【#創作大賞2024 漫画原作部門】『国際怪獣島学園巨大生物部』第1話「ようこそ!怪獣島学園」
《あらすじ》
巨大怪獣の襲来が相次ぎ『怪獣暦』が制定されて七〇年後の世界。
人類史上初の怪獣保護区にして史上最初の怪獣出現地でもある南海の島に設立された『国際怪獣島学園』で、委員長を自称する少女オオトモマリヤはジャングルで遭難する中、正義と平和を守る大怪獣を自称する陽気な野生児カミシロタイガと相棒の巨大怪獣メシアザウルスに救われ交流を持つ。
学園で怪獣学を学ぶ傍らタイガの島内パトロールに付き合うマリヤは、やがて彼の抱える大いなる秘密を知り彼の手助けとして学園に『巨大生物部』を設立。学園と怪獣の謎をめぐる少年たちの青春の日々が今、爽やかに開幕する――。
「人も怪獣も、おれたちが救うぜっ!」
《コンセプト》
SF青春学園ドラマ
《第1話 本文》
時に、怪獣暦七一年九月。
南太平洋バベル島に設置された人類史上初となる怪獣保護区の一角で、国際怪獣島学園の一年生オオトモマリヤは途方に暮れていた。
「もうっ……ここ一体何処なの?」
マリヤは注意深く辺りを見回す。都会的な水色ブレザーにスカート姿、ひと昔前の古典的女学生を思わせる三つ編みおさげとメガネの少女は、広大な緑の熱帯雨林の中で存在感が際立っていた。
「委員長の私を置いてけぼりにするなんて……みんなホントに世話が焼けるんだからっ」
マリヤが今いるのは、島内移動時用の中継地点として整備された、二階建ての無人補給基地の敷地内だ。鬱蒼としたジャングルの広がる外界とは十数メートルもあるフェンスで隔てられるが、その一角は巨大な力で押し潰されたように派手にひしゃげている。
携帯機器の電波は入らず、備え付けの電話機は不通。誠に由々しき事態だった。
「……はぁ」
少女はふとした瞬間、深々とため息をついていた。
「私、こんなところで何やってるんだろう……」
その時、ズズンズズンと周期的な振動めいた音が聞こえて、フッと辺り一面に影が差す。マリヤは息をのんだ。冷や汗と共に振り返ると、フェンスのすぐ向こうのジャングルから獣脚類に似た怪獣――直立二足歩行形態の肉食恐竜めいた姿をした身長四〇メートル前後の巨大生物がヌッと立ちはだかり、眼下にいるマリヤを無言で睨みつけていた。
マリヤの頭の中は急速にパニックとなる。
何故今まで、近づくのに気付けなかった?
いやこの島にいる以上、比較的とはいえ温和なハズだが……。
どうしようどうしようどうしよう。
「――――おまえ、ひょっとして迷子になったのか?」
「…………へぇっ!?」
マリヤは思わず目が点になる。数十メートルの体躯をもつ巨大怪獣が厳つい表情からは想像もつかない軽い口調で人間の言葉を発したのだ。
「待ってろよ、今そっちへ行くからな――ガアァァァァァオッ!」
戸惑うマリヤの眼前で、怪獣の背後から小さな人影が空中めがけて躍り出た。高層ビル程度の高さから飛び降りたそれは、フェンスから垂れ下がったツル植物を引っ掴むと弧を描くように空中機動。華麗にスライドしながら地上へと着地した――。
――が、止まり切れずにマリヤの前を通過していくと積んであった木箱の山に激突、派手な音を立ててひっくり返ってしまった。
「……えっ!? 待って待って、きみ大丈夫!?」
「へへへ……失敗失敗!」
誤魔化すように笑って立ち上がったそれは、浅黒く日焼けした上半身裸の少年だった。マリヤと同じブレザーを両肩からマントのように羽織り、薄汚れたズボンこそ履いているがその下は裸足。頭からは獣耳めいた寝ぐせが飛び出し、長くて細いポニーテールが背後でパタパタと揺れる。やんちゃ好きの子犬みたいな風貌だった。
「父ちゃん、心配すんなって!」
少年の失態に思うところでもあるのか、件の巨大怪獣がグオォ~とまるで呆れたみたく唸り声を発して、少年もまたそれに応える。
「おれ、ケガとかしてないからさ!」
「父ちゃん……って、もしかしてこの怪獣のこと言ってるの!?」
「へへへ、急にびっくりさせて悪いなっ。けど父ちゃん、見た目よりずっと優しいから、安心してくれよなっ」
無邪気で人懐っこい笑みを浮かべる少年は、鼻の下をこすりつつ何故かそれでも得意げな調子だった。マリヤの思い違いではないらしい……。
「それよりおまえ、迷子なんだろ。行きたいところがあるなら、連れてってやるよ。なんたってこの島は、おれたちの庭だからなっ!」
「それは有難いけど……きみ、一体誰なの?」
「おれ、カミシロタイガ! この島の正義と平和を守る大怪獣だ!」
ジャングルから怪獣と共に現れた少年は、元気いっぱいにそう告げた。
「へへっ、よろしくなっ!」
「……大……怪獣……?」
マリヤが困惑していると、タイガを乗せてきた正真正銘の巨大怪獣の方は役目を終えたのか、ふたりに背を向け悠々とジャングルの中に帰ろうとしていた。
「父ちゃ~ん、また後でな~っ!」
タイガは軽く飛び跳ねながら手など振っている。
後頭部と背中には、伝説上の竜を思わせる大きな角と背びれ。全身を覆うのは羽毛にもウロコにも見える純白の表皮。怪獣は恐竜というより、むしろ幻獣に近い姿をしていた。
ザバババ……と盛大に水をかき分ける音がして、マリヤは補給基地のすぐ傍に河川が流れていたことを知る。彼らはそこから現れたのだ。
熱帯雨林にそびえ立つ古代の支配者の如き巨大生物は、出現したとき同様あっという間にその姿を消し、やがて何処にも見えなくなってしまった。
* * *
「つまりね、怪獣っていうのは人類の歴史の負の側面……戦争や自然破壊、災害や公害が命を持って暴れ出した存在……そんな風に言われているの」
マリヤはタイガに連れられ、川沿いの湿った土を踏みしめながら何処までも続くジャングルの只中を進んでいた。
「怪獣とは戦う以外なかったんだけど、それだけじゃ問題解決にならないって考える人もいて……私のお母さん、地球防衛軍極東支部の副長官なんだけど、この島の計画を知って誰より真っ先に協力するって名乗り出たの。どう、凄いでしょっ」
「ふ~ん……」
タイガは後頭部で手を組むようにしてずっとマリヤの話を聞いているが、イマイチ反応が薄い。マリヤは少々ムキになってまくし立てる。
「人類と怪獣がひとつの島で共に生きていけるって、ホントに凄いことなんだよっ。私たち怪獣島学園の生徒は、言ってみれば世界平和の最前線にいるのっ!」
「……難しくってよく分かんねーや!」
振り返ったタイガに一言でそうまとめられ、思わずマリヤは足を滑らせて川に転落しそうになる。
「あのねぇ、折角私が委員長として色々教えてあげたんじゃない! きみが言ったんだからねっ、怪獣島学園がどんなところか知りたいって!」
「へへへ、なんかゴメンなっ!」
あまりに屈託のないその笑顔に、マリヤは思わず拍子抜けしてしまう。
「きみ、ひょっとしてホントに何も知らないの? それ一応、うちの制服なんだけど」
国際怪獣島学園は、怪獣島ことバベル島の南東部に設立された、地球防衛軍傘下の特別高等教育機関である。人間と怪獣の新たな関係構築のため、若者たちが怪獣学の最先端に触れることの出来る学園を国際機関主導の下に設けた、というのが世間一般に対する説明だった。
だがその最大の特徴は同じバベル島内にある史上初の怪獣保護区と隣接しており、常時自由に往来が可能であるということ。怪獣島学園とはすなわち、巨大怪獣と日常的に触れ合える学園なのである。
「正義と平和を守る大怪獣、だっけ? まさかきみ、ホントにさっきの怪獣に育てられたっていうの?」
「ああ、おれの自慢の父ちゃんだ!」
マリヤと同じ水色ブレザーを羽織りながら、彼女より頭ひとつ分背が低い少年は世にも凄まじいことを平然と言ってのける。
「この島で昔、火山の爆発があってさ。おれの人間の父ちゃんは島の歴史を調べに来てて、その時死んだんだ。代わりに怪獣の父ちゃん――メシアザウルスがおれを助けてくれたんだけどなっ。お陰でそれから、ず~っと一緒だ!」
「メシアザウルス……」
マリヤは反芻するみたく言った。あの全身真っ白で角が生えた怪獣の名前らしい。
俄かには信じがたい話だが、あの信頼関係が一朝一夕に築かれるとも思えない。火山の爆発があったのも本当だ。今から約一〇年前――怪獣保護区建設より以前の事件である。当時島の半分が壊滅したと言われている。
怪獣に育てられた野生児。そんなものが実在しようとは……。
「……ところで、さっきからこの道でホントに合ってるの?」
マリヤは、彼女の中で膨らむ漠然とした不安のようなものを口にする。
「なんだか、川に沿ってずっと歩いてるだけな気がするんだけど」
「火山のふもとまで連れてけばいいんだろ?」
タイガが指さす先にはマリヤの目的地、ゴルゴダ山がそびえ立つ。ジャングルの彼方、バベル島の中央部に位置する標高約一〇〇〇メートルの成層火山だ。
「川を真っ直ぐ上って行けば、山の近くには簡単に出られるぜ。けどあんなところで何するんだ? そういえば、マリヤが迷子になった理由、まだ聞いてなかったな」
「学校行事でレクリエーションしてる最中だったの……それと、私は迷子じゃないから! クラスのみんなが迷子なのっ!」
マリヤは即訂正。必死なあまり、勝手に名前で呼ばれ出したことに気付いていない。
「きみが言ってた火山の爆発、まだその時の観測所が資料館として残ってるから、クラス全体でそこへ行く途中だったのっ!」
怪獣島、および学園施設内で使われる移動車輌のすべては、旧型とはいえ地球防衛軍が任務に用いた兵員輸送車を改造したものである。戦闘でも起きない限り、安全性は折り紙付きのハズだった。
「クラスのメンバーが足りないのに気付かないような子たちだもん……みんなには、私がついてて上げなきゃダメなのっ! 私、委員長だから!」
「委員長って、さっきから何のことだ?」
「クラスで一番偉い人のこと! 私、お母さんみたいに将来、立派な人になるんだから!」
「へぇ~、マリヤって凄いやつなんだな! ……んんっ?」
タイガは一度ひどく感心してから、一転して今度はひどく悲しそうな顔をする。
「クラスで一番偉いやつなのに、みんなに置いてかれたのか……?」
「本気で心配顔するのやめて貰っていいかな!? 私はただ休憩時間中に考え事をしてたの、そしたらみんなが勝手に……」
ギャアギャアギャアギャア……!
唐突に何処からか凄まじい絶叫が響き渡って、タイガとマリヤは思わず顔を見合わせる。この世のものとは思えない響きだった。
「……タイガくん、今の何?」
「キングダビデの縄張りの方からだ!」
タイガは声がした方角を即座に判定すると、マリヤに一言も告げずそちら目掛けて走り出した。一拍遅れてマリヤも我に返ると、状況を理解して慌てて後を追う。
「待って! タイガくん置いてかないで!」
そしてマリヤ自身、いつの間にかタイガを名前で呼び始めるが今度も必死さのあまり、気付く気配はないままだった。
* * *
タイガとマリヤがたどり着いたのは、緑のジャングルの一角で真っ黒く塗り潰された、植物の殆んど生えない渓谷状の空間だった。かつての火山噴火で流れた溶岩が森林を焼き払い、そのまま冷えて固まったのだ。
その地獄のように荒々しい谷底で、大きく形状の異なる二体の巨大怪獣同士が、雄たけびを上げながら正面対決を繰り広げていた。
「キングダビデがブラックエリヤと縄張り争いしてる……怪獣バトルだっ!」
キラキラ純粋な少年の眼差しをするタイガの隣で、マリヤもまた息をのんで谷底にいる二大怪獣を注視する。彼らの姿は、学内の事前配布資料にて覚えがあった。
一撃怪獣キングダビデ。鎧竜型のシルエットに羊のような角、尾の先端には巨大なコブ、大型バスより更にひと回り大きいくらいの体躯を誇る。
大がらす怪獣ブラックエリヤ。鳥類を直立二足歩行させたシルエットに赤い火炎を連想する腹部の紋様、中型旅客機と同程度の体躯の持ち主。
「勝った方が、この谷の新しい支配者になるんだ……!」
勝負は文字通り、殆んど一撃のもとに決した。
挑戦者のブラックエリヤが飛びかかった直後、不意にその視界からキングダビデの姿が掻き消える。そして次の瞬間、身を翻したキングダビデの尾に生える鉄球のような巨大なコブが、ブラックエリヤの脳天を死角から打ちのめした!
正しくジャイアントキリング。他怪獣の縄張りを奪おうとしたブラックエリヤは、半分の体格しかない小柄な相手に敗れ、地に伏す羽目となった。
地獄の底の大決闘は、キングダビデが勝利を収めた。
「はじめはびっくりしたけど、なんかワクワクする戦いだったな!」
「……何が世界平和の最前線よ、バカみたい……」
「マリヤ、何か言ったか?」
「なんでもない、独り言!」
マリヤは早々に話題を打ち切ると、再び立ち上がって言った。
「余計な寄り道しちゃった。今度こそ山へ連れてってよね、タイガくん。迷子のみんなが、私の到着を今にも待ってるんだからっ」
「マリヤ、そっちは山とは逆方向だぞ」
その時、背後の谷でキングダビデとブラックエリヤそれぞれの咆哮が轟く。敗北したブラックエリヤが息を吹き返して飛び立ち、追われるように遠くの空へ逃げていくところだった。マリヤは少しだけホッとした気分になった。
* * *
「この島が『怪獣島』って呼ばれるのにはね、大きくふたつ理由があるの」
怪獣バトルから少し後、マリヤは気分転換がてらタイガにそんな話を始めた。
周囲のジャングルは見るからに開けてきた上、視界を埋める火山の割合も大きくなっている。目的地まではあと少しといった具合だ。
「ひとつは、人類と比較的共存できる怪獣が運び込まれる、史上初の怪獣保護区だから。もうひとつは、人類が最初に戦った伝説の怪獣が目覚めたとされる場所だから。この島は言ってみれば、怪獣暦のはじまりと終わりを象徴する特異点ともいえるの」
はじまりは遡ること七〇年前、西暦一九五四年十一月三日に人類史上最初の怪獣『原始怪獣アブラ』が出現したことである。日本の首都・東京へと上陸したアブラは雷撃光線で大都市を焦土と化し、人々を恐怖に陥れた末に行方不明となった。
アブラ出現以後、歯止めを失ったように既存の常識が通じない敵性巨大生物群――怪獣の襲来が全世界で激増、怪獣との戦いに終わりがないことを悟った人々は原始怪獣アブラ出現の西暦一九五四年を紀元元年とする怪獣暦を制定した。更には国連軍こと対怪獣専門多国籍連合軍を再編・常設化して地球防衛軍とし、以後半世紀以上にも渡って人類と怪獣との戦いは続いている。
後の追跡調査で判明したのは、このバベル島こそ原始怪獣アブラが古代より眠っていた島という事実である。アブラが東京へ上陸するまでの移動ルートを遡ると、必ずバベル島に行きつくのだそうだ。
「怪獣島学園には、面白いウワサがあるんだよ」
マリヤは少々話し疲れを覚えて、ふうと息継ぎをした。
「世界中から子どもを集めた本当の理由……それは私たち生徒に、この島の謎を解かせるためじゃないか、この世界に現れた怪獣が本当は何処から来て、この先どうなっていくのか、その秘密を探し出させるためじゃないのか、なんて……」
「……マリヤ、おまえ」
タイガがいつしか呆然としたように黙り込んでいて、マリヤははたと我に返る。どうも語り過ぎていたようだ。タイガが彼女のはるかに後方で立ち尽くす格好となっているのに気付いて、慌てて謝ろうとするが、
「すっげーな! 怪獣のことおれよりも滅茶苦茶詳しいじゃんか! そんなに怪獣大好きなら、何でもっと早く言ってくれなかったんだよ!」
「ま、待って違うからっ。私、別に怪獣好きでも何でもないっ!」
何故か火がついたように喜ぶタイガを前にして、マリヤは予想外に面食らってしまう。
「私はただ、何も知らないきみに委員長として世界の常識を色々教えてあげなくちゃって、そう思っただけで」
「けどマリヤ、さっきは目がキラキラしてたぜっ!」
タイガは再び自分も目を輝かせるように言った。
「マリヤの話、やっぱり難しくてよく分かんないけど、怪獣の歴史とか大好きなんだってことだけは、おれにだって分かるぜ。そんなに隠すことないじゃんかよ~!」
「……軽々しく言わないで!」
マリヤは思わずぴしゃりと言った。
「怪獣は人間の歴史の負の側面……私、そう言ったよね。怪獣が現れ続けるってことは、人間の戦争や自然破壊が形を変えて続いているのと同じ……人がそれだけ死んでるの! 好きとか嫌いとか、そういう問題じゃない!」
「……悪い。おれ、何も知らなくて」
タイガは流石にちょっと気圧された様子だった。
「マリヤの言う通り、少しはしゃぎ過ぎちゃったかもな。おれ、人間の友達っていたことなくてさ、つい楽しくなっちゃったんだ。へへへ……」
「……えっ」
タイガの言った言葉が予想外に重たくて、マリヤは戸惑いの色を浮かべる。
「この島、昔から大人は沢山いるけど、おれみたいな子どもはいたことなくてさ。だから誰かとふたりでこんなに喋ったの、マリヤが久しぶりだったんだ。ありがとうなっ」
「だけど、その制服……」
「怪獣保護区だっけ? それ作ったの、元々はおれと父ちゃんがキッカケなんだってさ。だから学校へ来たい時は、お礼にいつでも自由に来て良いって言われた。けどやっぱり、おれって人が多いところは苦手なんだ。怪獣だからかな……」
マリヤが衝撃で立ち尽くす中、タイガは羽織った制服をつまんでヒラヒラさせる。
「ま、この服だけは便利だから、助かってるけどなっ! へへっ」
「……タイガくん、私ね」
「それより見ろよ、人間の建物はこの丘のすぐ向こう側だ。あと少しで到着だぜっ!」
マリヤは言われて初めて気付いた。いつしか目前に立ちはだかっていたのは、かつて島を滅ぼした荒涼たる魔の山ゴルゴダ山と、山と地続きになるほぼ緑のない茶褐色ばかりの急斜面だ。
「ここを……登るの……!?」
「急ごうマリヤ、空が怪しくなってきた。このままじゃ大雨がくる、そしたら二人揃ってずぶ濡れだぜっ」
躊躇を許さぬように、背後の空でゴロゴロと雷鳴が鳴り響く。マリヤには目の前にあるものが垂直同然の岩壁にしか見えないが、タイガは既に軽々と登りはじめては、おーいとマリヤに手など振ってきている。
彼女は何となくタイガを直視できなくなり、思わず下を向いてしまった。
「私、ホント何やってるんだろう……」
* * *
灰色の空の下、傾斜のひどい丘をタイガが疲れを知らぬ動きでぴょこぴょこ上に登り、対照的に後を追うマリヤは足を棒きれのようにしながら、ある時から一歩も前進の気配がない。ここへきて、一日分の心身の疲労がまとめて襲ってきていた。
「あちゃあ、間に合わなかったか」
タイガの間抜けなぼやきと前後し、天空から急激に強い風と滝のようなじっとりとした雨粒とが降り注いで、マリヤの全身を打ち据える。スコールの襲来だ。
「雨宿りして休もう。あっちに大きな岩がある!」
うつむき、へたり込み、肩で息をするマリヤのところへ、先行していたタイガが素早く戻ってきた。僅かに顔を上げると、タイガはマリヤと同じ目線までしゃがみ込んでくれていて、その優しい眼差しが罪悪感を一層濃いものにする。
「こんなところにいると、風邪ひくぞ。立てるか?」
「…………もういいよ、私なんか放っといて」
「けどマリヤ、委員長だろ? 迷子のみんなが待ってるんだろ、こんなところで……」
「…………待ってない」
「なんだって、聞こえないぞっ」
「待ってないんだってば、私のことなんて別に誰も!!」
タイガが再びギョッとした顔になる。
ベタつく汗と、生温かい雨と、跳ね返った泥や土埃で、ブレザーはおろかブラウスの内側までぐちゃぐちゃになったマリヤは、もはや取り繕うのが不可能なほど自己嫌悪に顔を歪めている。
「なんだよマリヤ、さっきから急にどうしたんだよ」
「……ごめんね、タイガくん」
マリヤはタイガを前に懺悔した。
「きみの言う通り、私も怪獣が大好きなの。けど私、そんな自分がずっと怖くて……!」
マリヤの脳裏を幼くて純粋だった頃の自分、夢中で本を読み映像記録を食い入るように見つめていた当時の、自分の姿が次々と去来する。
「私、お母さんみたく立派な人になりたい、お母さんの仕事を手伝いたいって思ってた。けど勉強すればするほど私、怪獣のことが好きになっていって……」
マリヤの母が怪獣保護区と学園計画に肩入れしたのは、あくまで人命のため、従来とは異なる怪獣対策アプローチとしての計画に賛同したからだった。
ところがその崇高な理念に憧れ、勉強を始めたマリヤが心奪われたのは、皮肉にもその人命を脅かす怪獣そのものであった。マリヤは自分が母を裏切っているように感じられ、日に日に自分自身が許せなくなっていった。
「けど、バカみたいだよね……」
ひたすら強まっていく風雨の中で、マリヤは自嘲気味に呟く。
「自分の気持ちを認めたくなくて、委員長とか世界平和とか、一人で勝手に盛り上がって結局私、誰からも相手にされてない……!」
「…………いいと思うぜ、マリヤ」
やや間があってから、タイガは再びあの優しい声音と眼差しでマリヤのことを赦した。彼女が顔を上げると、タイガは笑って言った。
「だってさ、仕方ないじゃん。怪獣カッコいいもんなっ!」
「……けど私、もうどうしたらいいのか分からない……!」
「任せとけ」
それだけ言うとタイガはすっくと立ちあがって、その場で大きく息を吸い、
「父ちゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁん! 応えてくれえぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」
「――――ッ!」
丘の中腹からタイガの凄まじい呼び声が、風雨と薄暗闇に包まれた島全体に響き渡るとある時突然、彼らのいる丘をも含むゴルゴダ山全体が足元から揺れ始める。
マリヤが滑落しないようタイガが彼女の肩を掴んで抱き寄せた直後、ふたりの眼前で山の一部が内側から引き裂かれるようにして崩れ落ち、大地の底から咆哮と電光をまとって純白の巨大怪獣が姿を現わす。タイガの父――メシアザウルスだ!
「見てろよマリヤ、人も怪獣もおれたちが救う!」
タイガとマリヤが見守る前で、メシアザウルスの鋭い背びれが内側から激しく輝き出す。その眼光は島の西側の空を一点に見据えている。
「おれたちが今――おまえの涙を吹き飛ばすっ!」
マリヤが全身の毛が逆立つ感覚を覚えた瞬間、怪獣の口から極太の青白い雷撃光線――メシアサンダーボルトが放たれはるか彼方の暗雲を直撃、怪獣暦はじまりの日を思わせる圧倒的光景が展開したその直後、灰色の空が瞬時に爆散してバベル島全体に見渡す限りの巨大な晴れ間が出現した。
「来い、マリヤ」
信じ難い現象に半ば呆然とするマリヤを、タイガは少々強引に引っ張って歩き出した。天候を変えるという荒業を今しがたやってのけたメシアザウルスが、一転穏やかな表情でふたりの前にしゃがみ込み、気付けばマリヤはタイガと共に巨大怪獣の背中に乗せられていた。
想像以上に柔らかだが、静電気でややピリピリとするメシアザウルスの背中でマリヤが見たのは、地上四〇メートルから眺める黄昏時の熱帯雨林と、地平に沈みかけた超巨大に灼熱するオレンジ色の太陽だった。
「おれ、父ちゃんの背中のこの眺めが、昔から大好きなんだ。怪獣ってすっげ~! って気持ちになるだろっ!?」
マリヤはもはや、言葉を失っていた。
怪獣の背から眺める南の島の夕陽は、理由も分からずマリヤに涙を流させた。頬を伝う涙に日光が反射して、少女の顔を無数の小さな虹が彩った。
「今のマリヤ、キラキラしててキレイだぜっ!」
「…………バッカみたい」
言葉とは裏腹に、マリヤはその日初めて心の底から笑っていた。もはや笑うしかない。スケール感がまるで違うのだ。
地上付近でどよめきの声が聞こえ、マリヤは山のふもとの建物から人が大勢出てきて、揃って仰天しているのに気付く。怪獣島学園の生徒たちだ。マリヤが探していたものは、本当に目と鼻の先にあったのだ。
「あんなに、ちっぽけだったんだね」
天空に広がる虹色の光輪を背負い、純白の巨大メシアが咆哮し大気を震わせる。少女の心に、祝福と救済を宣言するかのように。
* * *
後日のこと。
よく晴れた青空の下、島の居住区にある学園の寄宿寮から校舎まで続くヤシの並木道を、マリヤは打って変わって軽い足取りで進んでいた。
白を基調とした外観の天国のように美しい校舎が見えてきたその時、マリヤの行く手に半裸の褐色肌にブレザーを羽織った、周囲から明らかに浮いている少年の姿があり彼女は驚かされる。
「……タイガくん!」
「マリヤに会えるかもって思ったら、気になっちゃってさ。おれも学校来てみたぜっ」
マリヤは思わず胸がいっぱいになるが、当のタイガ自身まだ何処か踏ん切りがつかない様子だ。先日の頼もしさとは別人のように、妙にもじもじして見える。
「けどおれ、やっぱり人が多いの苦手でさ……ここまで来たけど、正直どうすればいいか自分でもよく分かんなくなっちゃったぜ、へへへ……」
「任せて、私が一緒に案内してあげる」
マリヤは臆することなく、タイガの手をとり言った。少年が驚きで目を丸くする。
立場のまるで逆転した相手を導くように、少女は晴れ晴れとした笑顔で少年とふたり、学園への道を駆け出していく。
「――私、委員長だもん!」
時に、怪獣暦七一年九月。少年たちの青春は、今日も怪獣を中心に廻っている――。
《各話リンク+補足》
※ヘッダー画像怪獣デザイン…作者本人による※