生きていく上での期待値
自分の目標が達成できずにがっかりすることや他者に期待してその通りにいかなかった時に失望することは生きていく上でよくあることだと思います。私は最近人間関係や人間の内面に非常に興味が出てきたので、それについての考察をまとめていきたいと思います。ここでの私の目標は「どうすれば心穏やかに幸福感高く生きていけるか?」という問いに現時点での自分なりの解を出すことです。
自分に対する期待値
私は小さい頃から負けず嫌いで、様々なことを誰にも負けないように取り組んできました。小さい頃はそれで良かったのですが、大きくなるにつれ当然失敗や目標に届かないという経験をするようになりました。理想の自分と現実の自分の差に納得できず、苦しくなることがありました。今もたまに苦しくなることがあります。しかし、時間が経つとどこかで妥協というか「しょうがない」という捉え方ができるようになり、少しずつ苦しくなくなるようになりました。
「精一杯やってダメだったんだから、しょうがない」
これが自分の中では汎用性の高い考え方で、この考え方のおかげで期待値を上回れなかった時に自分自身を肯定し、挑戦を昇華することができます。負けず嫌いや目標が高いということは自分自身に対する期待値が高いということです。よく「期待値は低い方が良い」といった言説を耳にしますが、現時点で私はその生き方をあまりしたくありません。私は割と挑戦が好きなので期待値高めのストレッチしないといけない目標を自分に突きつけて、それに向かってがむしゃらに取り組んでいくのが私の中での幸福感が高い生き方なのかなと思っています。
他者に対する期待値
最近悩んでいるのはこっちです。他者に対する期待値は低い方がいいと思います。他者は自分では変えることができないからです。今更読んだ「嫌われる勇気」でいうところの「課題の分離*1」です。では、実際どれくらい期待値は低い方がいいのでしょうか?アドラーは存在自体に感謝する、つまり、生きていればそれで良いというレベルの期待値が良いと述べています。今の私にはそれを実践するのはさすがに難しすぎますし、多くの人にとってもそうでしょう。
「他人に期待していない」「他人に対する期待値が低い」とおっしゃる方々がいますが、さすがに友人や家族、パートナーにまでそのような姿勢を貫くのはなかなか難しいと思います。だからこそ、長くお付き合いするとちょっとしたことでいざこざになったり、結婚すると夫婦喧嘩が増えたりするのでしょう。無意識に「自分のことをわかってくれているはず」と期待値が高くなってしまうのです。仕事上のお付き合いであっても、「さすがに〇〇さんならこうしてくれるだろう」と期待値が高くなってしまうことがあると思います。では、無意識に高くなってしまう期待値を存在自体に感謝するレベルまでとはいかなくても適正値に抑えるにはどのようにすれば良いのでしょうか?私は以下の3つの方法を考えました。
勉強して、自分を客観視する(期待値が高い原因を知る)
対話する(適正値を知る)
離れる(期待を放棄する)
勉強して、自分を客観視する(期待値が高い原因を知る)
対人関係に関する勉強をすることで自分の置かれている状況や自分自身の感情を客観的に理解することができ、どうして期待値が高くなってしまったのかを理解することができます。私は最近宗教や禅、精神科学に関する本を読んで知識を吸収しています。その過程で、少しずつ今の自分を客観的に見れるようになってきました。この期待値に関する考察もそれらのインプットがもとになっています。自分を客観的に見ることで解決策がわかり、気分が幾分か楽になるはずです。私自身も勉強することで気分が少し楽になりました。しかし、学んだ解決策が自分には到底実践できないものであったり、自分には到底受け入れ難いものであったりする場合があります。このような場合はそれを少し簡単にしたものやまだ受け入れられるものから取り組んでいくのが良いと思います。実践できない・受け入れ難いからと言って、逃げてしまうのは私はあまり賛成できません。逃げていては現状と変わらないからです。軋轢が生じている関係性を良好なものに変化させていきたいと思っているのであれば、どんな策であろうと取り組むべきでしょう。
対話する(適正値を知る)
自己の課題を認識したら対話をして、お互いの期待値を擦り合わせることが重要だと考えています。期待値を含め、人間関係に問題が生じている時はコミュニケーションに課題があることがあります。対話をせずに相手に自分の期待している行動を求めるのは自分勝手だと言わざるをえません。自分が何を求めているのか、相手が何を求めているのかなんて対話しないことにはわかるはずもないからです。対話を通じて、お互いの現状抱いている期待値を把握し、お互いが相手の期待値を超えていける関係性だとお互いにハッピーですね。
離れる(期待を放棄する)
対人関係について知識を得て、自分自身を客観視し、あらゆる対策を講じたとしても良好な関係にならない。あるいは、対話ができず、相手の期待値を把握できない。こういった場合は、期待を放棄し、その人から離れることも視野に入れるべきでしょう。自分自身が苦しくなる原因が他者にある場合は、それは自分ではどうしようもありません。離れることが自分にとって「心穏やかに幸福感高く生きていける」選択肢なのであれば、それを選択することを厭わない勇気を持つべきです。
「どうすれば心穏やかに幸福感高く生きていけるか?」
私の現時点での私の解は、自分に対する期待値は高いまま物事に全力で取り組み、他者に対する期待値は上記3つの方法を駆使して上手にコントロールしていくというものになりました。最後に、私が色々調べていく中で出会った興味深い思想について紹介します。それがドイツの精神科医フレデリック・パールズ(フリッツ・パールズ)によるゲシュタルトの祈りです。
調べていく中で、「一見すると冷たく感じられるが、実際はこれが幸せに生きられる距離感なのだろう」といった感想が最も多かったと思います。私も共感できます。このように本質と思われることをズバッと短い言葉でまとめられる人には知性を感じますね。私も本質と思われることまでどんどん事象を掘り下げて、自分の言葉で構造化できるようになりたいものです。