資産運用と心理会計。
観光先のグルメを高くても食べる理由。
行動経済学に触れたことがある方なら、「メンタルアカウンティング」、「心理会計」や「心の財布」という言葉を聞いたことがある方もいるかも知れない。リチャード・セイラー氏が提唱した概念で、人は同じお金でも心のなかで色分けしていて、時に非合理的な選択をするという内容である。
例えば平日のランチ代は500円を超えると「高い」と感じるのに対して、休日の旅行先で食べるようなご当地グルメには1,500円以上支払ったりしている。
もし、同じ昼食代として考えるのであれば後者は、前者の3倍の予算を費やして食欲を満たしていることになり、経済的には非合理的と言える。しかし、多くの方はこの感覚に違和感を覚えることだろう。この違和感の正体こそが「心理会計」なのである。
たとえ同じランチ代であっても、前者は栄養補給のための必要経費として心のなかで勘定しているため、安ければ安いほど良いと考えている。しかし、後者は娯楽としての旅費や、非日常を味わうための遊興費として勘定しているため、値段よりも自分の気分が高揚するようなものを優先的に選択するため、普段のランチ代より高くても良いと無意識的に考えているのである。
特に観光地の名物グルメは、この戦略を最大限利用しているため、観光客が有難がって食べるような特産品は、地元民ほど食べないという謎の現象が発生する。これは、地元民からしたら日常で食べるものとしては割高だからである。
心理会計を活用できると貯蓄体質に。
上記のような人間の心理特性を理解することで浪費を防ぎ、貯蓄体質となる仕組みを設計することも可能となる。
典型となるのは財形貯蓄などの先取り貯蓄だろう。給与から天引きされる形で財形貯蓄用の口座に振り分けられるが、財形貯蓄を取り崩すには最低でも一年間積み立て、払い出しもATMの出金操作ほど簡単ではなく、会社を経由して申請書を提出するなど煩わしいことから、生活資金のアテにするような使い方はせず、大きな出費が必要になった時に払い出すのが一般的である。
同じ貯蓄であっても、銀行口座に保管されているお金と、財形貯蓄用口座に保管されているお金と、心理的な勘定を分けているからこそ、財形貯蓄は貯めやすいのである。
個人事業主やフリーランスの方で、この制度を利用できない方も一定数居るため、個人的に勧めるのは複数の口座を開設して、用途に応じて使い分けることである。
これは、リベラルアーツ大学でも紹介されており、プレゼント用の口座という発想はなかったためユニークだと感じたものの、個人的には貯める口座の剰余金は、交際費に使い切る形で充てている感覚がそれに近いのかも知れない。
私の場合、以下の様に口座もとい心の勘定を分けている。
・使う口座→楽天銀行
・生活防衛資金用口座→ソニー銀行
・貯める口座(遊興費)→フリマアプリの売上金
・増やす口座→SBI証券(個別株)、楽天証券※・マネックス証券(投資信託)
※楽天証券は投信積立改悪に伴いクレカ積立は休止。投信は資金が必要なタイミングで売却し、ゆくゆくはマネックス証券に一本化する予定。
資産総額が膨らむと、金銭感覚と連動しなくなる。
私が高卒で社会に出た当時は、資産運用へのハードルが今ほど低くなかったこと(特に米国株式)や、YouTubeなどのウェブメディアが充実する前だったこともあり、体系的にお金の知識を得るのも一苦労で、独学で試行錯誤していた。
結果として奇跡的にユダヤ人大富豪と似たような体裁となり、当時は気になることは徹底的に深堀りする自分の性が、資産形成で役立つとは思ってもみなかった。
そうして現在は20代単身者の上位0.8%に相当する金融資産を保有しているが、運用総額が大きくなる過程で、証券口座の数字と銀行口座の数字が、次第に同じ単位と思わなくなっている自分に気が付いた。
私の場合、運用総額が500万円を超えた辺りからこれを感じ始め、1,000万円辺りから心のなかでは完全に別物として区別するようになっていたが、これも心理会計の一種だと思う。
年収400万円でボーナス4ヶ月の会社員の場合、月給はおよそ25万円で、そこから税金や社会保険料などが諸々控除されると手取りは20万円に満たない、同世代では平均的な収入レンジである。そのため、私の金銭感覚は平均的か、周囲より金融リテラシーが高い分、一段とシビアかも知れない。
ATM手数料はこれまで生きてきて支払った試しがないし、携行品に水筒は欠かさないので自販機を使うこともなければ、職場には弁当持参でコンビニも利用しない。仮に何か買うとしても優待のクオカードを利用して身銭は切らない。収納代行の手数料すら毛嫌いして、できるだけまとめて支払って1件辺りの費用を低減する位である。払わずに済む価値を感じないものに対しては1円たりとも支払わないことを信条に生きている。
そんな、意味もなく銀行口座の数字を1円も減らしたくないどケチ倹約家が、証券口座が10万円単位で変動しても動じないのは、心理会計の賜物である。
運用総額が1,000万円の場合、相場が2%変動するだけで毎月の手取り額以上の金額が、4%変動するだけでボーナス以上の金額が増減するのだから、銀行口座と同じ金銭感覚で向き合っていたら、きっと身が持たないだろう。
実際に疫病で相場がパニック売りとなった際、時価総額は25%程度下落し、入社1年目の手取り年収相当額がものの一週間で吹き飛んだ。通常のメンタルなら狼狽売りしかねないが、私は大衆とは感性がズレているため、世界経済が成長する限り、相場は一時的に下落してもいつかは高値更新する。今は滅多にないバーゲンセールだと歓喜し、生活用口座を全額使い切る勢いで買い注文を入れ、半年後には実利を得ていた。
私の経験では、生活資金と投資資金の心理会計は、時間をかけて形成されている。最初の頃、種銭として用意した3万円が増減するのを毎日確認していた。
投資元本が増えるに連れて、毎月の携帯代とか、ちょっと良いランチが支払える位の額が増減するようになった辺りで、時価で一喜一憂しても疲れるだけと思うようになってからは、投資とはそういうものだと腹落ちして、日経平均と機嫌や財布の紐が連動しなくなった。
含み益、含み損は確定させるまで幻影でしかなく、一瞬でお金が増減したような感覚もただの錯覚でしかない筈だが、この感覚に囚われて、相場と財布の紐が連動している人が、思いの外多い印象である。
そして、1日で月給以上の額が増減するようになってからは、自分の力ではどうにも変えられない、自然の摂理のようなものと考えるようになった。
こうなると時価総額は天気予報を見たときの感覚に近く、今日は晴れ、曇り、雨程度にしか思わなくなった。稀に大規模な自然災害が発生して、貰い事故が起きても現実世界の災害と違い、放置していれば自然に復旧することが殆どである。この境地に一朝一夕で辿り着いた方がもし居たら、是非とも呑み交わしたいものである。