見出し画像

学歴を高低で表現する違和感'e


”低”学歴って何だよ?

 世間では学歴至上主義が蔓延っていることから、いわゆる高学歴な人は礼賛される傾向があるのに対して、私のように高卒で社会に出た者は卑下される。

 後者が就くことの多いブルーカラー職の方が、失業や病気、怪我のリスクが高いにも関わらず、転職市場では相手にされず、この国は大卒と非大卒の間で分断されているのが現状である。

 非大卒なだけで募集条件から簡単に外され、職務経歴も現場仕事は基本的に単純作業しか割り振られず、自身の裁量で成果を上げた経験を積めるような土俵に、そもそも立てない。極め付けはみんな大好き自己責任で、周囲は教育ローンを組んででも、大学に行ったのだから、それをせずに食えないのはお前が悪い。

 一聞すると、ご尤もな言い分に聞こえなくもないが、現状の事実上の義務教育的ポジションとなっている高校が、もし仮に10年後や20年後に大学に置き換わり、現場仕事に大卒が溢れかえって大卒すら食えなくなった時に、教育ローンを組んででも、大学院に進学しなかったお前が悪い。と言われて納得するだろうか。

 日本の義務教育は中学まで、戦後は当たり前のように中卒で職に就けていた。しかし、高度経済成長期に都市部を中心に高卒が当たり前な風潮が波及していき、ブルーカラー職の最終学歴は中卒から高卒にシフトした。

 そして今、高学歴社会というよりも、30年間の経済停滞によって就活が激化し、学歴がインフレした影響により、大卒が食えなくなり、ブルーカラー職をも侵食しつつある。

 現場仕事なんて低学歴な奴らがやる仕事だ。などと思っている学歴至上主義者はそれなりに居そうだが、自分たちと同じ”学士”の最終学歴を持つ人たちの、決して少数とは言えない人数が、現場仕事に従事している実情に関して、どう思うのだろうか。

 そもそも高卒が”低”学歴って何だよ?と思う。義務教育+3年の高等教育を受けているのは、OECDの基準で見たら、決して学歴が低いわけではなく、大卒、非大卒はモノサシのひとつでしかない。

大卒ノンキャリア組が生まれる背景

 私がかつて勤めていた鉄道業界も例に漏れず、高卒の私が入社5年目となった時期に、同い年の大卒が新入社員として現場に配属される姿を見て、結果論ではあるが、この職に就くなら大卒は要らないと内心思った。

 単純作業なルーチンワークに対して、明らかに学歴がオーバースペックで、奨学金という名の教育ローンを借りているなら尚更必要ない。

 給与体系に学歴給を設けている事業者もあるが、ない事業者もある。学歴で賃金や昇給、キャリアに差が出ない事業者や採用区分であれば、学費をかけず高卒で4年早く勤めた方が、教育ローンという負債がない分、生涯の可処分所得はプラスだろう。

 同い年の先輩という立場から、話しやすい関係になった頃に、やんわりと聞いてみると、内定を貰った中で、まともに思える企業がここ以外になく、奨学金も返さなければいけないから、現業職で妥協してしまった的な、割と切実な内容だった記憶がある。

 同じ大卒でも、総合職はキャリア組、現業職はノンキャリア組で、そもそものスタートラインが違い、一度ノンキャリア側に就くと、挽回は不可能なのが、新卒一括採用、年功序列システムの残酷さでもある。

 そして、奨学金という名の借金を背負ったにも関わらず、就活に苦戦すると退路を絶たれ、就職浪人して再挑戦などと言ってられなくなる。こうして大卒ノンキャリア組が現場に蔓延り、徐々に高卒の肩身が狭くなっている過渡期が、現在の日本社会の縮図なのだろう。

 かつての現場仕事が、中卒から高卒に置き換わったように、このままでは、いずれ高卒は大卒に置き換えられる運命と言っても過言ではない。

仕事と学歴にも、ペアリングの概念を

 だからこそ、これからの日本社会の方向性を決める、決定権を持つ立場や、いずれそうなる人たち、いわゆるキャリア組の方々は、どうせ採用するなら高学歴に越したことはない的な、固定観念を棄却すべきではないだろうか。

 何かの職人になりたい人であれば、できるだけ若いうちから修行に励み、経験を積むことが望ましいのだから、大卒以上の学歴は必要条件ではない。就く職業に応じて、要求する学歴は異なる。

 それ故に学歴の違いを高低で表現するのは的を得ておらず、持論ではワインみたいに、ライト、ミディアム、フルのような重い、軽いの尺度で表現するべきではないかと思う。

 頭脳労働の観点で、あっさり目な現場仕事に、ミディアム〜フルボディの大卒ではペアリングが合わないように、その仕事で要求する能力に応じて、適切な学歴をペアリングしていく”ジョブ型”の仕組みに変えれば、学歴と作業内容のミスマッチは減るだろう。

 あくまで一例だが、頭を動かすよりも身体で覚えるようなブルーカラー職ならライト(軽め)な学歴。事務仕事などのホワイトカラー職ならミディアムな学歴。頭脳労働の極地とも言える経営者や研究職ならフルボディ(重め)な学歴。

 新卒時点の学歴はライトだったものの、物足りなさを感じたら一旦学び直して、ミディアムでペアリングし直せば良い。

 採用条件に高卒「以上」とするから、どちらも選べる大卒の方が有利となって、学歴がインフレしてしまう。大卒が蔓延ったら今度は修士以上とか、博士以上になるだけだ。

 現に教育費無償を徹底しているフィンランドでは高度人材は修士が多く、学士はいわゆる学歴厨の言うところの“低学歴”に等しい。平民の可処分所得と教育費のバランスが釣り合っていない日本で、学歴がインフレしたところで、そこに明るい未来は思い描けない。

 だからこそ、この仕事にペアリングする学歴はライトです。ミディアムです。と、間口は広くするものの、ピッタリ一致しない場合は不利な方向に作用する仕組みとなった方が、借金してまで大学に行って、返済に苦しむ若者は減りそうである。

 それだけでなく、現状の新卒で敷いたレール以外の選択肢がなく、学び直したところで、多くの人は事実上やり直せない、日本のキャリアシステムをスクラップ&ビルドするためにも、学歴は高低ではなく、重い、軽いで区分すべきではないだろうか。

[増補]若者は七五三現象の犠牲者

 人事の世界では、”七五三現象”と呼ばれる新卒3年以内離職率の学歴(中卒、高卒、大卒)別の傾向を端的に表す言葉がある。

 しかし、就職先が自由に選べる大卒が3年以内に3割が辞めるのに対して、一人一社制で事実上の単願とも言える、職業選択の自由とは何かを考えさせられる高卒が、3年以内に5割辞める状況を単純比較すべきではないと私は考える。

 また、募集要項を大卒以上に限定することは、企業や人事担当者が3年以内離職率を2割減らしたいがために、高校生本人やその家計に対して、大学進学の経済的負担を押し付けているとも捉えられる意味で、若者は七五三現象の犠牲者とも言える。

 それにより補助金を垂れ流すだけの、研究機関とは名ばかりのFランク大学が蔓延り、情弱ビジネス化しては借金漬けの若者を生み出し、教育関係者が甘い蜜を吸うグロテスクな構図となっている。

 私のように中学〜高校で進路を決める時期に、この構造に薄々と勘付き、高卒で社会に出ることを選択した少数派は、構造上ブルーカラーに従事する割合が高く、学歴と現場作業員という性質上、端からポテンシャルなど期待されていない。

 当然ながら単純作業以外の経験が積めず、スキルがたまらないことから、履歴書に傷がなくとも、高卒で歳だけ重ねた事務作業ができるかも分からない、扱いづらい存在として転職市場からお祈りされては、身体を壊した瞬間に詰みとなる、どちらを選ぶにしても無理ゲーな構図が待ち構えている。

 どう考えてもおかしいのは社会の方だが、それでも世間は奨学金という借金(リスク)を背負って、大学に行かなかったお前が悪い的な自己責任論に終始するのが釈然としない。

 なにクソと思って在職中に通信制大学で大卒資格を取ったところで、今度は職務経歴が単純作業しか(=スキルの)ないお前が悪いと、粗探しや論点すり替えが始まる。

 単純作業以外の役割を与えられる機会すらなく身体が壊れた人間からすれば、20代の時点で労働者としては既に八方塞がりであり、新卒一括採用で事実上、サラリーマン人生の天井が決まり、やり直しも効かず、社会全体で若手を育てる気もない状況では、”働いたら負け”だと思われても仕方ないと思う。そんな若年層は私だけではないだろう。

 この社会は学歴エリートの方々を中心にして動くことから、学歴エリートが有利に働ける構造が破綻するまで変わることはないと思われ、就職氷河期世代を初め、新卒一括採用で苦汁を飲まされた挙句、今でも辛酸を舐めさせられている、強者が言うところの「お前が終わってんだよww」的な自覚があるなら、学歴とは違う軸で闘う他ないのが、持たざる者の悲しい現実でもある。

ここから先は

0字

¥ 50,000

お買い物の際、↑を経由して頂ければ、身銭を切らずに投げ銭できますのでご活用ください。 パトロンを希望する方は↓からお願いします。