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持株会はハイリスク。

退職後に株価が好調かは運。

 持株会に限った話ではないが、積み立て投資で持て囃されるドルコスト平均法は、暗黙の了解として、市場が右肩上がりであることが前提とされている。平均取得単価よりも、最後に売りに出す時の時価の方が高くなければ損をするのだから、当然ではあるが。

 しかし、市場が右肩上がりである確信前提のもとで投資をするのなら、始めたばかりの頃が最安値なのだから、最初に全力で買い、その後は積み立てなんてせずに放置した方が、同じ投資元本でも平均取得単価は安い。

 なぜそれをしないのかと言えば、いきなり大金の投資元本を拠出できないのと、数年から数十年スパンで市場が暴落するからである。ちょっとずつ積み増していけば、痛みは少なく、狼狽売りすることもない。

 そもそも持株会はインサイダー取引を防止する観点から、在籍中に売買するタイミングは限られ、流動性リスクがあると捉えることが出来る。よって換金するのは退職後となる可能性が高い。故に狼狽売りも出来ないが、その利点が後に諸刃の剣にも成り得るのである。

 昨今の疫病にしても、戦争にしても国内では2月に騒がれ始め、3月位から市場が冷え込んだ。定年を迎えるのが3月末の場合、持株を移管したり、売却する時期としては最悪だ。

 会社に株を拘束されていたから愚直に積み上げられていただけの、今まで資産運用をして来なかった人が、いきなり数十年間積み上げてきた持ち株が大幅なマイナスで売買可能な状態となった時に、平常心を保てる保証があるだろうか。

 それに退職後、それも定年退職だった場合、余命が20年前後が平均的だとして、老後期間の全てが好景気である保証はどこにもない。世界恐慌の際は、株価が恐慌前の水準に戻るまでに15年もの歳月を要した。定年退職後に世界恐慌級の暴落が発生した場合、せっかく積み上げたの資産を、最悪な株価で手放す羽目になり、老後破産一直線なんて結果になりかねない。

 また、古巣が不祥事を起こして、暴落したり、紙切れになるリスクもある。未来の株価は誰にも分からないのに、ポートフォリオが一社に集中していて、余命が長くないのなら、いかに株価が好調なときに売り抜けられるかが重要なのは、理解して頂けると思う。

 それ位、集中投資と言うのはハイリスクな手法で、それを奨励金などに釣られて持株会に加入してしまう程度の金融リテラシーの方が、退職時にまとまった株数で受け取るのである。適切な運用が出来るかも、株価が好調かも定かでないにも関わらず。

勤め先が例え優良企業であってもリスキー。

 とは言え、勤め先がトヨタなどの超が付くほどの優良企業の株なら、保有しておいて間違いないのだから、奨励金を受け取りつつ愚直に積み立てるのは最良な資産形成のように思える。

 しかし、仮にトヨタの社員だった場合、雇用契約を結び、企業に労働力を供給する対価として賃金を得ているわけである。その賃金の一部を、富を生む金融資産に変えるのは良いことだが、個人の給与所得も、金融資産所得も、勤め先一社に集中している状態は、その会社と運命を共にすることを意味する。

 今の時代はICT化の煽りもあって、企業の寿命はどんどん短くなっているのは米国企業を見れば明らかである。日本の場合、大企業が債務超過に陥っても国策で救済した結果、ゾンビ化しているところもあり、企業の新陳代謝が米国ほど進んでいない側面はあるものの、基本的には先行きが不透明である。

 その証拠に、社長が終身雇用を維持するのが難しいと発言したり、年功序列を口実に、若い時の賃金は安く抑えられ、年数を重ねてもバブル崩壊以前の社員ほど昇給せず、責任や労力に見合っているとは言い難い賃金。やっと安く使われた頃の低賃金を回収するフェーズに入る頃には、時給単価の高い社員を狙い撃ちした希望退職者の募集などにつながっているのではないだろうか。

 かつて持て囃されたエレキメーカーや銀行の惨憺たる現状を、バブル期に誰が予想しただろうか。失われた30年とは言うが、たった30年前の出来事である。その頃に引く手数多な就活で入社した新入社員が50代となった今、希望退職者として狙われているのだから、例え勤め先がどれほどの優良企業であっても、キャッシュフローを一社に集中するのはハイリスクであることには変わらない。

真の安定とは。

 過去にも似たような趣旨を記しているが、大企業や公務員だから安定していると言うのは幻影である。安定とは、自分ひとりの力で生きて行けると確信した時に得られるもので、大企業や行政機関にキャッシュフローを依存している時点で、雇い主の言いなりになるしか生きる術を持ち合わせていないのだから、そこから安定を得ることはできない。

 心理学の世界で、人が絶望する時は、他に選択肢がなく、袋小路に迷い込んだ時と言われている。裏を返せば、他に選択肢がある時に、人は幸せで居られるのではないだろうか。

 米国の慣用句でF◯ck you moneyたるものが存在する。これは、社会人でこんな仕事やってられねぇ!と思った時に、F◯ck youと捨て台詞を吐いて辞めても困らないだけのお金があることで、筋の通った生き方が出来ると言うものである。

 日本では過去に公文書の改ざんなどを指示され、良心の呵責に耐えられず自決したであろう公人の話を何度か聞くが、もし一年間生活する分に困らないだけの貯蓄があれば、いざという時に辞職すると言う選択肢があって、極度に追い詰めらるまでには至らなかったかも知れない。仕事は選ばなければいくらでもあるだろうし、一年あれば落ち着いて今後を考えることも出来る。

 しかし、貯蓄ゼロだとそうは行かない。現に20代単身者の保有金融資産額の中央値が8万円と、金融広報中央委員会の統計で明らかになっているが、その日、その月暮らしの生活では、雇用主の言いなりになるほかなく、例えブラック企業であっても辞めるに辞められず、いつまでの搾取され続け、追い込まれた矢先に自決しているのが現状だと推察している。 

 即座に辞職しても困らない金額は人それぞれだが、雇用の流動化が進んでいる米国や、社会保障が充実している欧州なら、生活費用半年分もあれば十分かも知れない。

 そして、晴れて生活費用が25年分貯められると、金融資産所得の利子、配当所得分だけで食べていける、理論上アガリの状態となるのが最近話題のFIRE、経済的独立である。

 ここまで資産形成が進めば、これから一生働かなくても生きていけると言う最強の選択肢を持つことができ、これこそが誰にも依存せず(厳密には資本主義社会に依存しているが)、大企業勤めや公務員よりも安定した生き方と言えるのではないだろうか。

 それには資産運用が必要不可欠だが、運用スキルを養う観点でも、勤め先一社に集中投資する持株会は適さない。誰にも束縛されない自由や安定を求めるのであれば、奨励金などには惑わされず、身銭を切って本気で資産運用に臨むのが最適解ではないだろうか。


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