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街全体を居住空間に見立てる'e
究極、自宅に外せないのは寝室だけ
「カンブリア宮殿」23年4月6日放送分にて、日の丸自動車興業が、都内の無料巡回バスのスポンサーを募る際に、デパートのエレベータと同じだと例えて説得した点が、秀逸だと評価されていた。
実はこの考え方は私生活にも応用できる。というよりも、この考え方によって、私はミニマリスト呼ばわりされる程度に所有物が少なく、引越しが段ボール5箱の宅急便で完結する程度になった。
日の丸自動車興業が、無料巡回バスをデパートのエレベータと同義だと捉えたように、私は街の生活圏内を自宅の延長線上と捉えて、自宅は調理場と寝室程度に留め、必要最低限しか家財道具を調達しないよう心掛けている。
だからこそ知人を家に招くと、内見だと揶揄されてしまうが、永住するつもりもない仮暮らしなら、最終的な処分のコストまで踏まえると、それでいいと思っている。
社会人学生から社会人を卒業して、晴れて学生に逆戻りしたことで、本業は学ぶことになったが、自宅にはテーブルすらなく、学習できるような設備は整っていないどころか、本棚すら用意していない。
学習設備は図書館の学習席を使えば良いし、同じ建屋内に自前では実現できない規模の本棚がある。公立図書館は我々が納めた税金で運営されているのだから、その自治体に居住する民として、これを活用しない手はない。
冷蔵庫がなくても、近隣のコンビニやスーパー、ドラッグストアを外部倉庫と捉えて、期限を含めて管理して貰っていると捉えれば、必要な時に必要な分だけ、対価を支払って取りに行く程度の感覚で、基本的にはわざわざ自前でストックする必要がない。
我々は使いたい時に使えないのは不便だからと、さも当たり前のようにお金を支払って、家具家電を揃えているが、公共施設やインフラを駆使することで、自宅の機能として外せないのは、究極的には寝室だけとなる。
コストの問題さえ解決できれば、洗濯機ではなくコインランドリー。浴室ではなく銭湯…の要領で代替可能ではないかと柔軟に考えられると、お金を支払ってでも便利アイテムを自前で調達するのは最終手段だと思うようになり、無いなら無いなりにどうするか、知恵を絞れるものである。
ちょっとした不便は贅沢で補い許容する
とはいえ、生活環境を外部に依存することにもデメリットはある。図書館には休館日があるし、最寄りの銭湯だって営業していない日はある。
そうした施設側の都合に合わせて、自身のスケジュールを変更せざるを得ないのは、生活に主導権が持てないサラリーマンだと癪だが、時間に追われず、生活に主導権が持てる身になると、思いのほか柔軟に対処できるものである。
いくら大学生と言えど、毎日勉強するほど根を詰めるつもりはないのだから、初めから図書館の休館日をノー勉強デーに設定してしまえば良いし、風呂なし物件で最寄りの銭湯が休みなら、ちょっと遠出してスーパー銭湯や温泉に行ったって良い。
平時は淡々と生活して、イレギュラーな際は贅沢をするマイルールを持つことで、トラブルが発生しても嫌な気持ちになるどころか、非日常を味わう大義名分が得られる分、却って大好物になりがちである。
これは鉄道における人身事故などの輸送障害で、自分が悪いことをした訳でもないどころか、むしろ被害者側なのに、何故か袋叩きにされる鉄道員側だったからこそ、発想の転換でトラブル耐性が高くなっているとも捉えられる。
LCCを多用するなら、クレジットカードに航空便遅延保険を付帯させておくと、4時間以上の遅延で出発地での宿泊代や食事代に対して、保険金が支払われるため、どうせ遅れるなら派手に遅れて貰った方が得した気分になれる分、同じ遅延でも無駄にイライラせずに済む。
世の中からトラブルは無くならない以上、それが起きた際に嫌な気分にならない仕組みを自ら構築した方が、長い人生で得ではないかと考える。もはや菩薩の領域に近いが、そう思えるようになると、ちょっとした不便は許容できるものである。
究極のシェアリングエコノミー
流石に自然災害で物流が滞ったり、パニックで商品棚からは商品が消える事態となれば、必要な時に必要なものを調達する生活は瞬く間に破綻するため、有事の際を想定した、最低限の備えは必要である。
平時に必要ないからと余剰を削減し過ぎて、有事の際に機能不全を起こすのは、古巣の鉄道業界あるあるだが、実生活で同じ事態になるのだけは、何が何でも避けなければ、元鉄道員の性丸出しで見苦しい。
養老孟司先生の言葉を借りれば、有事を想定して、全国各地で住みたいと思える比喩表現的な故郷を、平時に探しておき、可能であれば二(多)拠点生活で、複数の生活環境に慣れている方が、あっちがダメなら、こっちで暮らすと、柔軟に生活できるだろう。
いわゆるアドレスホッパー的な生き方が、私の目指すべき最終地点なのかも知れないが、自前で家財道具を極力保有しないからこそ、究極の共有社会、シェアリングエコノミー的で、街と共に暮らせるとも捉えられる。
[増補]家の中で生活が完結しないことの副産物
私はBMIが拒食症一歩手前の水準のため、デブではないが出不精ではある。その影響もあって、寝室と自炊以外の機能は、極力自宅で完結させずに、外注の形を取ることで、社会不適合者なりに引きこもらない体裁を整えている。
コンビニやスーパーが冷蔵庫代わり。銭湯が浴室代わり。コインランドリーが洗濯機代わり。図書館が本棚兼学習机代わり。ECサイトが倉庫代わり。公共施設を除けば、いずれも必要な時に、必要な分だけコストを支払って利用する格好だ。
各々の料金だけみれば割高だと思うかも知れないが、それはあくまでも定住を前提とした話であり、葛飾北斎ほどの引越し魔ではないにしても、概ね賃貸契約の更新を一度交わすか交わさないか程度の2〜4年スパンで、コロコロ居住先を変える程度に飽き性な身としては、外注化したほうが経済的には合理的な側面がある。
転居の度に引越し業者に別途料金を支払って大型家電を移送するか、リサイクル料金という名のみかじめ料を支払って処分しては、新天地で新調するコストや手間を鑑みると、家電家具は2年毎にレンタルするか、外注してもコスト面で殆ど変わらないことから、面倒でも持たない暮らしを心掛けている。
日経スペシャル「マネーの学び」の司会を務めていた、元財務官僚の村尾信尚氏は、ことある毎にお金は投票券だと自論を展開しているが、その理屈を借りれば、転居先で生活を完結させず外注化することは、地域経済にお金を落とすことにもつながる。
普段は自宅の生活家電や家具で完結させておいて、いざとなったら銭湯がある。コインランドリーがあると保険みたいに思っていると、商圏人口内の利用率が芳しくなかった際に、儲けが出ずビジネスとしては続かなくなり、最終的には潰れて地域全体が不便を被る可能性が高い。現に私が移住した地方自治体では、Google Mapで検索する限り本屋が一軒もヒットしない。
もし、その地域でなくなったら困る。生き残って欲しいと思うお店があるなら、たとえ少額でも普段から定期的に利用して、お金を落とすことでそこの経営が安定する。
それが長期間に渡って経営できる重要な要素となる訳で、家計の最適解と、地域社会全体の最適解は往々にして相反する。つまり、家の中で生活を完結させるようなお金の使い方は、巨大企業の肥やしになる可能性が高い。
穿った見方をするなら、富が富を生み、格差を助長する資本主義に賛同することと同義とも捉えられる。だからこそ、たとえ少額でも常連となり、店主に顔を覚えられるお得意様となることが、チェーン店が幅を利かせる画一的な社会の中で、地域色を出して地方創生をしていく上では大切だと考える。
お得意様になりと、実は令和の米騒動のようなパニック時に、商品棚から商品が消えるような有事となっても、こちらからお願いせずとも、いつも買っている代物がバックヤードから出て来たりする。
”お得意さま”とはそういうもので、一周まわって地域社会に根付くことが、何よりの災害対策であり、家の中で生活が完結しないことの副産物と言えるかも知れない。
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