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教養はみんなに必要なのか?
こんにちは。底辺大学教員です。今回は教養のお話。
※ちなみにこの記事で教養とは、「創造的活動を行うための知識や資質」とざっくりと定義しておきます。一般常識や基礎知識といった意味での教養とは区別しておきます。
さて、昨今の大学では”教養”とか”リベラルアーツ”が強調され、関連した科目も多く設置されるようになってきました。もちろん、ぼくの所属する大学も御多分にもれず、教養を身につけさせよ!ということで新たな科目の設置やグループワーク、ディスカッションといった授業スタイルの奨励が行われています。
でも、ぼくは思うんです。「底辺大学の学生に教養は必要なのか?」と。
理由はいくつかあります。まず、「底辺大学を卒業するような学生は教養を必要とするような高度な職に就くことは少ない」ということです。教養は新しい発想をしたり、創造的活動をする上では必要なものだとぼくは考えています。特にリーダーなど人の上に立つ仕事をする人、クリエイティブな仕事をする人には必須のものだと思います。
しかし、底辺大学を卒業する学生はそんな仕事にはまず就けません。どちらかというと、リーダーやクリエイティブな仕事をする人の下で言われたことをこなす役割を担っていく人材です。すなわち、仕事にリーダーとしての資質やクリエイティビティはあまり必要ではありません。どちらかというといわれたことをきっちりこなす力や、指示を的確に理解する力の方が重要になります。行う仕事が異なる以上、学力上位校のマネをして底辺校が教養教育にシフトすることは、底辺校学生が社会に出る上で本当に学ぶべきものを学べなくさせてしまう恐れがある、という点でぼくは非常に危ういことだと思っています。
また、そもそも底辺大学の学生は「指示が理解できない」「自分の考えていることを言葉や文章にできない」「指示や約束を守れない」という教養以前のレベルで教育が必要な場合も多いです。ワードやエクセルの使い方もわからない。アルファベットも怪しい…そのような学生を相手にしているぼくにとって教養教育は、無駄なんじゃないか??と思わざるを得ません。もちろんぼくは教養は非常に大切なものだとは思っています。が、それが生かされるのは一定以上の学力レベルがあってこそであり、基本的な学力や知識、生活態度が確立されていない学生に対してはより優先して教育すべき内容があるのではないか、というのがぼくの考えです。
昨今は教養が重視される世の中ではありますし、ぼくも重要だと思っています。そして、上記のように学生に”底辺”のレッテルを張り、彼ら・彼女らの学びの内容を狭めるような考えが社会階層の固定化や格差を生むことも理解しています。
ですが、”教養だ!教養だ!”という大学教育改革のさなか、そのような教育にマッチしない学生がいることも事実なのです。教養教育を推進しようとする大学では今一度、実情を見つめなおすべきだと思います。職業訓練校と化した大学で教養教育は成立しうるのか。大学で教えるべき教育内容とは何か。考えさせられる日々です。
誤解がないように記しておきますが、ぼくは教養教育は重要であると思っていますし、底辺大学の学生にとっても教養教育は重要だと思っています。しかし、今回の記事では、大学教員らしく(?)世の中の主流にあえて批判的な意見をぶつける形で記事を作成してみました。教養教育万歳!の流れで、学力底辺校の学生が本当に学ぶべき内容を学ぶことができなくなってしまうのではないか?そんな学生への心配もあってこの記事を書きました。
批判があって初めて議論が生まれます。批判をすることで、新しい地平にたどり着くことを信じています。なのであえて挑戦的な記事として問題提起したということをご承知おきください。少しでも大学教育に関する議論の足しになれば幸いです。
皆さんはどう思うでしょうか??