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異常気象くらいでは休みにならない社会'e
命懸けの普段通り
先日の異常気象による線状降水帯の影響からか、ウェザーニュースで大雨警報と、なぜか隣接する自治体の避難通知をiPhoneが受信したため、1階居住者として浸水しても大丈夫なように、クローゼットの上段に上げられるものを上げて自室にこもっていた。
鉄道員だった頃に台風で、帰りの交通機関が計画運休で全滅するまでこき使われていたのとは打って変わり、働く必要がないとはこういう事だよな。と毎日がホリデイの特権を謳歌していた。
そんな、仕事とかを考える必要がなく、一日中家にこもっていたいような日でも、ごみ収集は来るし、郵便物も届く。何もこんな時でなくても良いはずだが、決められたことを決められた通りに実行する単純作業に天候は関係ない。
エッセンシャルワーカーとして勤めていた期間が長かったが故に、到着日を指定できる宅配があれば、配送日を翌日に指定しなおして、従事者を危険な目に遭わないように配慮しているが、これは本来事業者側がやるべきことだろう。
作業員や従事員の安全を最優先に考えた結果、本日はお休みさせて頂きます。くらいの対応をする覚悟が代表にないなら、従業員なんて雇うなよ。と思うが、大企業ほどサラリーマン社長で苦情に怯え、横並び意識も強いから思い切った決断ができない。
そうやって大きな決断を迫られても、曖昧な言葉でお茶を濁して、先送りして取り敢えず普段通りの対応で。となるのが、偉そうな議員や役員の常套手段である。その被害者はいつも現場の労働者であり、時には命懸けの作業で不幸な事故が起こる確率もゼロではない。
労働ごときに命を懸ける価値はない
何のために働くのか?と問われれば、どれだけ綺麗事を並べたところで、大前提として「生計を立てるため」であり、煎じ詰めれば「生きるため」に他ならない。
生きていくために仕事をするのであって、仕事のために生きているわけではないのだから、代わりなどいくらでもいる労働者ごときで、命を落とす危険を伴う作業に従事するのは殆どの場合、取っているリスクと、得られる賃金が釣り合っていないように思う。
賃金労働は人間が文明社会で生きていくための、ひとつの手段に過ぎない。個人事業や起業、投資で収益が得られれば、何も終身雇用が守られるかも定かではない、雇用にしがみつく必要などないはずであり、いわゆる金銭を稼ぐ職でなくても、一次産業で自給自足、足りないものは物々交換みたいな状態だって良いはずだ。
しかし敗戦後に植え付けられた、プロテスタント的なプロパガンダの功罪で、身を削ってでも賃金労働者のイスに座り続けようとするあまり、心身に異常をきたす者は少なくない。最悪の場合、過労死や過労自殺まで追い込まれてしまうのだから、つくづく先入観や固定観念は恐ろしいと思う。
後足で砂をかけて辞めたことで、所属していた組織から社会的に村八分にされたところで、物理的に場所を変えれば、生活環境はガラッと変わり、二度と交わることはないだろう。
日本は本州だけでも東京、名古屋、大阪と性格の異なる3大都市があり、島国の中の島である北海道、四国、九州もある。本州、三島問わず地方都市まで含めると、その気になれば結構な回数、場所を変えてやり直せるだろう。
高学歴エリートと異なり、海外で引く手数多な能力を持ち合わせていない低学歴ソルジャーとしては、日本国に見切りをつけて移住するのは、思いつく限りの試行パターンを一通り試し終えて、それでもクソオブクソだと思ってからで良い。
それくらいやらないと、本気で海外の永住権を取得する気にならないと思うが、全てのパターンを試し終える前に寿命を迎えること間違いなしで、考えるだけ野暮である。
だからこそ、やっぱこの労働クソだわ〜と思ったら、試行回数を増やすチャンス到来と捉えた方が、しがみつくよりも楽しそうな人生に出会える筈である。労働ごときに命を懸ける価値はない。
お客様とて許せぬ!
タイトルの元ネタは某神隠しジブリ映画で、神様が油を売るお店の経営者が、「俺は腹ペコだ」と全てを飲み込む横柄な汚客に対して、か○はめ波を解き放つ渾身のギャグシーンの前に吐き捨てる台詞である。
日本は全体の1%にも満たないであろう、声だけデカいあたおかな連中に、組織内で権限を持つ管理職が屈服して、現場軽視な要求を丸呑みしては、労働環境を悪化させていることが往々にしてある。
上記のような、自分を神様か何かと壮大に勘違いしている疫病神に対して、全従業員がお客様とて許せぬ砲が繰り出せるようになれば、対人ストレスが半端ない職種の離職率や、人手不足は解消されるような気がしてならない。なお、か○はめ波の反動で、カウンターゲロを喰らうと再起不能になる模様。
日本のおもてなし文化は誇っても良いと思うが、サービスの語源がラテン語で「奴隷」を意味するように、誰かの犠牲の上で成り立つ「おもてなし」が良いとは思えない。
公務員も公の下僕と書いて「公僕」と表現するが、現状のブラック職場感や休職率を鑑みると、いくら賃金の原資が我々の血税とはいえ、ごみ収集員などの、真面目に働いて割を食っている現業職があまりに気の毒だ。
異常気象で休んでも、別に普段から出社しても、定年を指折り数えながらマインスリーパーを極めるだけの、働かないおじさんで戦力外だから、さして困らないくらいのヌルゲー要素が、もっと社会全体に広がった方が良いと思う今日この頃である。
[増補]自然と共存するイヌイットの口癖「ナルホイヤ」
見出しのままだが、イヌイットの人たちが口癖のように発する言葉に「ナルホイヤ」がある。直訳すると「わからない」だが、ニュアンスとしては「予定を立ててはいけない」的な戒めも含まれている。
なぜ、予定を立ててはいけないのか。勘の良い読者ならお気づきだと思うが、イヌイットの人たちは自然と共存しながら生きている。自然は人間にとって時に恵みをもたらすと同時に、時に猛威を振るう。
事前に明日はあれをやろう、これをやろうと計画立てることで、文明社会で生きる我々は効率良く活動することができるが、自然が相手だと、その計画が忘れられずに無理して実行してしまうと、命取りになりかねない。
だったら最初から予定など立てずに、その場の判断で臨機応変に対応を変えた方が、生きていく上で合理的というわけだ。
かつて私が電車を運転していた頃、同業他社が計画運休で運転を取りやめる中、現場の雨量計がギリギリ運転見合わせとなる基準値を超えていなかったがために、ダイヤ乱れのままこき使われたのが冒頭の真相である。
ただこれは裏を返せば、いつ雨量計が基準値を超えて、運転見合わせとなってもおかしくない状態を意味していたため、放送で「行けるところまで行きます」と案内して、「行き先も決まっていないのか」と文句を言われたものの、これも広義の「ナルホイヤ」だろう。
毎日同じ路線しか運転していないプロが、経験則から「この状況で出発して、いつも通り次の駅まで無事に辿り着ける自信がない」と判断したら、躊躇なく運転を見合わせるには「ナルホイヤ」の精神が必要だ。
事件は会議室で起きている訳ではないのに、現場の状況を把握しようがない運転指令が指示を出すのは土台無理があり、現場は指示通り運行した結果、列車が駅間で立ち往生して○時間缶詰になりました。という洒落にならない事態が、昨年の大雪で、実際にJR西日本で生じたのは記憶に新しい。
だからこそ、一見すると無責任にも思える「ナルホイヤ」の精神こそが、昨今の急増する異常気象と共存していくための最適解であり、異常気象でも休めない社会は、いつ何時一般人の命を奪ってもおかしくない、異常な社会だと思うが、いかがだろうか。
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