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38歳、IT業界のレジェンドたちと。

ふと、とんでもない大物に近づけたりするのが外資・大手の面白いところ。
そのうちの1つのほろ苦いエピソード。

この頃、日本のインターネット黎明期に活躍された方々と電子決済関連の仮想化プラットフォーム開発のプロジェクトを進めていた話。その企業に不義理を働いてしまった苦悩が今も胸に。

協業体制を提案

今でこそペーパーレスやリーガルテックは普通にSaaSで存在するようなもののだけど、2015年当時はかなり先進的。そんなベンチャー企業の担当をしていて、とても名前を出せない業界のビッグネームの面々とガッチリと仕事をしていた。(あれ凄いお金かかってたな。。)

それは企業が契約行為をする際のペーパーレスやその証跡、電子印、タイムスタンプなど法務上必要なものはすべてオンラインのサービスで提供するというもので、使いやすい・早い・安全!というインフラを支えるのが私の仕事でした。
サービスを実装するためにハイスペックなオンプレミス環境をたくさん購入いただき、瞬く間に社内でもトップアカウントになっていったのだが、そもそもそのサービスを売る営業がいなかったので、我々の会社とタイアップして売れないか!などの協業体制を組織して動き出した。夢は膨らむばかり。
だってサービスが売れれば、マシンが売れる。良いことしかない。

全然売れない。

このサービス自体が市場の具体的なニーズを元に開発したものではなかったからだろう。規制緩和を先読みして用意したサービスはいろいろあるが、法規制が~となったからといってそのサービスが売れるとは限らないのだ。まさにプロダクトアウト/マーケットインの視点の欠如だった。

そしてその頃、ともに歩んできた上司が会社を去り、新しい上司がきて協業体制も見直しとなった。ただその時の上司のコメントが忘れられない。

「売れてないじゃん、別にこの案件に思い入れがあるわけじゃないし」

辛辣だなおい。わかるけどさ、人生掛けてサービス提供しようとしているお客様にはとてもじゃないけど言えないよ。あの時は失望したぜ。

そしてその方針をお客様の社長に伝える。ごめんなさいと。でも逆に笑顔で「仕方ないよね。無理させてごめん」と謝られた。ドラマか。いまでも胸が痛い。何かもっとできたのかもしれないって。

そう、きっとできたのにやらなかった。自信がなかったんだ。
この頃から、自分は0→1はそこまで得意じゃないんだな、、と気が付き始めていました。



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