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連鎖は続くよ、どこまでも


子どもの素朴な疑問は、時に核心を突くが…

 ファーストリテイリングのRFIDを駆使した、超効率的な自動会計機を前に、なぜここに入れるだけで金額が計算されるのか、不思議に思った男児と、それに対して答えられず、恐怖政治体質で脅して会話を終える両親という、親ガチャ失敗を彷彿とさせるSNS上の投稿が目に入った。

 確かにこれまでレジでバーコードをかざす形で、商品データを識別する光景に慣れていると、無線によりタグに格納されている商品データを読み取るRFIDのシステムは、まるで魔法のような技術に映る。

 理科の実験で、エナメル線を巻いてコイルを作らされた記憶があるが、そのコイルに電流を加えると磁場が発生して、モーターなどに応用される。逆に、コイルに磁石(磁場)を近づけることで電流が発生するのが電磁誘導である。

 後者を利用した例が交通系ICカードで、カード内に薄型のコイルを搭載しており、改札機側から電磁波を発生させることで、ICカード自体に電源がなくとも、電磁誘導によって微弱な電流を発生させ、カードのICチップを起動。無線通信によりデータが読み書きできる形となっている。

 遠距離通信に対応するRFIDタグには、様々な方式があるものの、専ら電磁誘導方式に関しては、交通系ICカードと同様の仕組みが使われている。つまり、中学理科レベルの知識があれば、一見すると魔法のように思えるRFIDも、ザックリとした原理くらいは説明がつく。

 問題なのは、時に核心を突くような、子どもの素朴な疑問に対して、何ひとつ答えられない、見た目は大人、頭脳は子どもな逆コ○ン君みたいな保護者が、自覚なく子どもの知的好奇心を削ぎ、無意識に子どもの可能性を狭めていることだ。

 これにより、高学歴一家で生まれ育った子は高学歴に、非大卒一家で生まれ育った子は非大卒へと連鎖していき、事実上、社会階級を再生産しているに過ぎない。

 しかし、表向きは階級社会ではなくなり、あたかもチャンスは平等に与えられています感が出ることで、結果の振るわない者が自己責任論で切り捨てられ、弱者が可視化されにくくなることを踏まえると、却ってタチが悪いようにも感じる。

遺伝と環境の連鎖を断ち切るのは大変

 振り返れば、小学校低学年から学童保育のオプションを駆使してもなお、鍵っ子だったことで、幼いながらに経済格差を実感していた。

 私が幼少期を過ごした2000年代の時代背景として、共働き世帯が専業主婦世帯を上回る状態が定着して来た頃合いだが、同じ共働きでも、夫婦でフルタイムなのか、片方がパートタイムなのかで、天と地ほどの差がある。

 全ての同級生の身辺調査を行った訳ではないものの、肌感覚として、専業主婦(夫)世帯4〜5割、片方がパートタイム共働き世帯4〜5割、フルタイム共働き世帯が1割未満であり、故に鍵っ子は超マイノリティだった。

 だからこそ、なんで他所と違ってダブルインカムなのに、経済的には裕福とは言い難い状況なのか。不思議で仕方なかったが、その疑問をぶつけたところで、「うるせぇ」とキレながら一蹴され、それ以来、お金の話はタブーとなった。

 その原体験から、目の前にいる逆コ○ン君を反面教師として、お金ってなんだろう?どうすればお金持ちになれるのだろう?と、自分自身が大人になった際に、お金の心配をせずに済む生活を営むための答えを、絶えず探し続けたことで、身内親族の金銭感覚に影響されず、独自の価値観を養い、そのお陰で20代のうちに老後資金不足問題をクリアするに至った。

 一般論として、連鎖は続くものの、私のn=1に過ぎない経験則に基けば、それを断ち切ることは大変だが不可能ではない。ただ、時間、お金、労力といった莫大なコストを支払うハメになるのは間違いない。

 たらればの域を出ないが、私が独力で金融リテラシーを身につける過程を省力化して、別のことにリソースを割けていたら、高卒でブルーカラーとして社会に出て、身体を壊して労働者として詰むみたいな、無駄な苦労はせずに済んだ可能性があったことを考えると、現代社会が遺伝と環境に大きく左右される残酷な世界であることを痛感する。

自分で選ぶ道が人生、答えなどない

 とはいえ、いくら遺伝と環境の不遇さを嘆いたところで、何も変わらない。能力主義を前提とする競争社会において、もし有効なカードを持ち合わせていない自覚があるのなら、端から高学歴エリートが選びがちな道を避け、同じ土俵で闘わずに済む戦略を練った方が、理に適っていると思うが、いかがだろうか。

 そもそも私のように、会社員には適さないパーソナルの持ち主、すなわち社会不適合者が存在する以上、政府が定める画一的な学校教育で大学まで出て、卒業後に就労し、結婚して子どもを2人育て、家を買う的な、自身の価値観が標準世帯のそれと合致しない者が、一定の割合で存在すると考えるのが自然だろう。

 現に標準世帯は全世帯の5%程度に留まり、これのどこが”標準”なのかと、時代錯誤感すらある標準世帯像に引っ張られて消耗するのが、そもそも不毛ではないか。

 そう考えた結果、フローに課税してストックには課税されない税制に着目して、低所得資産持ちとして、世間的には落ちこぼれ扱いだが、実態としては合法的に重税から逃れ、割合良い生活を営めている。

 学校教育では、問いに対する答えがひとつしかないが、人生に対する答えなどない。つまり、周囲に合わせて普通に社会に出て、普通に賃金労働に従事して、普通に納税して、普通に定年まで労働する標準世帯像は、あくまで一例であり、これに居心地の良さを感じる人も居れば、そうでない人もいる。

 私は後者だったため、誰に反対・批難されようと、自分で選んだ道こそが人生であり、晩年に正解だったと思えるよう、生きていけば良い。それ位の覚悟がなければ、連鎖は続く。どこまでも。


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