元鉄道員が考える”きっぷ”の未来予想図
コストの掛かる磁気乗車券
JR東日本や東武鉄道が2026年度以降に順次、裏が黒い切符(以下:磁気乗車券)を廃止する代わりにQRコードを用いた乗車券を導入することを発表したのを皮切りに、JR私鉄各社が磁気乗車券を廃止する方針を打ち出している。
ただし、JRに関しては新幹線等の長距離切符があることから、磁気乗車券全廃まで5年10年スパンでの、相当な時間を要するものと思われ、民鉄は路線網が限定的だからこそ、こぞって磁気乗車券の全廃に舵を切れる節はある。
元業界人として真っ先に思い浮かんだのはコスト面の問題で、首都圏ではSuica、PASMOといった交通系ICカードの利用率が9割超となっており、磁気乗車券の利用率は1割に満たない。
しかも、これはまだコロナ禍前に回数券が普通に買えた頃の話であり、コロナ禍で赤字転落した鉄道業界は、コストカットはもとより、単価上昇のための割引切符の発売取り止めが相次いだことで、2024年現在の磁気乗車券利用率は更に低下していても不思議ではない。
その少数の磁気乗車券利用者のために、券売機、精算機、改札機を対応しなければならず、非接触式であるIC乗車券以上のランニングコストを割いているのが現状だ。
駅係員の仕事をしていないと、改札機の中身を見る機会は鉄道博物館くらいしかないと思われるが、あの中に乗車券の搬送ベルトが入り組んでいる。
磁気情報の読み取りユニットはもとより、入鋏の証としてパンチ穴を開けるユニット、回数券やプリペイドカードの乗降駅を切符に印字するユニットや、複数枚同時投入の場合、取り出し部に出す乗車券と、回収する乗車券で別の処理を行うための保留部など多岐にわたる。
そして芸が細かいが、投入部に黒の裏面が見えるように入れても、取り出し部から出てくる際には、表面の乗車駅や有効区間が見えるように反転して出てくる。
これは製造原価を抑制する都合上、磁気読み取りユニットが片面にしかないため、投入時にセンサで表裏を判別し、改札機内で必ず向きが揃うよう保留部を設けている仕様から来る副産物だ。
これだけ複雑かつ、多数のセンサーや消耗部品を搭載しているため、保守・点検に1台あたり毎月数万円のコストが掛かる。IC専用機は1/10で済むことを鑑みれば、直ぐにでも廃止してコストカットに踏み切りたいのが本音だろう。
QR化で複数枚同時処理が出来なくなる?
そんな磁気乗車券の代替となるのがQRコードを使用する乗車券だが、実は沖縄都市モノレール(通称:ゆいレール)で10年前に導入しており、北九州モノレールでも2015年からQR乗車券を採用している。
また、民鉄でも着席保証をウリにする列車などで、QRコードによる検札を実施している事業者が複数確認されているため、技術的な課題は思い浮かばない。
利用者目線での最大の変更点は、改札を出る際に切符が自動で回収されなくなる点だろう。
記憶が正しければ、ゆいレールの場合は回収箱を設置しているが、任意であるため記念に持ち帰ることも可能だが、北九州モノレールは、改札機にかざした後、バーコードリーダーの奥にある回収ボックスに切符を入れないとゲートが開かない仕様となっている。
後者の方式を採用すると、改札通過人員の多い首都圏では混乱を招く可能性が考えられる。
また、地下鉄を介して直通運転を行っている路線では、列車運行は乗り換えなしでA社→B社→C社→D社と乗り入れられるのに対して、切符や定期券は連絡運輸規程に則り、A(自)社→B社までしか対応していない。
そのため、A社→C社まで乗り通す場合、A社→B社の磁気乗車券と、B社→C社の磁気定期券を2枚同時投入して、改札を通過する磁気乗車券ならではの芸当があったが、QR乗車券になるとそもそも投入しなくなることから、改札で複数枚同時処理ができなくなる可能性が極めて高い。
その場合、精算機でQRコードをかざし、精算額が出た際にもう一つのQRコードをかざすと、QR精算券が出てくる的な仕様となる可能性が考えられる。改札機に精算機能をドッキングした場合、十中八九滞留するため、精算機は現状の在り方を踏襲するのが妥当だろう。
都心部以外では、タッチ決済が主流となる?
ここまで磁気乗車券のQR化に関して記してきたが、昨今、クレジットカードを中心としたタッチ決済の実証実験が行われており、都心部以外では、タッチ決済が主流となる可能性が結構な確率であると踏んでいる。
なぜ”都心部以外”なのか。それはNFCを用いたタッチ決済は処理速度が0.5秒と、SuicaやPASMOに採用されているFeliCaの0.2秒と比べると、明確に劣るため、都心では朝夕のラッシュアワーで続々と通過する中で、ワンテンポ遅いタッチ決済は、同調圧力により使用が憚られる事態が想定されるからだ。
裏を返せば、FeliCaの高速な処理能力を必ずしも必要としない、都心部以外の地方や地方都市であれば、ガラパゴスな規格の交通系ICカードはオーバースペックであり、その費用負担の重さに耐えられず、廃止する事例も出ている。
また現行では、タッチ決済は交通系ICと異なり、即時で引き落とされる訳ではなく、利用した日の終列車後にデータを集計した上で、翌日にまとめて請求する仕様となっている(デビットやプリペイドでも同じ仕様かは未検証のため不明)。
この特性を福岡市交通局が上手く利用しており、1日でどれだけ乗っても、引き落とされる上限額は一日乗車券と同額の640円となり、1ヶ月でどれほど乗っても、引き落とされる上限額は全線定期券(1ヶ月)と同額の12,570円で設定されている。
つまり、タッチ決済は割引プログラムさえ実装してしまえば、一日乗車券や定期券、閑散時間帯のみ値下げ(ダイナミックプライシング)などを柔軟に設定できることを意味する。
1枚のクレカでタッチ決済していれば、常にベストレートとなることで、”お得なきっぷ”の概念そのものが無くなる可能性すら考えられ、JRが来春に行う連続乗車券や往復割引の廃止も、その布石とも捉えられる。
かつて羽田空港で券売機の手前で運賃表と睨めっこしている地方民で滞留する光景が、2013年の全国相互利用によってほぼ消滅したように、訪日観光客も、わざわざ現金で切符を買う必要がなくなることで、券売機付近で滞留する光景が過去のものとなる可能性を鑑みると、NFCという国際規格に対応することのメリットは大きい。
ただこれにより、NFCの規格のひとつであるFelicaは、同じ仕組みの無線通信技術で競合するため、あちらを立てればこちらが立たずで、一枚のカードに交通系ICとタッチ決済の両方を搭載することが、素人目では技術的に困難と思われる。
つまり鉄道系クレカは、交通系ICを捨てない限り、タッチ決済に対応できない皮肉があり、これは既にJR東日本が発行するビューカードで証明されている。
必ずしも高速な処理速度を必要としないユーザーからすれば、ガラパゴスなFelicaよりも、国際標準規格で汎用性の高いタッチ決済を選ぶのは目に見えており、Suicaが利権化しているJR東日本から見れば、タッチ決済導入は真綿で首を絞める行為だろう。
また、JCB以外でタッチ決済を利用する場合、交通機関を利用するたびに、手数料が海外に流出することを意味するため、積極的に国産の国際カードブランドであるJCBを利用することで、お金を国内で循環させていくことも、利用者として重要な視点ではないだろうか。
現状、タッチ決済は小児運賃などに対応しておらず、課題は多々あるものの、そこは国産の国際カードブランドであるJCBに頑張って頂きたい。課題解決を他ブランドよりも率先して取り組めば、公共交通機関の決済プラットフォーマーも狙える可能性がある意味で、国益の観点でもJCB贔屓は重要だと考える今日この頃である。