ファスト文化で底が浅くなるリスク。
篩にかけると、抜け漏れに気付けなくなる。
我々は日々、スクリーニング機能の世話になって生きている。資本主義社会が発達したことにより選択肢が膨大となり、何かしらの条件で絞り込まなければ、却って選べなくなっているからだ。IT界隈ではアルゴリズムによって、勝手に絞り込まれていたりする。
最近であれば自転車を選ぶのに「重さ」「走行性能」の条件を付けて自力で絞り込んだ車種に対して、ロード乗りの旧友に意見を求めたら、スペックには表れない「メンテナンス性」や「耐久性」の懸念材料があることに気付かされた。
その時に餅は餅屋とも思ったが、個別株投資に置き換えて考えてみれば、スクリーニング機能で条件を満たした銘柄が、必ずしも魅力を感じないどころか、往々にして直感的なバランスの悪さや胡散臭さが先行して、監視銘柄の域を出ず、結局買い注文を入れるのは条件を満たさない銘柄だったりする。
つまり、篩にかけることで、完璧に絞り込んだ気になるのは危険で、自らの抜け漏れに気付けなくなり、結果として隠れたリスクを見落とす可能性が高い。
分かりやすい例かは定かではないが、婚活でお金持ちを捕まえようと画策して、大卒・年収XXX万円以上・正社員or公務員みたいに、いかにもな条件で絞り込むと資産家などは除外してしまう。
1988年の長者番付トップ20を振り返ると、社長8名(うち4名創業家)、役員1名、元常務1名、無職8名、不動産貸付1名、貸金業1名と、いわゆるサラリーマンから大金持ちになった人は片手で数えられる数しか居ない。
そもそも本物のお金持ちは、お金に困っていないが故に、雇われて働く必要もなく、パンピーとは前提が異なる。大学で起業して、事業が軌道に乗った創業者であれば、学業と両立できずに中退して高卒だったりする。
ロバートキヨサキ氏のキャッシュフロークワドラントでは稼ぎ方を、労働者、自営業者、ビジネスオーナー、投資家と区分しているように、正社員or公務員みたいな絞り込みをすると、非正規雇用者だけでなく、自営業者、ビジネスオーナー、投資家のような外れ値も同時に除外してしまう。
適度にモノを知らない前提で生きる。
とはいえ実際問題、膨大な選択肢の中から効率良く選ぶためには、条件に見合ったものに絞り込み、適合する結果の中から最善のものを選ぶ以外に、優れた方法は即座に思い浮かばない。
隠れたリスクを見落としたくないことを理由に、膨大な選択肢の全てに目を通すことは、リソースが無限にある訳ではないのだから、場合によっては不可能に近い。
しかし、だからと言って効率化の成れの果てにも見える、ファスト文化が完全無欠かと問われれば、短兵急に答えを知り、表面だけで全てを理解した気になっている人が量産されているだけという意見もあるだろう。結局はバランスの問題なのだと思う。
ソクラテスの「無知の知」で置き換えると、表面だけで全てを理解した気になると、知らないことを自覚することができず、新しい知識を習得する必要がないと誤った判断に至る恐れがある。
これは、知らないことを知らない状態に他ならず、何かを学ぶきっかけが得られない。その状態では人間に備わっている学習能力が活かされているようには思えないが、いかがだろうか。
だからこそ、どれほどの知識や経験を積み重ねていても、変化の激しい時代で既に陳腐化している可能性も考えられる訳で、適度にモノを知らない前提で生き、すぐに分かった気にならず、要所要所で餅屋から鮮度の高い餅を受け取る(=学び続ける)謙虚な姿勢が、なにより重要と言える。
画一的なモノやサービスほど、コスパが計算しやすい。
ファスト文化と聞くと、ショート動画や4分以上の楽曲を聞かず、就活のインターンはスタンプラリーの如く、手軽に多くの会社を見れる的な観点で、オンラインや日帰りを望むタイパ重視な若者のイメージが先行するだろう。
確かに新卒が緩すぎて会社を辞めるみたいな、キャリアの早期形成願望が強過ぎるが故に、直ぐに結果が出るものを求めてしまう側面もゼロではないが、これは終身雇用が守られない前提で、自分のスキルを身に付けようとする焦りが根本原因であり、メンバーシップ型雇用のまま逃げきれない自覚があるだけ、上の世代よりも現実的に物事を捉えているとも受け取れる。
それに、直ぐに結果が出るものを求めるのは何も若者に限った話ではない。官民でも費用対効果を重視する傾向にあり、「2位じゃダメなんでしょうか?」のように、目先のコストカットを優先するあまり、長期的な研究開発がなおざりになって、自国からイノベーションが生まれず、結果として米国の文化を輸入するだけの社会になりつつある。
地方の幹線道路沿いには、どこに行ってもお決まりのファストフード、ショッピングモール、コンビニ、スーパー、ファミレスが立ち並ぶ。観光地でもなければローカルな文化は生き残れない。
コスパを重視するようになると、ローカル店はどんなモノやサービスが提供されるか未知で、費用に見合うかが直感的に分かりづらい。
一方、ファスト文化の典型例である全国チェーンであれば、どこに行っても画一的なモノやサービスが受けられると分かっているため、費用に見合うか判断しやすく、その方が便利だと世の中が受け入れた。
結果として、効率的なものにリソースを傾斜配分され、地元の商店街は廃れ、郊外のショッピングモールの一人勝ち状態となっている意味で、ファスト文化は現代人の基礎理念とも捉えられる。
そうして社会全体で要領の良いものばかり選り好みしてしまうと、たとえそれが大器晩成型であっても、要領の悪い存在とみなして見切りをつけてしまうことになりかねず、それは底が浅くなるリスクと表裏一体なのではないかと思う。