好きなことを仕事に
「世の中の変化が速くなっているから企業はその対応を考えなければならない」と、多くの有識者が述べているのを本などで読み、技術革新のニュースが次々出てくる様子を眺めていて、人はどうなのだろうと考える。
これについては、企業内研修によるリスキリングでデジタルの知見を普及させるのだとか、新たなことを学習する人へ政府が補助金を出すだとか、様々な施策が実行されている。
学ばされる側の人からこれらの施策を見ると、会社に新たに導入する基幹系システムの使い方の企業研修であるとか、新たに普及しつつあるアプリケーションシステムを用いた統計分析の外部講義など、一定の時間と労力を投下すれば、その時々で役立つ技能をある程度覚えられるコンテンツになっているのだと思われる。
確かに一時的な効果が得られるのだろう。しかしこれは、働いていく長い年月にわたって続けていけるような解決策なのだろうかと疑問に思う。
想像してみてほしい。職場で「リスキリングが必要だ」と言われ、今は想像もしていないような色々な技術を研修で学ばされる日々が定年まで続くことを。或いは習得を避けて通れないと自ら察して、どこかの講座で勉強しなければいけないような状況を。
しかもそれが、冒頭述べたように「世の中の変化が速くなっている」のだとすると、今新たなシステムの使い方を学ばされたりする以上のペースで繰り出されてくるのである。
これは持続可能だろうか?
ちなみに施策の効果が持続可能であるかは、組織が問題を検討するにあたってクリティカルな問いである。
かつて大前研一氏は、「戦略的に意味のある計画は、ひとたび目的地に達した場合、守りぬけるものでなくてはならない」と述べた。(企業参謀、2部第4章)
企業戦略から離れるが、ダグラス・マッカーサー元帥は重要な軍事拠点の攻撃計画検討において、「完全に維持できる見込みがない限り、奪回を試みるべきではない」と述べた。(マッカーサー大戦回顧録)
もし持続可能でないとなれば、まず組織は施策を見直すだろう。企業はリスキリングをやめ、次の時代に必要な技能を元々得意とする人の中途採用を始めるのではないか。
政府の補助金等の施策も、義務感でいやいや学ぶ人々のサポートにどれほど効果があるか想像すれば、やがて先細りになる可能性は考えられる。
個人の方も、続かないと思った人からどこかで諦めていくだろう。
そんな時代にどう生きれば良いのか、私の考える答えがタイトルにある「好きなことを仕事に」である。
次から次へと変化する世の中にあって、仕事に必要な技能を他人との競争に勝てるレベルで習得し続けながら数十年の仕事人生を過ごすと考えたとき、これが実現可能なのは楽しみながら自発的に学び続ける人、好きなことを仕事にしている人なのである。そんな人にとっては、変化は「もっと良く仕事をこなすワクワクする技術との出会い」であり、楽しみなのである。
「好きなことを仕事に」、今ほどこの考えが必要とされる時代は無いのではないか。
「何が好きなことなのか」、言い換えると、
「何であれば長年にわたって周辺の技術革新の影響を受けてリスキリングの連発を求められたとしても競争に勝てるレベルで続けていけるのか」、今一度じっくりと自分自身と向き合い、仕事を考えることが必要なのではないだろうか。
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