創作活動の方向性を3つに分けてみた話
毎年言っている気もするけど、年々、
「時の流れが早い……」と感じるんだよね。
もう今月も半分過ぎたのか。
もう月末か。
もう上半期終わんのか。
もう年末か。
そりゃあ年もとる訳だよ(切実)
あ、はい。
どうも、みなとです(唐突)
今回は創作について日々感じる
あれやこれやのお話。
最近、こんな呟きを見かけた。
感想が全然もらえない。
創作やめちゃおうかな。
なるほど。
なんか、少し前に似た感じのツイートが
妙にバズっているのを見かけた覚えがある。
うろ覚えだが、確かこんな内容だったはず。
↓
前まではいろんな感想が到着していたが、
あるときから、それらが全くなくなってしまった。
私の作品が誰にも見られていないのであれば
私は創作をやる意味がない。価値がない。
だから、活動を止めることにした。
確かこの方は商業にも行ったんだったか。
店頭に自分の本が並ぶとかすげぇよな〜。
でも、
見られていないのであれば、
やる意味も価値もない。
……………私はなんだか、この部分に
とても違和感を覚えた。
そんな訳で。
”どこへ向けて創作活動を行っているのか”
これについて私が思っていることを
自分なりに文字に興してみようと思います。
((( ㆆ ㆆ)ドッコイショ〜✏︎
まずは前提として、これ。
◆何故、創作をしているのか
……うん、ちょっと待てよ?
なんだか前にも似た話をした気がする。
ここで書いてるやんw
改めて書くとしたら、
あくまでも私の場合ですが、
/単純に「好き」だから
/何かと表現したいから
この辺かしら。
何かとあれやこれやと考えることが好きなので、
それを絵や小説、漫画にして表現している。
そんな感じ。
そこまで「創作活動を行う理由や意味」について深く考えたことなかったんだが、同じ趣味を共有している人間が増えてくるといろんな言葉や意見を見かけるものでね。
次はこれだ。
むしろこれが本題。
◆どこへ向けて創作をしているのか
その出力したものを、皆どうしているのか?
ここで結構考え方が大きく分かれるんじゃないかな〜と感じているので、自分なりにパターンを分け分けしてみた。
ーーーーーー
例えばこのパターン。
「この作品からいろいろ感じて欲しい」
「この作品で誰かに影響を与えたい」
え、す…………すごい。
すごいわ……(すごいのは私の語彙力の無さ)
自分の作品で他人を勇気付けたいとか、
元気になって欲しいとかエトセトラ。
神か、仏か。
この場合は方向が「外(=他人)」に向いてるよね。
このタイプの創作者は「奉仕型」とでも名付けると、自分としてはすっきり来るかな。
ただただ、すごい。
ここで「見返りを求めない人」だったら、
更にすごいと思う。
もし「他人のために作っているのに、何も反応がない!」と怒るような人間だったとしたら、それは次の2つめのパターンに属すると感じる。
ーーーーーー
2つめはこれ。
「作ったからには誰かに見せなきゃ気が済まん」
「何かしら反応がないと嫌」
「とにかく感想が欲しい」
「とにかく褒められたい」
このタイプも、その創作活動が
「外(=他人)」に向いてるんだろうなと。
私はこのタイプを「承認型」って
勝手に呼んでます。
このタイプの人は相当マーケティングを頑張ってるか、自分の能力アップに全力で努めているかエトセトラ、常に躍動的な人が多い気がする。
何も動いてないのに「見てよー!」だけ言ってる人もいるけど、見て欲しいならそれなりに何かせんといかんよね。
ここでなんとなく感じること。
このタイプの創作者って、他者に諸々と求めることが多い分、「自分が納得する形の見返りがないといつまで経っても満足がいかない」というパターンが多いのではないかと。
例えば、
「SNSにアップしても反応が薄い……」
→何個ぐらい、誰から反応があるといいのか?
「感想があんまり来ない……」
→同上。何件あると満足するのか?
この辺がまぁまぁ不思議。
多分、他の(周りの)創作者と比べているのも
原因の1つな気がする。
/あの人は〇〇なのに
/たくさん〇〇されてるのに
→私なんて全然誰にも見られていない。
結論が極端だぞ……苦笑
高い数字を見てしまうと、「そこに至っていない自分はダメなんだ、価値がない」という方向へ行きがち。
勿論、この思考が悪いとは言っていない。
人間の数ほど考え方は無限にあるからな。
ただ、見ていて「何かを忘れていないか?」と
個人的には感じることが多い。
まぁ………知らんけども(急に投げるな)
ーーーーーー
で、3つめ。
みなとさんはこれです。
「自己完結型」
………?
ここでおそらく承認型の人に大きく「ちょっと待てーー!」とツッコまれるのは、多分、これじゃないかな?
「なんで人に見えるところで公開してるの?」
「自分で満足して終わるんだよね??」
「だったらローカル環境でいいじゃん」
「やっぱり見て欲しいんじゃないの???」
笑
まぁ、そういう他者向けの感情は
ゼロではないとだけ。
ここも勿論、あくまで私の場合の話なので
万人がそうだとは言いませんが。
私はSNS上で確かに自分の作ったものを公開しているけど、どちらかといえばあの場所は「他の人の作品に触れたい」って目的で使ってるので、その中で「私も同じく創作してる人間で、こんなものを作ってます。良かったら見ていってよ〜」くらいの感覚。
人によっては「何だかわからないアカウントから一方的に絵を見られてるのは嫌だ」って人もいるようなので、私も創作してまーすを示しているというか。私の方は興味あったらついでに見ていって? 程度です。
交流も楽しいし☻☻☻
その辺は、この記事でも書いてます。
変な言い方をするけど、私は創作を完全に「自慰行為」だと捉えていて。
そんなもの、普通は他人に見せないよな。
(そういう趣味の方もいるらしいが。笑)
だから積極的に「見て見て〜!」ってできる人が未だにすごいなぁ……と、感じている次第。
私は未だにネットの海に絵を放流するときは本当に無駄に緊張するし、有難くも感想が飛んできた日には「え、え???」ってなる。
第三者の言葉が自分の考えに飛び込んでくると、主観だけでは分からなかった発見や気付きがあるのも確か。
そこを求めてるか? と言われると、
「無いよりあった方が勿論嬉しい」
とは思います。
「ほら〜〜やっぱり見て欲しいんだ!?」
と言われると、
「ちょっと違うけど違わなくも無いのかな〜」
くらいです。
他人の時間を縛りたくないし。
この辺マジで価値観とか考え方の違いだよね。
だから、どれが良いとも悪いともない。
長くなりましたが。
この話を考えるに当たって、「じゃあ私の場合はどこに向けて創作してんのかな?」を改めて考えてみたんだが。
未来の自分
もう完全にここだなと………笑
私は一次創作全般が好きです。
ジャンルの好みは勿論あるけども。
で、自分の創作もまぁ大好きです。
これは胸を張って言えます、大好きです。
本編を出力してみて特に気が付いたんだけど、私、マジで過去の自分の書いたものにめちゃくちゃツッコミを入れたがるんだよ。
「なんぞこの表現!?」
「構成おかしくね!?!」
「当時の私何してたん××すぞ??」
言い過ぎw
絵に関してもそうだ。
「な ん だ こ の 絵 は」
「なぜそんな風に描いたんだ!?」
「馬 鹿 野 郎 が」
めっちゃ言う。
自己完結型って、自分の中での理想をずっと追いかけ続けて終わりが無いっていうところが欠点な気がする。苦笑
完璧なんて存在しないのに。
なんか、ねぇ……
あんまり良くないかなと思いながらも、”過去に描いたものに修正を加える”なんてことを、私は結構やってしまう。
終わりが見えんからほどほどにしないとな、とは思ってるけどね。
創作サイトも都度レイアウトを
変えてみたりなんだりしてる。
全ては
「自分がこうしたい!を形にしたいから」
だな。
とまぁ、そんな感じです。
私が「自己完結(=内、自分)」な分、
他のタイプの方で、
「何もないから自分には価値がない」
この結論に至っているのを見かけると、
本当に「ちょっと待って」と
言いたくなってしまう。
その人の考えだから別に良いんだけど、他の記事でも書いてるように、そこで手を止めてしまうのは何だか「勿体ないなあ」と感じちゃうんだよね。
価値を他人へ委ねるのはどうなのかな。
商業やプロの方はまた違うんだろう、よりストイックな気がする。リアルな「売上(=生活)」も掛かってくるのかなと思うので。
趣味だったら、とにかく楽しくやれば良いのかなと思うところで、やっぱりそういう訳にもいかない人が多いのかもしれないね。
勿体ない。