「生きてるだけで偉い」という言葉が嫌いだ(追記あり)

そう言いたくなる気持ちはわかるが。
じゃあ死んだやつは偉くないのかよ?揚げ足取りなのはわかっているが、戦争や災害で死んだ人の遺族に同じことが言えるか?言えないよな。言えるやつがいたら俺に石を投げてくれ。
この言葉の何が嫌いかって、あまりにも偽善が過ぎるところなんだよな。そもそも生きてる生物にとって、生きてることは当たり前なんだから、偉いも糞もないだろ。「人間には皆価値がある」とかもそうだが、最近世の中が生きづらくなってこういう言葉が流行るのもわかるけど、こんなの綺麗事でしかないし、何の救いにもならないよ。救われてる!って人がいるならそれはそれでいいけど少なくとも俺は救われない。
障害者を障がい者って表記にしてるのと似てるよな。そんなことで差別は無くならないし、障害者を救えるわけじゃない。よかれと思ってやってるのだろうが本当は全然そんなことないし、自己満足のオナニー行為でしかない。
そもそも「偉い」ってなんだよな。何様だよ。上から目線で、しかも無責任に人の人生を評するのはいい加減にしろ。たとえ全人類が対象だろうが、「偉い」と形容される時点で「偉くない」やつも存在することになるし、そのような人間に優劣をつける思想の持ち主なんだなってわかるぞ。
偉くないといけないのか?偉くなくてもいいだろ。本当に必要なのは「生きてるだけで偉い」という言葉で逃避することではなく、偉くない自分も受容することなんじゃないのか?別にお前は偉くないわけでもないし、偉いわけでもない。

追記(1/17)よく考えてみると、現代はただでさえネガティブにまみれてるから、すこしくらい全肯定ボジティブ教徒になってもいいじゃないか!ということなのかもしれない。もちろん、人がこのフレーズを好むのは自由だ。それでも私は、流行ることに嫌悪感を覚えるけど。

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