大企業病も、日本社会が低成長な一因。
誰のための会社なのか?
2023年5月31日、四半期前に怒涛の展開で物議を醸したYouTubeチャンネル「日経テレ東大学」から、全ての動画が削除され、何のコンテンツもないのに、登録者数およそ100万人のtestチャンネルが放置されている謎の状態化した。
テレビ東京と大株主である日経新聞との間での、内部でのいざこざを発端にして突然のYouTubeチャンネル終了。そして巷では天才プロデューサと評されるチャンネルの発起人が会社を去った。
以前からテレビ東京のモノ言う株主が、大株主とはいえ、株式の過半を取得している訳でもないのに、役員の天下り人事などで、事実上の支配関係にある日経は如何なものかと言った内容が、以前から株主提案に出ていた。
それが今回の「日経テレ東大学」の騒動を、文春がリークしたことで、大衆にも上記の内情が明るみになり、テレ東株主の利益を毀損しているのではないか?との見方から、個々の事業の契約内容の開示を株主から提案されていたが、この提案は反対されている。
「誰のための会社ですか」当時(今も?)青二才だった私は、従業員軽視の会社提案を、丸呑みする労働組合の御用加減に憤ったが、組合役員は「株主のための会社」と言い切った。それを機に私はその会社を去ることを心に決めた。
紆余曲折を経て、今は株主側で得られる利益をもとに生計を立てている。株式は出資者の権利を小口化したものだから、その企業が繁盛することで、共同で出資したオーナーは、出資割合に応じた恩恵が受けられる。その意味では「株主のための会社」は理にかなっている。
「耳障りの良い言葉」よりも「透明性」
しかし、冒頭の「日経テレ東大学」での騒動は、社内闘争で顧客のみならず、株主の利益までも毀損している可能性が示唆されており、テレ東が「誰のための会社」なのかを深堀りすることで、日経の矛盾が大衆に明るみになりそうな状況となっている。
巷では日経新聞のエース記者と評され、独立してから活躍の幅を広げている後藤さんの貰い事故感がハンパないが、かつて日産自動車がカルロス・ゴーン氏を追い出したように、権力者の嫉妬や妬みによって、長いものに巻かれなかったり、個人的に気に入らない奴を、権力で潰そうと村八分にする様子は、典型的な醜い村社会の姿と重なる。
日本社会は失われた30年で、ずっと横ばいで経済成長していないと嘆かれて久しいが、その根本となっているのが、権力者の妬みによって、成長の芽を摘まれているとしたら、やるせない気持ちとなる。
これまでなら被害者が泣き寝入りする他なかったが、現在はSNSを駆使することで、大衆に世の中の不条理を知らしめることが、個人でもできる時代になりつつある。
村なんて閉ざされた小規模コミュニティではなく、世界規模の監視社会への過渡期を生きる我々が、現代企業に求めるのは「耳障りの良い言葉」ではなく、「透明性」による納得感ではないだろうか。
現代版封建制が、大企業病の温床に?
特権階級とも言える権力者が、私利私欲に溺れて現状を維持したいがために、内部構造をブラックボックス化したり、既得権益を脅かす存在を潰す構造。
これだけ読むと、現代の日本社会の縮図とも捉えられるが、古い記憶を辿ると歴史の授業で似たような状況を習った気がする。そう「封建制」だ。
分与するものが「土地」から「お金」となり、農民を土地に縛り付けていたものが、労働者を組織に縛り付けるようにと、現代的な姿かたちに変わっただけで、構図は何ら変わらない。
当然、特権階級の人たちは楽しく、幸せに暮らせるように、現行体制を維持することだけに注力する。そうなると我々凡人は、自分の利益にならない賃金労働をひたすらやらされる。当然、労働意欲など湧かない。
その結果、先進国でワースト級の労働生産性となり、誰も未来に希望を持たなくなり、酒でも飲みながらあの頃(バブル)は良かったと、前ではなく後ろを向いている。こんな自閉的な社会で経済が一向に発展しないのは、封建社会の歴史が証明している。
1945年のようなスクラップ&ビルド以外の方法で、ガラガラポンが出来れば苦労しないが、いかんせんシルバーデモクラシーなものだから、新しい価値観に否定的な層が一掃されるまで、変わりそうにない。
そんな諦めにも似た境地は、マイナンバーカードの保険証利用化の茶番劇ひとつとっても色濃く表出している。
完璧主義で失敗を許さず、永遠に完成できないのではなく、スマホアプリのようにβ版で出してみて、不具合が出たら都度修正すれば良いくらいの価値観が許容されれば、能力のある人たちの芽を摘まず、成功者を袋叩きにしない社会に一歩近付ける気がしてならない。