って得する。

終わらないギブアンドテイク。

 ある日の週末、遠方から友人が泊まりに来たため、株主優待券で消化が追いついていない分を、ここぞとばかりに使用した。優待券で賄った総額は1万円は軽く超えているため、相手側からすると無償で便益ばかり受けて返報性の原理が働いたためか、晩酌を買い出しする際のスーパーで、そこそこ良い価格帯のパック寿司やおつまみ代を奢られた。

 確かに株主優待券は私がリスクを取って資産を運用した結果として得たものであり、本来なら独り占めしても良い権利ではある。

 それを、親しい間柄の仲間と一緒に消化しているのだから、恩恵を受ける相手側からすればひとつ借りが出来たような感覚で、貸し借りは極力ゼロにしたいマッチャータイプの人からすれば、何かお返ししなければ…と言った心理が働くのは何となく想像が付く。

 とはいえ、私からすれば溢れんばかりの優待券を消化しただけであり、その場では身銭を切っておらず、奢るとは言っても自己犠牲が殆ど伴わないギブであり、それによって相手は身銭を切って私に何かをお返ししているのだから、相手としてはプラマイゼロでも、私としては奢ったつもりが却って奢られた感覚になってしまう。

 翌日、帰途で早めのランチをご馳走する際も、私がアンケートに答えると缶飲料が贈呈されるポップを見つけたため、一緒に回答してふたりで缶飲料を頂いた。

 頂いたまでは良かったものの、冷静に考えると私は友人をランチがてら送って帰るだけの想定で、手ぶらで出掛けたが故に、缶飲料一本を裸で持ち帰るのはスマートではないと直感して、「帰りに荷物が増えるのが嫌でなければ持って行きなよ」と友人に譲った。

 友人はそれが好きだったため喜んで受け取ってくれたが、いざ会計になると私がご馳走した上に、おまけまで譲って貰ったギブの精神に、返報性の原理が働いたのか、そのお店でお土産用で販売されている、手提げ袋に入ったアソートを頂き、ランチ代と缶飲料一本分のお返しとしては、それなりに豪勢なものを頂いてしまった。

 そのため、次回、私が遊びに行くか、また友人が遊びに来る時のどちらかで、このお返しをしなければと、返報性の原理が働き、半永久的にギブアンドテイクし合う仲となっている。

複利以上の価値がある幸福感。

 組織心理学によると、ギブアンドテイクの関係は、ギバー(与える人)、テイカー(奪う人)、マッチャー(損得のバランスを取る人)の3種類に分かれるとされており、最も成功するのはギバー、最も成功から遠ざかるのもギバーとなっている。

 一見すると矛盾するように思えるが、同じギバーでも自己犠牲を伴うギバーは、テイカーに搾取されて成功から遠ざかるが、自己犠牲が伴わないギバーの場合は、返報性の法則に則って、多くの人からの人望を集め、成功していくとされている。恐らく前者はDV被害者側のパートナー、後者がマザーテレサさんのような構図だろう。

 先ほど私は、自己犠牲の伴わないギブを行っていると記した。だから成功する側のギバーだ。ドヤッと主張したい訳ではなく、欲張らないことで短期的には利益にならないかも知れないが、長期的な視点で物事を考えて将来的に最適となる選択を行う考え方こそ、他者からの信頼や尊敬を得る上で大切な要素で、だからこそ成功を引き寄せるのだろう。

 私は20代半ばで大病を患い、人生の終わりを強制的に意識させられた強烈体験を機に、墓場にお金を持っていけないことを痛感し、お金は選択肢を増やせる便利な道具で、あるに越したことはないが、お金そのものを追い求めた先に、幸せな世界はない真理に気付かされた。

 これまで金融資産運用で生計を立てて自由に生きることを目的に、手取り収入の半分以上を投資元本に組み込み続ける、超倹約生活を地で行っていたが、自由の身になる前に人生の最期を迎えたら空しいだけである。人はいつ死ぬか分からない。

 お金は天下の回りもので、選択肢を確保するためにある程度のお金は留めておく必要はあるものの、予測不能な将来のために、今を犠牲にしてまで必要以上に貯め込むほどの価値は感じられない。

 収入の1割、2割などの一定水準で貯蓄出来たならば、残りの余剰資金や配当収入は損得感情で金融資産に投資するよりも、使ってナンボの精神で、短期的には利益にはならないかも知れないが、自身が今を全力で楽しむためや、親しい誰かを喜ばせるために使い、掛け替えのない経験や思い出を作る方が、複利効果で得られる実利以上に価値のある幸福感で心が満たされるかも知れない。

 お金持ちになれば幸せな人生が送れると考える人は多いと思うが、お金には魔物が潜んでおり、扱い方が上手な人でないと、お金を巡って争いごとや事件に巻き込まれて、却って不幸になるリスクが潜んでいることは、実際に大金を手にしたことのある人でないと実感が湧きづらい。懐が満たされても、心が荒廃しては本末転倒である。

 そう考えると、お金そのものを追い求める行動など不毛なのかも知れない。それならば、誰かを蹴落としてまで出世するとか、誰かを騙してお金を儲けるなどの、短期的な損得に惑わされて欲張るのではなく、自己犠牲が伴わない範囲内で、大切な人に何かを与える生き方を模索する方が、なんだかんだで幸福度が高いのかも知れない。


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