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ドロップアウト後の税金、最終報告


健康保険税、7割減免で決着

 前回の中間報告で、ドロップアウトから1年が経過し、再就労に至らなかった結果、国民年金は退職直後からゼロ、住民税は翌年の6月から非課税でゼロとなり、残るは健康保険税額の決定書を待つのみと記した。

 あれから1ヶ月が経ち、ついにボスキャラである健康保険税の封筒が届き、ヤシオリ作戦さながら「頼む、計算どおりいってくれ」と、ビビり散らかしながら通知書兼納付書を確認したところ、無事に7割減免の措置が適用され、これでネットフリックス並みの月額で、保険適用の医療費が7割引になる最強のサブスクを手に入れたことになる。

 このアイディアは、元を辿れば大原扁理氏の「なるべく働きたくない人のためのお金の話」から得ている。

 この本を社畜時代に初めて読んだ時には、この国の社会保障制度が、いかに経済的弱者に優しく出来ているかを知って、目から鱗だったが、今ではFP2級を取得し、完全にハックする側に回っている辺りに、6年という歳月の結晶感が滲み出ている。

 本書が出版された2018年当時とは、基礎控除と給与所得控除の数字こそ違うものの、本質的な考え方は今でも変わらずに使えるため、寝そべり族を目指す方はバイブル本にすることを強く勧める。

働かずに食う飯は美味いに決まってる

 教祖様こと大原扁理氏は、ゆるく働いて給与所得控除も駆使している意味で、専業主婦(夫)が、扶養の範囲内である年間103万円だけ稼ぐ芸当を、個人プレーで成り立たせている。

 上記の条件で、健康保険税が7割減免となる年収は、自治体にもよるが98万円となり、裏を返せば、年収90万円台で生活できる程度に、生活コストを抑える必要がある。

 多くの人は、そこで直感的に「無理」だと諦めてしまうが、冷静に考えると、合法的に税負担を最小化する年収の上限である98万円から、ネットフリックス程度の月額で済む健康保険税を、自治体にもよるが多めに見積もって2万円としても、可処分所得は8万円/月となる。これは国民年金を満額納めた時の6.8万円/月(令和6年度)よりも多い。

 つまり、年金で慎ましく暮らすイメージの人生設計、マネープランで割り切ることさえできれば、経済的・物質的豊かさを追い求めるが故に、五公五民のネオ江戸時代と揶揄される、重税を負担しなければならない世界から合法的に隔絶された、心の健康を優先させる寝そべり族として、現役世代でも余生を謳歌できる。

 この辺りは森永卓郎先生の「長生き地獄」で、年金が夫婦で13万円となる時代に備えるライフスタイルの例が記されているため、興味のある方は一読することをお勧めする。

 そして私は、社畜エセ都民時代に家賃4.7万円、水道光熱通信費1万円、食費2万円、雑費・予備費0.3万円で月8万円生活の原型を構築し、ドロップアウト後は家賃を大幅削減するために地方移住。

 その結果、今では月5万円程度で最低限度の生活が営めるようになり、基礎控除48万円の範囲内の課税所得+NISAの非課税枠で、大原扁理氏(当時)や、寝そべり族のスタイルから、就労を差し引くことに成功した。

 忘却の彼方に、勤労を美徳とするプロテスタント的思想が強い方々から、働かずに食う飯は美味いか?的な煽りがあったような気もするが、単なるルサンチマンの域を出ないだろう。

 かつて過労を発端に大病を患い、倒れる数ヶ月前から食べ物の味がよく分からなくなった経験者として、自信を持って「働かずに食う飯は美味いに決まってる」と言い切れる。

寝そべったニラは刈り取りにくい

 とはいえ、この手の人種の生活実態は地味でミニマムであり、家や車を買わない、恋愛しない、結婚しない、子どもを作らない、金銭消費しないが鉄則となっていることから、何が楽しくて生きているのか分からん的な批判の的になりがちである。

 特に社会保障制度に関しては、合法的とはいえ、ほぼほぼタダ乗りしていることから、人によっては社会悪でしかないという意見もあるだろう。

 しかし、ロバート・キヨサキ氏の著書「金持ち父さん 貧乏父さん」で定義されている「ラットレース」を地で行く労働者として、資本主義社会の歯車であり続け、資本家によって仕組まれた娯楽施設でガス抜きをしたり、物質的豊かさを求めたところで、資本家には労働力、政府には税金を中抜きし続けられて、手のひらで転がされているに過ぎない。

 バブル崩壊後に生まれた身として、一度は社会に出て、鉄道員として手取り最安値13万円と、薄給激務の名に相応しいシフトワークに耐え、社会インフラを現場で支えてきた。

 最終的には身体が壊れて、現場復帰が絶望的な状態となったことでドロップアウトに至ったが、散々安くこき使われたにも関わらず、日本は政治家が言葉遊びをしているだけで、庶民が実感できるような経済成長などしていないではないか。実質賃金は低下し続け、逆に税負担は増え続け、生活は苦しくなる一方ではないか。

 働くのがアホくさいと感じるのも無理はないだろう。しかし、その状況を既に若者が選挙で変えられない状況となっている、シルバー民主主義の現実を受け入れた上で、あくまで合法的にこの社会に対して抵抗しているに過ぎない。

 本場の寝そべり族では、「寝そべったニラは刈り取りにくい」という秀逸な名言まである。ちなみに、ニラは滅びぬ、何度でも蘇るさ!ニラの力こそ、人類の夢だからだ!というロムスカ・パロ・ウルな特徴から、取るに足らない人間を暗喩している。

 すなわち、庶民は資本家や政治家に金銭、時間、労働力を刈り取られる社会構造となっているため、敢えて経済的弱者として寝そべることで、権力者が刈り取り難いポジションを取るのが、「寝そべったニラ」というわけだ。

 自分自身が、取るに足りない人間であり、競争社会で淘汰される側であることを自覚しているからこそ、強者と同じ土俵に立っては、足の引っ張り合いに終始するくらいなら、いっそのこと寝そべっていた方が、競争社会から心の健康を守りつつ、制度の歪みを突いた抗議活動にもなる。

 必死に働いても、世の中が全く良くならない状況に比べれば、寝そべりはむしろ社会貢献という捉え方もできるが、いかがだろうか。


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