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お金持ちほど、須く自分で考えて行動する
SNS上に、お金持ちが多いと感じるワケ
私は投資情報を集める上で、SNSを意識的に排除している節がある。しかし、投資インフルエンサーによっては、真逆の意見でSNSを活用すべきだと謳う人も居る。
しかし、情報リテラシーが人によって異なる以上、ヒューマンエラーを起こした際に、安全側に働くよう、フェイルセーフを意識して行動指針を考えた方が、大事な種銭をつまらないことで失わない意味で、無難だと考えるのは、元鉄道員の性が色濃く出ている。
SNSの拡散力もとい情報伝達速度は恐ろしく早い。情報社会だからこそ、それを活かした方が良いというのは一理あるが、一方で匿名性が担保されていることから、情報の正確性は、どこまで行っても発信者の良識と、自身の情報リテラシーに委ねて精査するコストが発生する側面がある。
それにより、インプレッションを稼ぎたいだけ、投資詐欺に誘導したいだけのエア金持ちが混在しており、それがSNS上にお金持ちが多いと思う要因だろう。言動の全てを見ているわけではないが、稀に流れてくるのを目にする体感では、ホンモノよりも紛い物の数が圧倒的に多いように思う。
そもそも、本当にお金持ちだったら、身バレや住所特定のリスクが伴うような情報発信を、わざわざ行うメリットは承認欲求を満たす以外で、妥当な動機が思い浮かばない。
自分自身が詐欺に引っ掛かるかもしれない程度の、ポンコツさを内包している前提で考えれば、例え情報弱者と思われても、日経新聞や会社四季報といった伝統的なメディアや、企業のIR、証券会社が用意している分析ツール、アクティブファンドの月報辺りを駆使して、投資情報を収集、分析した方が、SNSと比べたらスピード感は皆無かも知れないが、信憑性は高く、騙されるリスクはかなり排除できる意味で、手堅い選択だと考える。
故に投資情報を集める上で、SNSを意識的に排除している。使い所があるとすれば、マネー雑誌同様、面白おかしく取り上げた情報を鵜呑みにする層が今、注目している銘柄がどの辺りなのか、そこから距離を置くための判断材料として使う程度なものだろう。
投資の責任を負うのは、他の誰でもなく自分
そもそも論だが、未来の相場環境がどうなっているかを100%予想できると豪語する人は、詐欺師か未来人しか居ないと思っているのが自論ではある。
雇われ証券アナリストの相場予想が当たった試しがないのは、ある種のコントだとしても、ランダム・ウォーク理論によれば、我々パンピーよりも学のある、金融工学のスペシャリストであったり、経済学者の先生ですら、尤もらしい理屈を拵えて分析したところで、チンパンジーのダーツ投げと正答率は大差ないと主張している。
この辺りからも、未来の株価は誰にも分からないのが正直なところだろう。現に歴史上お金を儲けた経済学者は、ケインズとリカード程度なものだが、その儲けも市場原理を読み解き、売買によって得たものではない。
投資というのは、身銭をリスク資産に変える行為である以上、その責任を負うのは他の誰でもなく自分しか居ない。であれば、誰かの言葉などノイズでしかなく、自分自身の頭で考えた上で、リスク資産に投じるに値すると思えた、納得感のあるアセットに投資するのが筋ではないだろうか。
そうして自身の読みが正しければ、未来に利益が出る。誤っていれば、未来に損失が出る。相場の世界は残酷なほど単純明快だ。
トライアンドエラーを繰り返すことにより、失敗しがちなパターンを見つけては、それをひとつひとつ地道に潰して、同じ失敗を繰り返さないようになると、百発百中とはいかないまでも、上がるか下がるか五分五分な”賭け”ではなく、期待値の高い”投資”が自ずと出来ている筈である。
全体像を俯瞰した上で、進む方向を考える
とはいえ、軍国主義の名残を感じる程度に、没個性が重要視される学校教育や、同調圧力と足の引っ張り合いで、出る杭を打つのが大好きな国民性によって、他人とは一味も二味も違う、独自性のあるユニークな発想ができる人が、この国では変人扱いされる程度に少数派だと感じるため、そもそも自分で考えて行動することに慣れていない人が圧倒多数だと思われる。
しかし、良い成績を取り、良い大学を出て、良い会社に定年まで勤めさえすれば、退職金と年金で悠々自適な老後生活ができて、一生お金に困らない人生が送れるような時代など、とうの昔に失われていることくらい、やれ老後資金不足問題やら、老後破産やら、下流老人たる言葉をマスメディアから散々聞かされ、嫌というほど理解しているだろう。
だからこそ、横並び意識で他人と同じように普通に大学を出て、普通に組織人として勤めても、定年までリストラされないか、そもそも定年まで会社が残っているか悲観しながら上役に阿て保身に走っては、社内政治に巻き込まれ疲弊し、死んだ魚の目をしながら、自宅と会社を満員電車で往復する毎日。
仮に定年を迎えても、満足のいく退職金と年金など出る訳もなく、20代から組織人として築いてきた地位や権力、人脈という名の社会的な居場所を失い、ボケ一直線な環境下で、長生きリスクに戦々恐々としながら老後を過ごす人生に意義があると思えるだろうか。
考えてみて頂きたい。なぜ多くの人は、学校を卒業後に社会に出るのか。生計を立てるためには、どこかの組織に属して、労働と引き換えに賃金を得る以外の方法がないから?本当だろうか?
なぜ会社は利益が出て成長するのか?その源泉は従業員が生み出した付加価値よりも、低い対価しか支払っていない。つまり労働者はピンハネされていることを意味するのではないか。その利益を享受しているのは誰か?
無論、学校教育と異なり、答えはひとつとは限らない。しかし、我々が生きるこの社会の全体像を俯瞰した上で、自分の今居る場所を把握と、長期的にどのような方向へ進むべきかが浮き彫りになると、自ずと中央値的な大衆とは違った行動を取ることになるだろう。それがお金持ちへの第一歩となる。
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