自分の時価総額を考えた生き方。
考えさせられる、日経新聞を辞めた理由。
最近、YouTubeやSNSなどのネットメディア界隈で見かけるようになった、後藤達也さんは、2022年の3月を持って日経新聞社を退職された。
その心境がYouTubeの企画で語られたが、印象的だったのは、社内で思うように行かないことのひとつひとつは軽微なことで、決定打になったような特別な不満があったわけではなく、山に雪が降り積もる感覚で、ある時に臨界点を超えて雪崩のようになったと言う表現だった。
深堀りしてみると、大企業の看板によって仕事が成立している側面を薄々と感じていて、定年と同時に一般社会に放り出された際に、一社で勤め上げ、その会社や業界内でしか通用しないスキルだけでは、生涯現役で働けるとは思えなかった。
日経新聞を辞めるリスクも相応にあるものの、月収100万円の世間体は決して悪くない仕事を続け、安定的に定年まで一社から賃金を貰い続けることにより、将来の自分の時価総額(人的資本)が下落して、茹でガエル状態と化した結果、定年後に雇い先が見つからない事態のほうがリスクが大きいと判断して、早期退職と個人事業主として独立する道を選択したとのニュアンスを述べていて、一理あると考えさせられた。
真の安定は自分ひとりで稼ぐ能力。
日本企業の代表格であるトヨタですら、社長が終身雇用を維持するのは難しいと発言したのは記憶に新しい。働かないおじさん問題で人件費が圧迫されている歪みから、年功序列賃金も若手を安く使うための口実でしかなく、大した昇給も見込めない。
昇給したとしてもAIやロボット技術の発達に伴う更なる効率化によって、若い頃の低賃金を回収するフェーズとなる中年になる頃には、希望退職者を募っている可能性が高く、応じなければ村社会特有の陰湿な嫌がらせや、あからさまな降格人事などによって居場所を失うことだろう。
過去に何度も記しているが、良い成績を取って、良い大学を出て、良い会社に入って定年まで勤めれば、右肩上がりの賃金形態で生活がどんどん豊かになり、定年で老夫婦が生活するには十分な退職金と厚生年金が貰え、住宅ローンも完済しているような、周囲の言う通りに懸命に働けば相応に報われた時代はバブル崩壊と共に崩れ去っている。
周囲に言われるがまま奨学金という名の借金をして大学を出ても、就職難で正規雇用に就けるかも定かではないし、仮に就職出来ても増大する一方の税金や社会保険料と奨学金の返済が重くのしかかり、フルタイムで働いているにも関わらず、可処分所得は生活保護以下で将来に備える貯蓄も儘ならない。
実際に統計上、20代単身者が保有する金融資産額の中央値は10万円に満たないことから、その日、その月暮らしをしていて、何かでキャッシュフローが枯渇した瞬間にゲームオーバーとなるような綱渡り的人生を送っている若者が、半数以上を占めていることになる。
別に最近の若者が怠けている訳ではない。ICT化によって業務量は数倍に膨れ上がっているにも関わらず、上層部の意識が変化していないことによるしわ寄せが若手に直撃した結果、薄給激務となり、結果として安い国ニッポンはこうした若者の犠牲によって成り立っている側面がある。
周囲の言うことを聞いた結果、シャープのようにゾンビ化している大企業が経営破綻の危機に陥り路頭に迷うリスクもあれば、ブラック企業の餌食となって心身を壊して、自決してしまったり、一命を取り留めても社会的には再起不能に陥るリスクが随所に蔓延っている。
そんな今の若者には過酷過ぎる日本社会で、周囲に言われた通り真面目に働いた結果、心身が壊れても自己責任論で、社会の枠組みから外されるのが現状である。
周囲の真っ当とされている大人の言うことに従った結果、30年以上もの間、没落の一途を辿っている現状を鑑みると、大企業や公務員が安定しているとは一概に言えない状況に直面している。
おまけに強固なシルバーデモクラシーが構築されたことで、民主主義という名の数の暴力で、若者が政治で現状を覆す術すら失っているのだからタチが悪い。
だからこそ組織に縛られず、自分ひとりで生計を立てられる能力が、本当の意味での安定を手に入れる手法ではないだろうか。
鉄道員の苦悩。
以前にも似たようなことを記したかも知れないが、鉄道員の業務は基本的に、決められたことを決められた通りにミスなく熟す単純作業であり、創意工夫の余地はなく、勝手なことをするとひんしゅくを買う。
故にスキルが溜まる性質の仕事が一切なく、転職活動をしてみると大企業正社員の肩書きに反して、書類選考すら通らない。職務経歴に中身がなければ、即戦力としては使えないため、誰も採りたがらないのは明白である。
私が高望みをしていると誤解されないためにも、求人票の時点で年収300万円、年間休日105日、アットホームな社風と開示している、明らかにブラック臭がする企業ですら、興味本位で書類を送っても相手にされない事実は補足させていただく。
人的資本の時価総額で見れば、社内に居るうちは年率4%換算で1億円相当の時価となるが、退職した瞬間に限りなくゼロに近いどころか、若さというポテンシャルを失っている分だけマイナスになっているのかも知れない。
更に鉄道乗務員は花形職種の典型でもあるため、アニメーターや美容師然り、嫌になって一定の社員が辞めたところで、若くてやる気のある代わりがいくらでもいる環境故に、待遇が良くなることもまずない。
結果として、仕方なく会社にぶら下がるか、同業他社に鞍替えするか、多少なりとも頭が回る若手は20代のうちに公務員に潜り込むか程度の選択肢しか残らないのである。
インフラとして社会を支えているにも関わらず、人材価値としては皆無で社会の枠組みからしれっと外されているのだから、ひどい仕打ちである。鉄道に一生を捧げる覚悟がない人が、安定を理由に鉄道業界に足を踏み入れると詰む可能性が高いことは先人として警告しておく。
幸か不幸か私の場合、金融資産を運用することで、自分ひとりが食べていくのに困らない程度の所得を確保する、FIRE思想を具現化させるための素質を有していたことから、戦争懸念がある不安定な世界情勢下でも、税金を無視すれば既に理論上アガリの状態となっており、次に桜を見る頃には晴れて自由の身になっていることを期待してポートフォリオは仕上げの段階に突入している。
どうせフルタイムで勤めたところで時価増額がゼロかマイナスなのであれば、ある種の開き直りで金融資本を盾に隠居したほうが希少な存在となり、結果として時価が上がる方に人生を賭けようと思う。
人である以上、いつかは老いてリタイアする日が来る。それが早いか遅いかの違いに過ぎない。人生は最期に笑って過ごせた者勝ちであるから、レールの上の人生よりも、レールから外れた人生を楽しめる変人は、変人らしく早期に一般社会から距離を置くのも、ある種の社会貢献かも知れない。