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最近話題の山投資について。

 昨今のキャンプブームの後押しもあり、山投資の話題や書籍が出るようになってきている。山を取得する費用は高くても数十万円、安ければ1円。運が良ければオーナーからお金を貰える。管理の手間はほぼかからないのに、電柱や送電等の敷地料が入ってくる。加工すれば売れる樹木。タケノコ、松茸も採れる。

 一見すると良いことづくめのように感じるが、まずは世の中そんなうまい話があるはずがないと疑って分析するのが私の性格の悪さ慎重さである。これから、私が調べた情報と持ち合わせている知識の範囲で山投資がアリかナシかを検証していく。

現場の山投資はババ抜き状態。

 結論から先に記すと、現状、山投資はババ抜きとなっている可能性が高くナシだ。ただ、一定の条件が揃うのであれば、将来的にはアリになる可能性は秘めており、少なくとも住宅系の不動産よりは活用の余地があるが、私は今買おうとは思わない。

 投資の世界では耳にタコが出来る程度によく聞く話ではあるが、本当に儲かるのであれば、その情報を独占して、誰にも気づかれないように稼ぎ続けるはずである。

 だから、性格の悪い私は不運にも商品を猛プッシュする営業マンやマルチ商法に遭遇してしまった場合、「そんなに良い内容なら、誰にも教えずに自分だけ契約ないし購入した方が得する筈なのに、なぜ赤の他人に勧めるのか?」とニヤニヤしながら問いかけ出方を窺うようにしている。

 一般論として、稼いだノウハウを公開すると言うことは、既に同じ手法では稼げない段階を迎えており、そのババを誰かに引かせて自分は逃げ切ろうと考えるのが高額の情報商材などで、よく目にする手口である。私にはどうしても同じ匂いを感じてしまう。

 「山投資の始め方」の著者である永野さんは早稲田大学法学部を卒業している。一般の人よりも優秀な頭脳を持ち合わせているはずだから、我々一般人が頭脳戦で勝とうと思わないほうが無難である。

 投資の世界では、自分だけは大丈夫などの過信や傲慢さは破滅を導く。無能であることを自覚した上で、戦略を練るほうがよっぽど堅実な運用ができるというのが私の投資感覚である。

山を買うのは確かに安いが。

 仮に50万円で買ったとしても、固定資産税も年間に1万円程度とそこまで不良債権な感じは見受けられないが、きれいな山を維持するのは都会の人が想像するよりも難しい。

 自身の労力で間伐作業を行おうとすれば丸1日かけても終わらないような大仕事となるし、業者に外注するとなると多額の外注費が発生する。つまり、管理の手間がほぼかからないようにするには外注費用が必須で、維持費が余計にかかってしまう。これではキャッシュが出ていく一方の負動産である。タケノコばかり採れたところでお金にならなければ仕方がない。

 仮に間伐をせず放置した場合、密林となってしまい、1本1本の木にしっかりと日光が当たらなくなってしまう。そうなると、森全体が日光不足に陥り、間伐した場合と比べて悪い状態となってしまう。木々に栄養素が行き渡らなければ、根を張る力も弱くなり、豪雨などにより土砂崩れに発展する危険性が増す。土砂崩れによって、ふもとの民家などに被害が生じた場合、責任を問われるリスクもある。

植樹に責任を持てるか。

 木は植えてから成長するまでに50年かかるとされている。今、行き場を失っている木材の多くは、高度経済成長期に多くの木材を消費したことにより、政府主導で1961年頃に植樹されたものとされている。

 投資の観点で逆算すると、はげ山にせず持続可能とされる伐採量は、1年間で全体の2%。木材を売って利益を得ようと考えても、植樹して持続させる前提では利回りが2%しかないわけである。なにより、ドイツから1本1万円で輸入したほうが安上がりな現状では、国産の木材の多くは行き場を失っている。

 それに、5年、10年先が読めないような目まぐるしく変化する現代において、植樹した本人が50年後まで責任を持つのは難しい。自分が30代で植えたとしても、立派に成長するのは80代。下手したら寿命を迎えている。末代まで林業を続けさせるだけの覚悟を持って植樹しなければ、現在問題となっている持ち主や境界が不明という事態になることは容易に想像がつく。

エネルギー問題に直面したら勝機。

 今騒がれている経済制裁の影響から、ガスを安く輸入することができなくなってしまった。おそらく、今後の電気料金は高騰する。その際に、電気料金が高騰する位であれば、原子力発電を再稼働させると言う風潮になればまだ良いが、原子力アレルギーな国民性が色濃く出てしまった場合、石油に頼る他ない。太陽光や風力、地熱といったクリーンエネルギーも存在するが、これらでは現代の電力消費量を賄えるだけの発電量を得られない。

 石油が輸入できるうちはいいが、資源は有限だから、いつかは底を尽きる。石炭も蒸気汽関の時代にほとんど掘り尽くしてしまっているわけだから、採掘技術の発達や新しい資源を発見しない限り、いつかは分からないが、今のペースで資源を消費し続けていれば必ず枯渇する。

 そうなると、将来的には、木材を燃やして発電する可能性が想定される。このタイミングで山のオーナーであれば、需要過多となるため、木材は飛ぶように売れるのではないかと考えている。勝機があるのはそこである。

 他にも食糧危機で昆虫食が市民権を得られれば、山は養殖環境として適しているため、マネタイズに繋げられる可能性もあるが、これもエネルギー問題同様、いつその時が来るのか予測できない。大豆による代替などの技術も発達しており、石油同様、1980年代から一貫して、40年後に枯渇するなんて事態になりかねない。可能性はあるが、今ではないというのが私の考えである。


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