暇人ほど成長する余地がある。
社会人と並行して取り組んだ初経験。
高校時代、学費は高くて貸与形の奨学金は必須だし、大学生にはいつでもなれるからと、高校を出た直後は進学せず、鉄道員として社会に出た。
そうして社会人生活を何ヶ月か繰り返しているうちに、社会人と並行して何かをやるのは結構な労力が必要であることを察したが、そんな弱気な自身とは裏腹に、過去の自分の置き土産は容赦なく期限が迫る。
自動車教習所である。18歳にならなければ仮免許が取れないが、私は早生まれであるが故に、繁忙期で予約が取れない時期にならなければ、第二段階に進めない。そして新社会人となる時までに免許が取得できるほど、スケジュールは空いていない。
年明けぐらいから入所したが、実技は毎日キャンセル待ちをこなしても、第一段階が終了したのは3月に入ってからだ。
もちろん、お金を掛ければ優先的に予約を入れられるプランや、合宿免許という選択肢もあったかも知れないが、経済的に恵まれている家庭でもなければ、一応の最終学歴となる最後の春休みに、合宿免許で長期間拘束されて同級生と何も思い出を創れないのも味気ないと思うのが人情というものである。
だから、キリの良い第一段階までで一旦切り上げ、社会に出てから第二段階をこなす羽目になり、9ヶ月の期限のうち、3ヶ月は学生の時に使ってしまったから、残りの半年間をギリギリまで使って、慣れない社会人生活、変則的な泊まり勤務、分からないこと、覚えることだらけの環境で四苦八苦しながら、並行して自動車免許を取得する羽目になり、この時ばかりは早生まれであることを恨んだ。
しかし、この社会に出て一番重要な時期に、並行して自動車教習所で免許を取得するというハードスケジュールをやってのけた経験が、後々働きながら大学で学ぶことへの抵抗感を軽減したのはいうまでもないし、自分の意思で自動車免許取得を先送りして、最後の学生生活を大切にする選択をしたことに後悔はなかった。
何かを始めたいなら、何かをやめる。
とはいえ、振り返ればこの時が一番辛かった。よく学生は、お金はないが時間がある。社会人は、お金はあるが時間がない。と対比構造で語られる。尤も当時の私はお金も時間もなく、文字通りの貧乏暇なしだった訳だが。
本来、留意しなければならなかったのは、時間の使い方が学生と社会人とで異なることで、暇を持て余していた学生時代の如く、時間が無限に湧いて出てくる感覚のまま、社会人と並行して何かを取り組もうとすれば、たちまち時間が足りなくなることだった。
時間管理術、タイムマネジメントのような、意識高い系サラリーマンが好きそうな知識など、工業高校で馬鹿な面白いことしかやってこなかった私が知る由もなく、文字通り若さで無理くり乗り切ったと表現するのが適切だろう。
ここで得た教訓は、何か新しいことを始めようとするなら、既存の時間を割いていた何かをやめなければ、時間は捻出できないという、極めてシンプルな結論である。
時の運を最大限活かす。
この教訓は所有物の整理整頓でも活かされており、何か新しいものが欲しいなら、既存のものを手放して得たお金の範囲内で購入するルールを、ここ数年間徹底しており、基本的には同じカテゴリーのものと、遊休資産となっている何かを手放すことで新調費用に充てて、持ち物の総量を徐々にコンパクトにしている。
時間に関しても、非番に開店直後の居酒屋やパチンコ屋に入り浸るような生活をやめて、自宅でコーヒーでも飲みながらゆっくり過ごし、昼寝をして睡眠負債の解消に努める形で身体を労った。尤も、ここでの昼寝のつもりがガチ寝の時は数え切れないほどあり、起きる頃には日が暮れていて、夜中に眠れず却って体内時計を狂わせることもあったが、遊技機を前に寝落ちして無駄玉を打つよりは遥かに経済的だろう。
そうやってゆっくり過ごしている時間に、自分の人生について深く考えるようになってからは、お金よりも自分が過ごす時間を優先する考えに変わり、やる必要のない無駄な残業を断るようになった。この時、薄給な若手のクセに残業もしない姿が生意気だと思われたのか、飲みの誘いも、突発的な欠員補充(休日出勤)の電話も殆どなくなり、私としては好都合だった。
そうやって、社内では奇人変人扱いされたことで、そこそこまとまった時間が捻出できてから、ルンバを走行させるための整理整頓に時間を割くことで、有意義とは思えない時間を加速度的に省き、貧乏暇なしから貧乏な暇人に変化して、この頃から中学生振りの活字を読むようになった。
ここに今の私の原型がある。プライベートな時間をひと言で表すなら「無」で、基本的に暇人であり、noteの執筆やコンテンツ視聴のような、割合どうでも良い暇つぶしをして日常を謳歌するのがデフォルトで、良くも悪くも何かイベントやタスクが発生した際は、それに全集中できる環境を確保している。
だから、転職の求人情報を見つけた時には、それに特化したスケジュール調整や選考対策を施して、3ヶ月程度の期間で望んだ結果となったし、元が薄給だったこともあるが、年収も100万円上がった。決して社会人としての市場価値が高い訳ではないから、時間に追われていたら結果は違っているだろう。
可処分所得に余裕が出来てからは、時短家電を増やしたり、家計簿アプリを導入するなど、そもそも人間がやらなくても良いものをロボットやIT技術に丸投げするようになり、時間持ちとなった頃に大学への入学を考えるようになったが、一歩を踏み出せずにいた。
そんな時期に、中国武漢から未知の疫病が流行し始め、あっという間にWHOがパンデミック宣言を行い、ただでさえ少なかった、どうでも良い職場の宴会はゼロに。自粛要請で旅行し辛い雰囲気になったのはバッドだったが、疫病の歴史から香港風邪と酷似していると推察し、少なくとも収束まで2年は要すると判断して、2年間のうちに自宅で短期大学士が取得できる、通信制大学への入学をする絶好の機会だと仕事と学業の両立に舵を切り、2年後に狙った通りの結果となった。
ここまで上手く出来たのは、日頃から暇つぶしの一環で活字を読んで知識の幅を広げていたり、無駄な時間を省く試みの積み重ねが、結果として仕事と大学を両立する準備だったと捉えられる。
将来の自分は今の自分の延長線上にあるのだから、全く未知の世界に転送されるような成長など恐らくなく、常日頃、なりたい自分を実現するための準備を行いながら、来るべき機会を待つことが、大きな成長に繋がるのかも知れない。
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