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借りたお金は返せ。返せないなら借りるな。


金は命より重い?

 「金は命より重い」はカイジ利根川の名言だが、刑法の定義上、重罪は国家転覆>通貨偽造>殺人となっていることからも、捉え方によっては単なる正論となる。

 そんな命より重いお金だが、「おカネの教室」では入手する方法を、
・かせぐ
・ぬすむ
・もらう
・かりる
・ふやす
・???(読んでみてのお楽しみ)
の6パターンで大別している。

 良い大学を出て、良い企業に就社する的な、社会の多数派である、いわゆるサラリーマンの人生設計だと、仕事で「かせぐ」、教育費用、車や住宅の購入時に「かりる」以外でお金を得る方法を知らない人が多い印象だ。

 最近になって、NISAの大幅拡充や、高校生の金融教育と、国策で「貯蓄から投資へ」が推奨されていることから、資産運用で「ふやす」も、金融リテラシーが高い人から浸透し始めている肌感覚はある。

 とはいえ、NISA口座の開設数がようやく2,000万超となっていることからも、口座開設している時点で国民全体の上位20%に位置する辺りが、まだまだ黎明期感が強い。

 それこそ、無料だから取り敢えず口座開設しただけの休眠口座もあるだろうから、NISAの枠で真っ当なインデックスファンドで積立投資をしている人など、10人に1人居るか居ないか程度なものだろう。

 「ぬすむ」は、社会の枠組みから外れてしまった方々が、万引きや詐欺、最近流行りの強盗辺りで、他人のものを奪うという、刑事罰のリスクと表裏一体で行うため、ある程度の社会的地位が確立されているサラリーマンからすればリスクに見合わない。

 それが抑止力として働き、基本的に手を染めるインセンティブがない人が多数派だからこそ、世界的に見ても治安が良い国となっている。

 「もらう」は、実家が太い的な親ガチャSSR棚ぼた贈与のパターンと、流行りのパパ活もとい売春の見返りとして贈与されるパターンの、究極の二択で大別されるため、多くの人には縁のない話だろう。

 ちなみに後者が「かせぐ」ではなく、「もらう」なのは、税法上、贈与との見立てが一般的なため。まぁ確定申告できる程度のリテラシーがある人であれば、そうしたグレーな行為のリスクを知りながらやるメリットもないため、誰のために厳密に区別しているのかよく分からないが。そして、最近のトレンドによると、4,000万円以下の納税は任意らしい。

 要約すると、金は命より重い。

18歳が気軽に借金できる世の中。

 以前の記事で、”どこかのNPO団体が「奨学金帳消しプロジェクト」と銘打って社会活動をしているのがモヤる節がある”と伏線を作ってしまったため、ここから先は回収作業となる。

 2023年の大学進学率は57.7%と、半分を超えている高学歴社会だ。とはいえ平均のマジックで、人口の多い都市部は3人に2人が進学して、平均を押し上げているだけであり、数字を鵜呑みにはできない。

 現に地方部はおおよそ2人に1人が進学する格好と、地域間格差は考慮する必要があるが、それでも統計上は高校生の半数以上が、高校を出た直後に大学へ進学している。

 そもそも大学というのは研究機関であり、研究はいわゆる頭の良い人が行うものである。つまり、大学に進学すべき人は、真ん中より上位の学力がある人、偏差値換算で50以上の人が行くべき場所であり、下位半数の学力しか持ち合わせていない高校生が、高い学費を払ってFランク大学みたいなところに進学するのが、果たして日本社会にとって理に適っているかと問われると微妙である。

 大学進学率が6割近く、そのうちの約半数が奨学金という名の教育ローンを組んででも大学に進学して、平均288万円の借金を背負った状態で社会に出る。一世代の割合にして3割と決して少ない数字ではない。

 そうなると、周囲に合わせて何となく進学して、根拠のない楽観から気軽に借金して、いざ就活になると大卒でも職に就けなかったり、社会に出たところで安月給で、2年目から住民税が天引きされるようになると、奨学金の返済がボディブローのように効いてくる。

 そのため、延滞などが社会問題となるのも頷ける。現に貸与型奨学金利用者の9%が延滞などの返済トラブルを抱えている。一世代の割合にして2.7%ともなると、高校が40人学級なら、クラスの1人は奨学金の返済で窮地に追い込まれている計算となる。

 各クラス1人ペースで、奨学金によって人生詰んだ人を束ねたら、帳消しプロジェクトが一定程度支持されているのも頷けるが、問題なのは奨学金ではなく、借りる側のリテラシーと、高学歴社会で高卒の肩身が狭いことである。

 借りたお金は返せ。返せないなら借りるな。別に変なことは記していない。小学生でも理解できる当たり前のことである。

 手前味噌だが私は偏差値50以上あった。それでも、別に高校を出た直後に大学で何を学びたい訳でもなく、大卒になったところで就職できる確約がない以上、借金してまで進学するほどのことではないと考え、高卒で社会に出た。そして、自分が働いて得た賃金から学費を工面して、今は大卒である。

 高学歴社会で高卒の肩身が狭い世の中とはいえ、現場仕事なら高卒でも就ける。どうしても大学に行きたくなったら、年間20万円〜で学べる夜間や通信制など、賃金に見合った学費の選択肢はある。

 なにより一度、社会経験を積むと自分に何が足りなくて、何を学びたいのかが明確になるうえ、働いて得た身銭を切っているから、学びの姿勢は真剣にならざるを得ない。

 世間ではそれを苦学というのかも知れないが、本気で借金せず、大学に行きたいと思ったならば、私みたく、やりようはある。

 それらを模索せずに、周囲に流されるがまま進学して、後先考えずにお金を借りては、人生の夏休みを謳歌し、卒業後にやっぱり返すの辛いです。帳消し求む。と主張されても、リターン(就職先)が不明確な中、金銭的リスクを取ってまで高校を出た直後に進学したのは誰ですか?と考えの甘さにモヤる。

 その社会活動をするエネルギーがあるなら、大卒でなくても食える社会に変えるとか、将来世代のために、大学まで公費で面倒を見るべきだと主張するのが筋であって、徳政令カードプリーズはいかがなものかと思う。


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