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世間知らずの私はあまりにもみじめで

先日、私は同僚でもあり、友人でもあるベトナムの留学生から相談を受けた。内容は、「今年専門学校を卒業するので、進学か就職か迷っている」とのことだった。

私は仕事外で時間を取り、くわしく話を聞くことにした。

私は最近国際色豊かな人生を歩んでいるような気がする。夫もハーフだし、職場は日本人の方が少ないくらいだった。恥ずかしいことに私は日本語以外に喋れる言語はなく、英語も中学生の方がまだ喋れるだろう、という程度である。アジア圏の方が周りには多く、中国、ベトナム、ネパール、フィリピン、などの多国籍な職場なのだが、みんな上手に日本語で交流してくれる。もちろん仕事に支障はなく、プライベートでも遊びにいくほどだ。私は様々な国の話を聞き、日本の外に想いを馳せ、どうにか語学力をつけなくては、と思うのだった。

彼女の話を私は真剣に聞き、自分でもよく調べようと思った。

彼女は一人で生活費、学費を稼ぐために毎日学業に仕事にと頑張っているのでどうにか協力したいという気持ちだった。仕事は4つ掛け持ちをしていたし、早朝のシフトの日には他の職場で夜勤明けでそのまま寝ずに来ることも週に何度かあった。私は純粋に尊敬していた。

彼女は専門学校から他の専門学校への入学を希望していた。よくよく話を聞くと今の学校ではIT系の勉強をしていると言う。次の学校ではもっと専門的な勉強をしたい、そして日本語の勉強もまだ完璧ではないので頑張りたいとのことだった。働きながら、日本語の勉強もして、IT系なんてさぞ大変だろう…しかし就職には有利なのでは?と私は考えた。

「ところでどのようなITの勉強をしているの?ITでもいろいろあるから…プログラミング?webデザインとかグラフィック関係?」と私は聞いた。

彼女はきょとんとした顔で、

「Word、Excel、PowerPointとかだよ?」と言った。

私は一気に血の気が引いた。

「…次に入学しようとしているところで、本格的にITの勉強をするってこと?」

「いや、またWordやExcelを1から習うつもり」

彼女はIT関係の仕事で日本で働きたいと言う。

私は正直にWordやExcelなどだけで日本で就職は厳しいと思う、他の分野で就職に有利な短大や大学、専門学校に通うのならまだしも、またお金を払って寝ずに働いて同じ内容のWordやExcelを習うくらいならこの時点で就職した方がいいのではないだろうか?今でも十分働けているんだし、勉強している内容とは方向転換することも視野に入れたら就職できるのではないだろうか?日本人はハローワークというところで仕事を紹介してもらえるのだが、調べてみたら留学生の就職の対応もしてもらえるみたいだから、一緒に行こう、と言った。登録をしておくだけでもいつか役に立つから、と。

彼女はまた同じ内容にお金を払うのは確かにもったいないし、就職先を紹介してもらえるなら、行きたい、とのことだった。内定が決まれば就労ビザがおりる、と。へぇ~とその時私は思っただけで他には何も調べもしなかった。

後日、ハローワークへ行くために何個か仕事を休んで彼女は待ち合わせ場所に現れた。事前に私が電話で確認しておいたため、登録などの手続きはスムーズに終わった。登録が終わり、職員の方に呼ばれ、私たちは説明を聞きに行った。

職員の方は神妙な面持ちだった。私の方ではなく彼女の方に目線を向けて話してくれるのが好印象だった。私はそこで私がどんなに無知だったのかを思い知った。

まず、就労ビザは専門学校で勉強した内容で就職しないとおりない、という話からだった。彼女を例にすると彼女は明らかにWordやExcelを使うために就職先が内定を出さない限り難しい、と。私は唖然とした。思わず手を挙げて質問をした「例えば彼女が介護関係や工場などで内定をもらったとしてもそれではビザがおりないということですか?」職員の方は静かに頷いた。

もし、WordやExcelで内定が決まったとしても確かな日本語力が問われる。N2、N1(日本語検定の事)などを持っていないと厳しい。そして、仕事を辞めたあともその専門の分野でないと転職できない、というかビザがおりない。あなたがもし、介護の専門学校に通っていてN2まででも持っていたならあちこち紹介できただろう、でも現状では厳しい。短大や大学に進学して専門的な勉強をすることを勧める。

最後に職員の人は私の方を向いて言った。こういう日本語学校はいっぱいある。この学校も最近摘発を受けてこの科はなくなったと聞いたがまだあったんだね、と。私は頷くことしかできなかった。

親切な対応だったと思う。1枚、求人票をくれた。それは留学生ok、N2以上の営業職だった。大卒以上が条件だった。私たちはすっかり意気消沈してハローワークを出た。

彼女の次の進学先の願書にミスがないかを見る約束をしていたのでそのままファミレスに入った。就労ビザがおりないのなら、どこでもいいから進学して留学ビザをもらうしかない、まだ国へは帰りたくない、とのことだった。

彼女がそれでいいのなら私には何も言うことがないと思い、食事を済ませ、専門学校のパンフレット読み、願書をチェックした。

私が願書を読んでいるときに「たぶん留学ビザもおりないと思う」と彼女は言った。私は資料をめくる手を止めてなぜ?と聞いた。彼女はオーバーワークだから、と言った。私はその時初めてオーバーワークという言葉を知った。検索してみると、留学生のアルバイトは週28時間以内(長期休暇を除く)であることを知った。彼女は明らかにオーバーワークであった。

仕事を4つ掛け持ちし、深夜から朝まで働いてそのまま学校に行って、また働く。そんな努力を私は本当に純粋に尊敬する。しかしそれは違法であった。悪だとか善だとかそんな領域の話ではないと思った。なんだか私は今日のことは私の独りよがりで空回りで無駄なことに思えたのでとびっきり甘いケーキを頼んだ。

たぶんもう今年卒業したら国に帰る事になると思う、と彼女は言った。オーバーワークで留学ビザも下りないし、就職は難しいから就労ビザもおりない。そもそも就労ビザもオーバーワークで引っかかるだろう。

そっか、役に立たなくて本当に残念に思っている。寂しくなるね。ベトナムで暮らしていけるくらいの貯金はできた?学費と生活費で毎日忙しそうだったから心配。と私は伝えた。

彼女は「500万くらいはある」と言った。私はまたサッと血の気が引くのを感じた。私は小さな声で聞いた。「…税金はちゃんと払ってる?」

彼女は4つ掛け持ちをしていた。本来ならば4つ分の所得を計算し、所得税やその他もろもろの税金を確定申告しなくてはいけないだろう。彼女は確定申告のことは知らなかった。そして、オーバーワークだから申請したらバレる。と言った。それもそうか、と私は納得した。所得税は年収103万以上からかかる。月に換算すると88000円である。彼女は一つの会社で月10万以上稼いでいるのでそこでだけ税金を払っていると言った。それ以外の3つでは88000円以内に収めて働いているらしい。年収に換算すると300万以上はあるという。それが4年分である。

正直、何もかもバレずに母国に貯金を持って帰ってもらいたいと思った。調べても、オーバーワークの罰則は雇用主にあり、本人は強制送還という処置らしい。強制送還に関してあまり詳しくは分からなかったのだが、その際、税の延滞やオーバーワークの罰則金などは没収されたりしないのだろうか。あまりにも酷いと差押えなどがあるようだった。たぶんもう全てバレていてビザを更新しないだけなのだろうが、私はそう願わずにはいられなかった。

私たちは駅の周辺をぶらぶらした。4年も住んでるのにこの時期にイルミネーションされていることを知らなかったと言って彼女ははしゃいで写真を撮っていた。休みの日なんてないのだろう。私は何度も写真を撮ってあげた。

彼女と別れたあと、私は自転車に乗りながら泣いた。何も知らなかった、何もできなかった、そしてみんなみんなこれを分かっていてやっていることをなんとなく理解した。そこに無知だった故の疎外感のようなものを感じた。

日本語学校の人も分かっていたのだ。その授業内容じゃ日本で就職できないことも、1日の授業の時間が4時間程度なのも少ないな、と思ったのだが、当たり前だった。それでも入学金や授業料は手に入る。みんな日本で働くためだったのだ。就労ビザより留学ビザの方がおりやすい。留学ビザがある間それを隠れ蓑にめちゃくちゃ働けばたくさんのお金が手に入る。それを母国の通貨に換算したら莫大な量になるだろう。ベトナムでは月の給料が日本円にして2万円くらいらしい。500万があれば余裕な生活ができるだろう。そして日本の人手不足の会社も分かって雇っているのだろう。早朝や夜勤など人が少ないところに留学生が働いてくれると助かるだろう。だからこれは、日本語学校、人手不足の会社、留学生、この3つがwinwinの関係になっているという構造なのだろう。

私は日本人として産まれ、日本人として育ち、ぬくぬくと生きていたのだ。私の悩みなんてしょせん日本人としての悩みなのだ。私はベトナムでもフィリピンでもネパールでも産まれたこともなければ、暮らしたことさえないのだ。そこで産まれ、育ち、日本で一稼ぎしようとここまで頑張った彼女に何にも言える権利なんてないのだ。何も知らなかったことが悔しかった。想像すらできなかったことも。そして彼女が全く日本で暮らしたいなんて思っていないであろうことが悲しかった。たぶんほとんどの留学生がそうなのだろう。一稼ぎしてもうビザがおりなくなったら母国に帰るのだろう。日本が好きで日本で暮らしたくて、なんて人はもしかしたら一握りなのかもしれない。私のようにこんな構造を知らない、想像もしたことのない日本人の幻想なのだ。(もちろん法律の規定内で真面目に働いて頑張っている留学生のことも忘れてはいけない)

私は今回の件で、貧困や国や生まれ持って変えることができないことについてもっと考えるべきだと痛感した。たくさん調べ勉強し、それでもまだまだ足りない。私の想像力の全く届かないところで大きな構造ができているのが社会なのだろう。

私は家に帰って温かいお茶を飲みながら冷えた手先を温めた。日本に生まれて私は明らかに幸せだった。今日やったことは彼女の助けになったのだろうか。イルミネーションを一緒に見て彼女が楽しそうにしていたことが救いだった。私は総理大臣でも神でもないので一気にすべてを解決できるわけではない。たくさん勉強していろんな世界を知って精一杯想像力を膨らませて、私の手の届く範囲でいいから、私にできることをやっていこうと思う。

彼女の夢はベトナムで飲み物屋さんを開くことだそうだ。

わたしはいつかベトナムに行って彼女のお店に行きたい。

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