人生三万日。
いつが最期でも、後悔しない生き方を。
今の日本人男性の平均寿命である82歳を踏まえると、人生はおよそ30,000日である。そして、27歳4ヶ月12日目辺りで、生まれてから10,000日目を迎える。記念日好きな方はスプレッドシートなどの表計算ソフトで、シリアル値から逆算して頂きたい。
執筆時点では、私にはまだ生まれてから10,000日後まで、数百日の猶予があるものの、今の平均寿命で考えると10,000日経過で人生の3分の1が過ぎたことになるのは事実である。尤も、2000年生まれの半数が100歳まで生きると言われているため、6,000日位延長戦があるかも知れないが。
とはいえ、普通の人生だと最初の10,000日で身体的成長、受験、就労を経験し、その後は結婚や出産を意識して、子供を授かれば次の10,000日は子育てに。残りの10,000日は退職と老後生活がメインとなるが、最期の10,000日はお金と時間があっても体力がなく、自由に過ごせるか分からない。そう考えると人生は長いようで短い。
私は最初の10,000日を自由を得るために捧げ、ストイックさが仇となり結果として内臓をひとつ犠牲にした。だから、次の10,000日は養育ではなく自由に生きることに使うことを自身に誓い、最期の10,000日まで生きることは想定していない。
これは、内臓がひとつ足りないハンデを負って生きるのもあるが、同じ誕生日のスティーブ・ジョブズさんは20,000日ちょっとしか生きておらず、仮に同じ運命を辿ることになったとしても後悔しない生き方をしようと、1ヶ月間の入院と手術を行っていた最中に決心した。
スティーブ・ジョブズ最期の言葉の一部分に「あなたの代わりに車を運転してくれる人は居る。あなたの代わりにお金を稼いでくれる人も居る。でも、あなたの病気を変わってくれる人は誰も居ない。(中略)失ったら決して見つけられないものが、人生であり命である。」とある。
代わりなんていくらでもいる仕事に心身をすり減らす日々なんて、自分から終わらせる。もし、今日が人生最後の日だとしたら、今やっていることは、自分のやりたいことではないからである。
仮に今日で人生が終わるとしても、後悔しない生き方をすることのほうが、見栄や世間体を取り繕うより遥かに重要であることを、見に覚えのない発作による死の恐怖が教えてくれた。
とはいえ、長生きリスクは考える。
先ほど20,000日以上生きることを想定せずに生きると記したが、これは仮に50歳過ぎに最期を迎えても後悔しないために、生きている今、一瞬一瞬を妥協せずに過ごす意味での”想定していない”であり、ある種の締め切り効果と言える。織田信長の如く、50歳で人生が終わるかも知れないと思えば、あれもこれも先送りしないだろう。
しかし、50歳が第一章の終わりに過ぎず、それを過ぎたら第二章に突入する可能性を考慮せず、50歳そこらで資産が底を尽くのは得策ではない。生まれてから生み出した資産を使い切り、ゼロで死ねるのが理想ではあるものの、デスノートでもない限り、人はいつ死ぬか分からない。
だからこそ、自分の親族を参考に今の医療技術だと何歳くらいまで生きそうか想定し、そこからプラスY年長生きしても大丈夫なキャッシュフロー表にしておくことが人生設計において重要である。
長生きするインセンティブを作る。
それに加えて、長生きすればするほど得をする仕組みを構築することも、精神面で重要だと考えている。
投資家目線ではリスク=不確実性だが、大衆の感覚ではリスク=危険性と捉える傾向があるため、先の小見出しの”長生きリスク”という表現に些かネガティブな感情を抱いた人は、私が想像するよりも多いと思う。
確かに生物として長く生きる以上、老化は避けられない。老いることで体力が低下し、徐々に出来ることは限られてくる。今が健康であればあるほど、健康寿命を過ぎて長生きしても仕方ないと思いがちである。
病は気からとはよく言ったもので、気が滅入ると、若い人でも老け込んで見えるし、反対にアクティブに活動している高齢の経営者などを見ていると覇気があって同世代と比較しても若々しく感じる。
要するに生物的な老化はある程度仕方のない面があるものの、気の持ちよう次第で若々しく健康的に生きることが可能ではないかと考えている。大切なのは、同世代のコミュニティに依存せず、若い世代と接する機会を多く持つことで活力を分けて貰うような生き方ではないだろうか。
とはいえ、昨今のシルバー民主主義社会による若者世代の冷遇や、KKO(キモくて金のないおっさん)問題から、若い世代ほど嫌老感が強い傾向は、Z世代である自身の肌感覚としてあり、自身が老害化した時に、若い世代から今の自分達と同じ様な感覚を持たれる未来は容易に想像がつく。
シルバーデモクラシーは、何かしらの革命が起きて、現代の民主主義をガラガラポンでもしなければ変わらないだろう。KKO問題も同様で、おっさんがハゲたりデブったりしてキモいのは事実であるし、自分がそうなる未来も抗えないと考えるべきである。
しかし、”金がない”に関しては資本主義社会をハックすることによってどうにかなりそうではないだろうか。
例えば、孫正義さん、ジェフ・ベゾスさん、スティーブ・ジョブズさんは尽くハゲているし、逸話で知る限りでは孫さんを除いてサイコパス気質で、人格者とは程遠いかも知れないが、彼らと話をしたい若者はごまんと居る。
それは、他人とは違う”何か”を武器にしたことで、経済的に成功しているからに他ならない。
彼らはビジネスによって一代で巨万の富を築いたが、ウォーレン・バフェットさんのように、投資でフォーブスの長者番付にランクインすることも決して夢物語ではない。起業は敷居が高いのであれば、投資によって一財産築くことが、いくつになっても容姿の壁を超えて、若い人たちと接する近道かも知れない。
日本の投資人口は2,700万人と、20歳以上人口の26%である。投資を始めるだけで4人に1人の存在になれる。それに、個人投資家の9割が負けるなんて言われているから、長期で勝ち続けることが出来るなら、1億人居る成人の中の300万人、上位3%の存在になることができる。
高校で金融教育が組み込まれるようになったことから、長期で勝ち続けているような投資家なら、例えキモくても経済的に成功しているなら、一度は話を聞いてみたいと思われるかも知れない。本来は単なる紙切れでしかない札束には、それ位の魔力が潜んでいて、多くの人はそれを上手く扱えていないからで、それが我々が生きる資本主義社会の本質である。
それに資産運用で恩恵を受ける複利は、運用期間が長ければ長いほど強力なものとなる。複利はアインシュタイン博士が人類史上最大の発明と絶賛したほどで、毎年資産所得が雪だるま式に大きくなれば、長生きしたくなることだろう。
例え自身が老衰し、使い切れないほどの資産所得になろうとも、それを若い世代に移転することで慕われ、幸せに生きることができるのなら、長生きする上で資産を形成しない理由はないだろう。
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