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明日は今日より良くなる、わけがない


中央値の若者が、経済不安を抱える社会

 「明日は今日よりも良くなると誰もが感じられるような国を目指す」政治家の常套句だ。しかし先日関連法が成立した子育て支援金は、当初500円/月程度と言われていたものが、FPなどが試算する限り、中央値的な年収では、とてもワンコインで収まらなそうな雰囲気すらあり、これ以上、現役世代の可処分所得を減らしたら、少子化以前の問題である、非婚化、晩婚化は避けられないと考える。

 そもそも、家計調査を分析する限り、年収600万円以上の高年収層では、婚姻数も出生数も大きく変化していないことが明らかとなっている。

 つまり、ここ20年で中間層が没落し、子どもを持つ以前に、結婚すら考える状況にないと考えるのが自然だろう。

 その背景として、上がらない賃金、仮に上がったとしても増えない可処分所得。それにも関わらず上がり続ける物価。名目値の上昇はここ数年の話だとしても、デフレ経済下では、価格据え置きで量を減らす、実質値上げのシュリンクフレーションが横行していたため、見えない形でモノの値段が上がっている感覚はあっただろう。

 そして、経団連とトヨタが終身雇用を維持するのは難しいと、正規雇用とて、必ずしも守られる存在ではない。年金はアテにするな。自助努力で備えろと、暗に示される時代。

 それでいて大卒でないと、職業選択の幅が狭まるため、取り敢えず大学に進学する風潮。とはいえ、学費は親世代が想像する以上に高騰しており、実家が太いか、相当金融リテラシーが高くないと、奨学金という名の教育ローンを組んで大学へ行き、借金を背負った状態で社会に出なければならない。

 入学する難易度は高いが、学費は私大よりも遥かに安価で、ペーパーさえクリアすれば、庶民が高学歴で逆転できる意味で、最後の砦感が強い国公立大学でも、授業料の値上げが騒がれている昨今。

 こんな状況下で、経済不安を抱えずに生きられる方が、頭がお花畑というものだろう。だからこそ、中央値的な暮らしをしていて、かつ堅実な若者ほど、それらの不安が取り除ける状況になるまで、結婚を考えようとしない。

パンピーが普通に生きるのすら無理ゲー

 結婚を考えられるようになる頃には、漏れなく晩婚化のデメリットが表面化し、先述の経済不安と相まって、2人目の子どもが視野に入るのが関の山と言ったところだろう。

 それこそ、自分自身が奨学金という名の借金を背負って社会に出た身であれば、子どもに同じ苦労をさせたくはない。と考えるのが親心というもので、そう考えると、家族計画の段階で、第一子と第二子の間を、4年は空けたいと考える。

 高齢出産のリミットが35歳として、そこから逆算すると31歳時点で第一子が産まれていなければならない。しかし実際問題、多くの若者が結婚を意識し始めるのは20代後半で、奨学金の平均返済期間が16年であることを鑑みると、返済の折り返し地点となる30歳の段階で、子どもを持とうと考えるのは、高年収でない限り、相応の覚悟が求められる。

 それならば、高卒で地元の中小企業などに勤め、マイルドヤンキー的な道を選んだ方が、早い段階で結婚や子どもを考える分、リア充的な生き方にはなるかもしれないが、大卒でないが故に多くは稼げず、お金がないことに起因する苦労は避けられないだろう。

 結局のところ、親ガチャSSRで実家さえ太ければ、経済不安なく結婚や子どもを持つことに前向きになれるが、そうでもなければ、自身が高給取りにでもならない限り、経済不安を抱えて生きなければならない。

 このボトルネックが取り除かれない限り、いくら国が子育てを支援したところで、少子化以前に非婚化する流れは食い止められない意味で、構造上の欠陥であり、パンピーが普通に生きるのすら無理ゲーな社会でもある。

既得権益にぶら下がるのが得だと、暗に示している

 なぜ日本社会は、そんな詰んだ状況となっているのか。私の仮説としては、経済成長が前提の社会システムにも関わらず、30年間経済成長していないことで現在進行形で機能不全を起こしており、それが若年層からすれば夢も希望もない社会に映る一点に尽きるだろう。

 では、なぜ成長しなかったのか。これに関しては、ライブドア事件、Winny事件などを振り返れば、成長の芽を既得権益層が摘んだことにより、散々、若者のチャレンジ精神を削いできたツケが回ってきているだけのように思う。要するに国家の自業自得である。

 親ブロックなんて言葉を、最近になって目にする機会が増えた印象すらあるが、日本の若者を保守的にしているのは、他の誰でもなく、最近の若者は〜けしからんと豪語している社会の大人たちであるのは、皮肉が効いている。

 儲かる職業で思い浮かべるのは医者。次点で大手企業。安定思考なら公務員。これらが礼賛される一方で、自営業、起業家、投資家はいい顔をせず、やめておけと諭される。これでは、挑戦するよりも既得権益にぶら下がるのが得だと、暗に示しているようなものではないか。

 最近では、鹿児島県警の元幹部が、内部告発を情報漏洩とこじつけて逮捕したようにも捉えられる事案が物議を醸しているが、表向きは法の下の平等を謳いながらも、解釈の余地がある曖昧な法律を、権力者が恣意的に運用することで、平民を社会的に抹殺できる辺りに、この国は事実上の社会主義国であるとつくづく思う。

 努力が報われるかどうかは、いかに成果を上げるかではなく、いかに権力者(多くは高齢者)に気に入られるかであり、これでは生産性が上がる訳もないのは、社内政治が幅を利かせている、典型的な日系企業の業績低迷を見れば明らかだろう。国家も例外ではない。

 そんな夢も希望のない社会で、明日は今日より良くなると思えるわけがないのは自明の理で、終戦時レベルの権力の解体、終焉でも起きない限り、希望が持てないのだとすると、政治家がキャッチーな言葉遊びをして、やっている感を出しているうちは、結局、何も変わらないままなのだとつくづく思う。


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