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先行き不透明は不安に、透けると絶望に。
賃金労働一辺倒な人生観の脆さ。
20代ながら今月末を境に、これまで高校を出てから歩んできたキャリアにピリオドを打つ。重責薄給な変則勤務によるストレスが仇となり、20代にして死亡確率40%〜70%の病に倒れ手術に至り、文字通り生死を彷徨った訳だから、人間をやめる前に社畜を辞めるまでである。
高卒の中では恵まれている部類のキャリアを放棄することに対して、勿体ないなどと言われたこともあったが、そこにしがみ付いて命を失う方が、どう考えても勿体ない。
個人的には天秤に掛けるまでもないと思うが、労働を美徳とするプロテスタント的な思想を刷り込まれてきた日本社会では、直感的には理解し難い人が、残念ながら多数派だろう。
大学を出てから定年を迎えるまで、賃金労働者であり続けることに、何の疑問を持たずに10代〜20代を突き進むからこそ、30代前後に将来の見通しや、キャリアの限界が見えた瞬間に、突然虚無感を覚える。
ふと自分の人生はこれで良かったのだろうかと思い、悩むものの結局答えが見つからず、定年まで残り何年と指折り数えるような、思考停止状態で老後までやり過ごす人が多いように見受けられる。
臨床心理学の世界ではクォーターライフ・クライシス(青年の危機)、ミッドライフ・クライシス(中年の危機)と定義されている。私は大卒比で4年早く社会に出たことや、20代で病に倒れたことからこそ、日本人男性の典型とも言える、労働一辺倒な人生観の脆さに気付いたことで、レールの上の人生など幻影に過ぎないと確信した。
しかし、バブル期を知っている年長者の立場で考えると、自分が葛藤を感じながらも長年歩んできたキャリアを、否定されたくないが故に、今の若年層のような、これまでのキャリアに執着せず、バッサリ切り捨てる姿が許容できないか、嫉妬して足を引っ張りたい意志が現れた故に「勿体ない」を発するのだろう。
無気力状態は絶望の証拠。
それが何となく分かるのは、恐らく高校生の自分が、今の自分を見たらきっと「勿体ない」ことをしていると思う気がするからだ。
いくら質素倹約に努めて金融資産の後ろ楯を得ているとはいえ、昨今の疫病、戦争に金融危機が加わりそうな勢いで、全く先行きが見通せない状況の中、後ろ楯が本当に盾として機能するかは定かでない。
そんな状況下で、賃金労働者としてのキャリアを捨てることは、排他的な日本社会の仕組み上、枠から外れたら元には戻れないことを意味するのだから、最悪の事態を想定したら、不安で下手に動くべきではない時期だと、高校生の自分なら判断しただろう。
確かに先が見通せないことによる不安が、全く無いと言えば嘘になる。ただ、不確定要素が多ければ多いほど不安となるのは、人類が生き残るために身に付けた防衛本能によるもので、これは私の中の人間としての意思(ry
しかし、日本社会に生まれた以上、憲法で生存権が規定されているのだから、想定するような最悪の事態になったら、潔く生活保護を受ければ、死に至ることはない。
むしろ、先行き不透明な不安よりも、先が見えてしまったことによる絶望の方が、経験上タチが悪い。
私は高校を出て駅係員となり、1年ちょっとで会社の合理化で、駅長の代理的位置付けの助役が不在となり、弱冠にして助役の代行業務までやらされる羽目になった。
3〜4桁万円もの大金を保管している金庫の鍵を持たされては、現金輸送車に引き継ぐ重責な業務をローテでやっただけでなく、人身事故が起きた際に、現場責任者として対応したこともあった。
本来なら鉄道業界のキャリアとして、現業職で駅係員→車掌→運転士のステップを踏んでから、管理職の助役に進んで初めて味わう景色を、イレギュラーとはいえ、乗務員になる前に、それも同級生が大学生活を謳歌している時期に経験してしまった。
大卒のキャリア採用であれば、多彩な経験として後々活かせるのかもしれないが、高卒でノンキャリア採用な以上、どれだけ昇っても中間管理職が関の山で、経営に携わることはなく、自身の天井を知ってしまったに等しい。
同期は乗務員に昇ったところで、まだ管理職の世界を知らないため、そこを目標に突き進めるが、私だけは、その先に自らが求めるような正解など存在しないことを、既に知っているが故に、現業職の頂上まで登ったところで燃え尽きてしまい、コロナ禍と相まって無気力状態と化した。その状態を続けた結果、内臓が悪くなり発作で倒れた。
怠惰は美徳。
持たざる者として生まれた大多数は、安定した生活こそが善だと信じて、何の疑いも持たず、生計を立てるために賃金労働をしている。確かに現代社会で、大卒、大手企業、正規雇用の枠組みに嵌っている人の暮らしぶりは安定している。
しかし、その中でどれ位の割合の人が、生き生きと生活しているのか。これまで鉄道員として平日も土休日も、年末年始もお盆休みも関係なく、早朝から深夜まで勤めてきた。
だから旅客の表情が、月曜の朝から金曜の朝まで死んだ魚の目をしていて、金曜の夜から日曜の昼くらいまで明るくなるものの、日曜の夜には影をおとす人が圧倒多数であることを私は知っている。3連休以上だとこの傾向は顕著になる。
あくまで首都圏で見てきただけだが、都市部であれば似たり寄ったりだろう。これが枠組みに嵌っている人の安定した、レールの上の人生である。
もし生活に困ることがなければ、今の賃金労働を続けるだろうか。品川駅のコンコースもとい社畜回廊に「今日の仕事は、楽しみですか。」の広告を掲示して炎上したことからも、NOと答える人が多数派だと考える。
それくらい日本人は仕事を苦痛だと感じており、その状況が国際調査の統計でも有意差として現れている。それにも関わらず、小中高生のなりたい職業ランキングに会社員や公務員が浮上することには危機感しかない。
怠惰は美徳。エンジニアやプログラマーの言葉らしい。私も霊長類ナマケモノ科として激しく同意する。学生が諦める程度に、賃金労働者に成るべく教育で刷り込まれるが、その生き方は壮年〜晩年に生きる意味を見失う可能性が高い。
労働は仕方のないものだと受け入れるのではなく、どうしたら働かずに生きていけるか、そのためには何が必要なのかを自分の頭で考え、試行錯誤することで、多少不安は多いかも知れないが、生き生きとした生活が送れる可能性がある。
価値観は人それぞれだから、いずれかを否定する意図はないが、どちらを選ぶかはあなた次第である。私は後者を選んだ。