勝って結構、負けて結構'e
完全燃焼、全力を尽くす
過日、東京都美術館の岡本太郎展に来場し、岡本哲学を存分に浴びてきた。ミュージアムショップにて、タイトルにもある「勝って結構、負けて結構。」が印刷されたクリアファイルを、ひと目見て競争社会へのアンチテーゼとしてこれ以上優れた名言はないと思い、即購入するに至った。
太朗さんがこの主義を生涯貫くにあたって課した条件が「ただ、完全燃焼、全力を尽くす」と、何事も全力で取り組んでいれば、例え世間的な評価では負けだとしても、自分軸でやり切ったと思えることが重要であると、人生哲学の本質を突く名言である。
私は学業成績が平均的で、早生まれ故に身体が小さく、小学生の段階から同級生との体格差で成功経験が積めなかったため、高校生の体力測定で平均以上の結果が出ているにも関わらず、運動への苦手意識が強い。
また、自己肯定感の低さから、自身が良い大学を出て、良い企業に就けるようなスペックの人間には到底思えなかった。故に工業高校を選択。大学進学は目指さず、手に就を付ける方向に舵を切り、相対的に上位の成績を修めては内申を稼ぎ、推薦枠で就活をした結果、高卒で鉄道会社に入社した。
大学へ進学した同級生が就活に追われる頃には、電車の運転免許を取得するなど、下手に奨学金を借りてFランク大学に進学するような、一般常識に囚われた進路よりも、世間的には勝ち組と評される道を歩んでいた気がしていた時期もあった。
俗世の勝ちと、自身の価値は別問題
しかし、20代前半という圧倒的な若さで、鉄道業界の山頂まで一目散に登り切ってしまったが故の、この先の長い人生がもう下り坂しか残っていない現実は到底耐え難く、袋小路に陥った絶望感に苛まれた。
そして、コロナ禍がダメ押しとなり、社会からも必要とされていない感覚が日に日に増大することで、次第に病んでいった。
鉄道会社のキャリアパスは基本的に、駅員→車掌→運転士と進み、乗務職場を何年も経験した後は、助役、駅長と言ったいわゆる中間管理職として勤め、管理職として組織の上部にのし上がる形態となっている。
私は駅員時代に管理職が常駐していない駅で、管理職の代行業務を行なっていた経験があったことから、青二才ながら管理職がどんな仕事をしているのか全体像を掴めていた。
平社員の賃金で人身事故の現場責任者まで経験したのだから、同期との入社3年目研修で、典型的な指示待ち人間が量産されている組織で、自発的に行動できる程度の差が開いたことからも、どこの環境に身を置くかの重要性を改めて認識したが、決してブラック職場を肯定する趣旨はない。
そんな周囲よりも広い視野で物事を観察する中で、人間嫌いな私が管理職として上層部と現場の板挟みに耐えられるイメージが湧く筈もなく、花形職場である乗務員の先には、自身が求めるような世界がないことを、弱冠にして知ってしまった。
会社の頂点、いわゆるCEOや代表取締役までのし上がれば、単なる組織の歯車である従業員から、会社経営者として裁量と責任が生じる立場として、多様な経験が積める可能性があるが、生憎高卒採用の現業職員に、そこまでのキャリアは用意されていない。
大企業経営者の経験が積める可能性を秘めているのは、大卒の幹部候補生として採用された、高学歴なのに鉄道畑に来てしまった残念なエリートのみに許されたオプションだ。
高卒採用に用意されているキャリアパスは、組織の歯車以上でも以下でもない中間階級で、ガラスの天井を眺めながら、熾烈な出世競争に揉まれているうちに、定年を迎えるシナリオであることは明白であった。
そのため、乗務職場に進んでからは、鉄道業界に身を置く限り、延長されるであろう定年(65歳想定)まで、40年以上残されている中で、既に下り坂しか残されていない閉塞感から、鉄道員としては完全に燃え尽きた。
そうして負けを認め、業種も職種もドラスティックに変えようと決意した際に、学歴やこれまでの専門性が仇となり、学校を出てから有名企業で正規雇用として、一切の傷がない経歴にも関わらず、転職市場では全く評価されない体たらく。
世間的には勝ち組のキャリアを歩んでいるように見えるかも知れないが、人生の主導権を握りたい当事者からすれば、やり直しが効くと言われる20代で、何ら失敗していないにも関わらず、労働市場は、即戦力は期待できないが、ポテンシャルで評価するほど若くもなく、ただただ”扱いづらい”評価しか得られなかった。
こんな納得感のカケラもない仕打ちから、詰みに等しい状態が露呈し、またしても袋小路に陥った絶望感に苛まれた。自身の意志である程度自由に仕事を変えられない現実は、主観では完全な負けである。
それと同時に、文字通りレールの上の人生を歩んでいたら、しれっと一般社会の枠組みから外され、若さ故に自己責任論で片付けられる、若者に優しくなく理不尽で、不寛容極まりないこの社会に対して怒りが湧いた。
どうせ底辺扱いなら、いっそのこと開き直って、落ちるところまで落ちて、大して税金も納めず、社会保障にはズブズブに浸って、便益ばかり受けて搾取してやろうとすら考えるようになった。
データを分析し、失敗の傾向を知る
そんな心が荒廃した時こそ、太朗さんの「勝って結構、負けて結構。」が沁みる。人生哲学としてはもちろんのこと、投資哲学としても活用の余地がある。
投資の世界で負けを認められないと、損切りできずに塩漬けして、資金効率を悪化させる元凶を量産させてしまうが、心の底から負けて結構と思えると、冷静な時に設定した損切りラインに基づいて、機械的に売るだけだ。
予め保険として入れておいた逆指値が、フラッシュクラッシュなどの不本意な形で約定してしまったとしても「仕方ない、そんなこともある」と受け止められるから不思議である。
とはいえ「負けて結構」だけで終わらせず、都度反省しては経験値とデータを集め、自身がどんな環境や、どんな条件のときに失敗したり、負ける可能性が高いかを、ロジックを上手く活用して言語化しておく。
そうすると将来、類似の状況に出会した際に、同じ過ちを繰り返さず、過去とは違うアプローチで同じ負け方を回避できたり、引き出しを増やして期待値を高めることができる。
私たちが身を置く競争社会で勝つことは、成功するための”いち手段”に過ぎず、それが”目的化”してしまうと私のように自身を苦しめかねない。
大事なのは主観で”成功している”と思えるか否かであり、客観的な勝ち負けに大した意味はない。勝ち負けの経験から何を学ぶかが、いわゆる成功者となるための道標になる気がしてならない。
私は職業選択で、知名度、世間体、正規雇用を重視した結果、自身の価値観に合わず主観では負けだと思った。
組織人が向いていない社会不適合者であると、改めて得た結論を元に、賃金労働者にピリオドを打ち、現在は世間一般にはニート以下の負け組と忌み嫌われる個人投資家として、価値観に合った生き方で、主観で成功だと思える生き様にシフトしている。
[増補]投資家は「自由と自己責任」の仕事
死ぬ死ぬ詐欺でお馴染み森永卓郎先生が”農業こそ、「自由と自己責任」の仕事”と、大都市に蔓延るコンピュータの指令の下、マニュアルどおりに働く「ブルシット・ジョブ」との対比で表現している。
100%自身の裁量で取引を行う個人投資家も、身体を動かさないのが玉に瑕だが、農業と近いものを感じる。投資には厳しい結果責任がともなう。いくら頑張っても相場に翻弄されてしまう。しかし、その相場と付き合う手段は、すべて自分で選択できる。
伝統的資産だけで構成するか、オルタナティブ資産を含めるか。アセットアロケーションやポートフォリオの配分はどうするか。インカム狙いか、キャピタル狙いか。アクティブ運用か、パッシブ運用か。バリュー株か、グロース株か。取引する際のマイルールは…
相場と付き合う手段は全て自由に選べるが、それを選んだ瞬間から結果責任が伴う。結果が伴わなければ、自分自身の意思決定に至らなかった点があって、誤った選択をした事実を厳粛に受け止める覚悟が求められる。投資の世界は、そんな厳しさがある。
往々にしてサラリーマンは、上司が十分な裁量を与えてくれないから、思うような成果が出ないと愚痴をこぼすが、逆説的に100%の裁量を与えられたら、コンピュータの指令の下、マニュアルどおりに働くよりも高い成果を出せるだろうか?もし仮に成果が出なかった際に、責任を取れるだろうか?
エーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」を掻い摘むと、自由とは、耐え難い孤独と痛烈な責任を伴うものであり、自由の中で幸福に過ごせるかは、自我と教養の強度によるとされている。
サラリーマンは社会に束縛されているからこそ、自由を求める嫌いがある。しかし、自由の身になった先にあるものは”耐え難い孤独と痛烈な責任”であり、それに耐えられるだけの”自我と教養の強度”を持ち合わせている人は多くない。
日本に生まれた時点で、誰もが証券口座を開設でき、株式市場で自由に売買できるにも関わらず、その売買だけで生計を立てる人は、耐え難い孤独と痛烈な責任に晒されるため、ごく少数に留まるのだと思う。よって、投資家は「自由と自己責任」の仕事と言える。いかがだろうか。
蛇足だが、私は鉄道業界という裁量は与えられないが、操作や判断ミスで事故ったり、死人が出た際は責任を取らされ、おまけに日勤教育という名のペナルティまで科せられる地獄、もとい労働環境に身を置いていた。
そんなクソみたいな境遇だったため、何もかも自由で、ミスをしても他人の命を奪うことがない投資家は、天国だと感じる程度に”痛烈な責任”の度合いが軽い。だからこそ結果責任の伴う個人投資家を、専業で続けられているのは何とも皮肉である。