休むも相場
下落・調整局面で買いたい銘柄を下調べ
私はコア・サテライト運用で、コアにパッシブ運用で全世界株式のクレカ積み立て、サテライトとして日本の個別株をアクティブ運用している。
しかし、個別株に関しては、昨年末と年始に4銘柄ほど入れ替えたのを最後に今月に入るまで全く買っていない。冷静に考えれば、年初の日経平均は33,000円台。そこから1989年以来の最高値を更新したかと思えば、若干の調整局面を経て40,000円台の大台を突破。そして今、大幅下落の渦中となっているのが現状だろう。
為替のドル円相場も年初は141円台だったものが、一時160円を超えた。今のところ、様々な思惑から150円台で推移しているが、上場企業の想定為替レートが145〜150円であることからも、150円を超えて160円にタッチする動きが想定よりも早かった意味で、急激な円安が起きている。
日本株は上昇基調、対外資産も為替差益で膨らみ、新NISAを機にインデックスファンドを長期、積立、分散の要領で順張りしていた方には、投資でお金が増えることを実感したであろう半年間だった。だからこそ、今現時点での下落局面に狼狽えている側面がある。
私は既に相当額のポジションを張っていることから、無理に元本を追加せずとも、上昇相場の恩恵が受けられるわけで、全体が楽観ムードな時は、往々にして指標が決して割安とは言い難い水準となる。
だからこそ静観しながら、来るべき下落・調整局面に備えて、買いたい銘柄の下調べを入念にする程度に留めていた。それ故に年初を境におよそ半年間、ドルコスト平均法で投資タイミングを図らなくて良い、インデックスファンドのクレカ積立を除いて、一切の個別銘柄を売買せず過ごしていた。
売却後の新高値ブレイクは辛い
しばしばアクティブ運用と聞くと、デイトレーダーのそれを連想しがちだが、ことバリュー株投資に関しては、多方面の指標から潜在価値を総合的に鑑みて、割安だと思う時期に淡々と仕込んでは、その銘柄が市場や世間から日の目を浴びるまで、じっと待って保有し続ける形の、実に地味で気長な戦略となることが多い。
ただ、総合的に鑑みて割安で、かつ潜在価値が見直される見込みがありそうな銘柄に出会える時期というのは、リーマンショック級の大バーゲンセールでもない限り、基本的には年に数回あるかないか程度なのが、しがない個人投資家の肌感覚ではある。
必然的に、同じ期間で立て続けに数銘柄を物色しては、それから四半期〜半年間は損切り以外で売買することがなく、次の物色先に狙いを定める準備期間となる流れが、私の投資サイクルとも言える。
とはいえ、単に割安であることを理由に、無限ヨコヨコチャートの銘柄を持ち続けるのも、精神的にしんどくなる気がするため、私の場合は高配当銘柄で絞り込み、一定程度のインカムゲインでチビチビ利確しながら待つことが多い。
とはいえ、5年スパンで鳴かず飛ばずだと、配当利回り4%であれば、インカムで元本の2割は回収できていることもあって、流石に資金効率を考えて痺れを切らして売却に至ることもある。
しかし、売却後に新高値ブレイクでもしようものなら発狂ものなので、私がエントリーポイントをミスったと判断して、損切りする水準である2割マイナスになるまでは、基本的に持ち続けることが多い。無論、思い描いたシナリオからは遠ざかる材料が出た時は、この限りではない。
儲けより、リスクの排除を考える
上記はあくまでも、私の現時点での投資哲学であり、現在進行形でアップデートしていることから、鵜呑みにしないでいただきたい。
かつて友人に個別銘柄の相談を受けた際、私は四季報や株情報サイトを見て、何気なく「業績連動配当、あんまり好きじゃないんだよねぇ…」と呟いた。地合いが良かったことも相まって、友人はこの言葉の真意が、ちょっと何言ってるか分からず、蟠りとなっていたらしい。
しかし、いざ自己資金を投じて決算跨ぎをした銘柄が、減収、減益、減配となり、インカム、キャピタルの双方でダブルパンチをお見舞いされたことで、私が業績連動配当を好まないと言った理由が、やっと理解できたと、損したにも関わらず、謎解きが成功したかのように、爽快そうに語っていたのが印象に残っている。
多くの投資初心者は、いくら儲かるかに焦点を当てがちだが、リターンばかりに目が眩んで、自身のリスク許容度を超えるハイリスクな金融商品や、投資手法に手を出しては、自滅しがちである。
資産形成で重要なのは、株式市場から退場することなく、複利の恩恵を受け続けることであって、できる限り高いリターンを追い求めることではないことは、投資の神様と評されるバフェット氏の名言でもある「ゆっくりお金持ちになりたい人はいない」からも窺える。
一発屋で終わらない投資家ほど、儲けることよりも、いかにリスクを排除するかを考えた上で、自身の性格や価値観、環境に適合した投資手法を採用しており、それが独自の投資哲学へとつながっていくのだろう。