見出し画像

32歳に非情な試練、リーマンショック。

社会人10年生、駆け出しのマネージャーが3人のメンバーを辞めさせた話。

リーマンショック。大々的な報道でしたよね、でも恥ずかしながらそれがどんなインパクトがあるのか、ちゃんと理解していませんでした。報道から数か月遅れで凄いインパクトが来て、みるみるうちに状況が悪化していった。売れない。とにかく売れない。本当に売れないのだ。

早々に組織のスリム化が始まる。特に外資はこのあたりのフットワークがまぁ軽いし早い。間接部門を中心にガンガン人が減らされていく。別に人が辞めたからと言って売れるわけではないので、営業の現場は何も改善はしない状態が続いていたが、その時は突然訪れた。

「チームから2人減らせ」

血も涙もないお達しだ。
ご丁寧に候補者も用意してきた、勝手に選ぶなよ!思いつつも、確かにこの2人は選ばれちゃうよね。。というコンディションだった。ただ、不幸中の幸いだったのは予算が付いたということ。つまり「お金をあげるから辞めてくれないか。」という交渉ができるのである。

人事から特別なトレーニングを受けた私は、対象の2名とそれぞれ面談し粛々と通達。1人はあっさり承諾し、その場でサイン。もう1人は事実を受け止めつつも信じたくない。という反応。そりゃそうさ頑張ってきたんだもの。ちょっと成績は芳しくなかったけど。。。でも私はトレーニング通りに丁寧に説得し、何とか2人の削減に漕ぎつけた。

本社のチームは宮崎よりも人件費が高いうえに、転職もしやすいだろうから、こんな方針になったのかもしれないが、現実は残酷だ。経験としては大事だったかもしれないが、もうやりたくないと思った。。思ったのに。。

数か月後。
「Aさんを辞めさせなさい」

次の標的が定まったのだ。そして今度は予算がない。最悪だ。こういう時どうするかというと「辞めたくさせる」のだ。当時を思い出しながらこの記事を書いているが、今でも胸のあたりがギュッっとなる。あの時の私は本当に鬼でした。私は毎日毎日Aさんを呼び出してはとことん詰めて詰めて詰めて、心がボロボロになるまで徹底的に押し潰しました(いまこれやったらこっちが即クビ)こんな日々が数週間続いたある日、Aさんは退職を申し出てきた。Aさんは泣いていた。

こんなに後味の悪い仕事はない。さらに苦しいのはAさんが逆に私を気遣ってくれたことだ。そんなことされては完全にマネージャー失格だ。私は自分の役目を果たし結果を出したのだが、この時だけはひたすら悲しく、苦しく、虚しかった。
リーマンショックの時は本当にいろいろありましたが、これが一番忘れられないです。

そしてこの頃、超絶愛くるしい長男君が誕生。二児のパパとなりました。
そんな長男君ですが生誕2日目にて先天性の心疾患が見つかりました。その話はどこか別の機会で。。。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?