立花怜央

慶應義塾大学総合政策学部3年 / 大学在学中に自分の考えたことや頑張ったこと、感動したことなどをまとめていきます。

立花怜央

慶應義塾大学総合政策学部3年 / 大学在学中に自分の考えたことや頑張ったこと、感動したことなどをまとめていきます。

最近の記事

アウトロー、父、または敏腕社長

「サイレントマジョリティー」(欅坂46) 「Remenber Me」(MAN WITH A MISSION) 深夜12時に父がlineで送ってきた。余計なお世話だと思いながらも、「草」とだけ返す。それ以上の反論ができない。まあ、父も最初は国家公務員だったのだから、僕のファーストキャリアや現時点での意思決定にアウトローを求めるのはずるい気もするが、、、。 多くの同級生が就職を選ぶ僕のキャンパスの中で、僕だけ大学院を選ぶのは自分の中でなかなかのアウトローな意思決定だと思って

    • 金魚

      咄嗟に黒い金魚が溢れてきた。 お昼休み。1年の頃から同じクラスのBといつものようにふざけて遊んでいる。 「お前、人権ないから。」 いつものBのちょっとしたいじり。 「いや、なんやねん。それ笑」 乾いた笑いで傷をごまかす。その笑いとともに金魚が口から溢れる。僕にしか見えないけれど、金魚はたしかにそのまま教室中をユラユラと泳いでいる。 年が明けると、教室は赤い金魚でいっぱいになった。先生の書いた黒板の文字が見えないほどに。 僕はもうボロボロだった。黒い金魚が溢れた頃

      • 人間は皆同じであることを求めるものだ

        Detroit: Become Humanというゲームでアンドロイドのマーカスと老人のカールがスピードチェスをしている場面がある。このゲームで、マーカスが負け、その理由を正直に話すとカールがこんなことをマーカスに対して喋る。 これをアンドロイドに言ってるのがなんとも味わい深い。私もそうだけれど、気づくと人と同じことをしている。思考。行動。あらゆるものがルーティーン化した毎日に意味はない。だけど、意識していないとそうなってしまう。変化はストレス。常に新しい生を歩む。昨日を殺す

        • 悲愴。強迫。

          徐々に体調が良くなってきた。少しずつ。調子が底上げされてきた感じ。 でも今度は日中に辛さが襲ってくるようになった。感情はなんともないのに勝手に心臓が早く動き(昨日思ったけど、これって動悸なのでは?)、手に汗がにじむ。それを知覚すると、さっきまでなんともなかった感情がネガティブに引っ張られ、不安や焦燥、悲愴感に襲われる。きつい数十分を経るとなぜだか自然とおさまる。喜びや幸せを感じるレセプターが壊れたような気もする。嬉々として何かに向き合うことができなくなった。というより、楽し

          もし今日が最期の日なら

          もし今日が最期の日なら、自分はなにをするだろうか。 その問いが頭から離れない。今日を生きた証を残さずにはいられない。なにか自分がここにいることを証明しなければ。なにか進捗を出さなければ。なにか少しでも自分を成長させなければ。そんな焦燥感に駆られる。これまで漠然と捉えていた死がなぜか鮮明に見える。 だけど、定期的に虚無感に襲われる。生産活動の一切を放棄する。身体に力が入らない。多くの人々が自分の役割を持って一所懸命に活動しているというのに。あらゆる事象が絡まり合い、何がこの

          もし今日が最期の日なら

          毎朝辛い

          ここ1ヶ月ぐらい、朝起きると希死念慮が猛烈に襲ってくる。友達は理解を示してくれて、本当に感謝している。私は素敵な友達に出会えたという点で、恵まれている。だけど、それでも辛い状況は変わらない。 原因は明確だけど、それをどうすればよいかわからない。執着や嫉妬、私のあずかり知らないところでの自分勝手な被害妄想。過去の自分のブログが正論すぎて嫌になる。全くもってその通りだけど、それを実行できるほどの精神状態ではない。ブログによって自らの精神状態を測れるのは面白い。 自己の存在価値

          生きていく上での期待値

          自分の目標が達成できずにがっかりすることや他者に期待してその通りにいかなかった時に失望することは生きていく上でよくあることだと思います。私は最近人間関係や人間の内面に非常に興味が出てきたので、それについての考察をまとめていきたいと思います。ここでの私の目標は「どうすれば心穏やかに幸福感高く生きていけるか?」という問いに現時点での自分なりの解を出すことです。 自分に対する期待値 私は小さい頃から負けず嫌いで、様々なことを誰にも負けないように取り組んできました。小さい頃はそれ

          生きていく上での期待値

          人生の変数と定数

          学者や成功者、著名な論客がよく「定数を変えようとしても努力の無駄だ。変数を動かさないと」といった旨のお話をされます。ここでいう定数とは自分の力ではどうすることもできないようなことのことです。過去の事実とか他人の気持ちとかマクロな事象とか。彼らはそこに意識を向けていてはダメだというんです。自分ができることだけに力を注いで、その他のことは考えないようにしろと。 でも、変数・定数って結局モデル化の次元の話なのではないでしょうか。つまり、個人のモデルの次元数によってどこまでが変数な

          人生の変数と定数

          過去の取り扱い

          過去の嫌だったこと・辛かったことを皆さんはどうやって乗り越えていますか?過去の事実は変えられません。だからこそ、それが頭の中で岩のように残ってしまうのです。私はここ数日、過去の出来事についてずっと悩んでいました。過去に勝手に後悔して、勝手に悲しんで、勝手に怒って。だけど、このままではいけないと思い、どうにかして岩を取り除く方法を考えてみました。 それが以下の3つです。  自分の感情を受け入れる  捉え方を変える  「今」を集中して生きる 自分の感情を受け入れる 事

          過去の取り扱い

          リスク&リターンの人生を生きるべきかと「浅い」について

          そんなことを考えても時間の無駄と思われるかもしれないが、時にはこういう意味がないかもしれないことについてじっくり考える時間をとってみたいと思う。 「リスク&リターンで自分の人生の全ての意思決定を行って良いのだろうか。」 これが今回考えたいテーマである。仕事については疑う余地なく、リスク&リターンで物事を判断すべきであると考えている。仕事はあくまでも利益追求(稼ぐこと)が目的だから。そこは納得できる。しかし、例えば人間関係や学ぶべき対象、時間の使い方などそこにまでリスク&リ

          リスク&リターンの人生を生きるべきかと「浅い」について

          「多次元科学への誘い」を読んで(複雑性の議論2)

          SFCで安宅和人先生の「データ・ドリブン社会の創発と戦略(応用)」(通称:デードリ)を取っているのだが、そこで紹介された丸山宏先生の「多次元科学への誘い」というnoteが興味深かったので考察していきたいと思う。複雑性に関しては、以前BCGの栗原さんのお話をもとに考えてみたことがある。この時の私の考え(ひょっとするとBCGも)はまさに丸山先生が指摘されていた「還元主義」的思考であったと思う。丸山先生は情報処理機械の活用によって作用機序を理解することなく事象を「予測」したり、「制

          「多次元科学への誘い」を読んで(複雑性の議論2)

          Integrity

          ”Integrity”という英単語は知っているだろうか。これは、誠実さ・高潔・完全な状態といった意味である。私は5月にこれをもとに人生のモットーとした。「常に誠実かつ正直であること」これが今の私のモットーである。 私は昨年1年間を通して、最も大切な人を傷つけてしまった。その人は真っ白で透き通っていて、私とは全く違う非常に美しい人であった。嘘は絶対につかず、他人が傷つくことも絶対にしない仏のような方であった。私は何度もその人に救われてきた。いつも隣で微笑んでくれた。いつも無償

          複雑性を克服する

          先週の6月20日にSFCにBCG(ボストン コンサルティング グループ)の栗原勝芳さんが講演に来てくださった。そこで栗原さんがこんなことをおっしゃっていた。 「複雑性を克服する」 何ともかっこいい響きである。 でも、そもそも「複雑性」ってなんだろうか? 辞書で調べてみた。 わかったようなわからないような、、。 ここで、良いPDFを見つけた。それが、 「複雑性早わかり」 https://complexityexplained.github.io/Complexi

          複雑性を克服する

          信仰と上位概念

          一昨日(6月19日の月曜日)にゼミの先輩が宗教の話をしてくれた。その先輩曰く、神(上位概念)が求めていることをしたいし、神(上位概念)が悲しむことはしたくないらしい。そして、誰しもがそのような上位概念を持っているらしい。 一般的に日本人は他国に比べて、宗教に関心が少ないとされており、「神様を信じていますか?」と日本人に尋ねると少し考えてしまう人が多いのではないだろうか?この大きな要因の一つに、神という信仰の対象が我々日本人にとって何を指しているのかが不明瞭であるというものが

          信仰と上位概念

          雑感

          InstagramとかTwitterとかTikTokとかYouTubeとか受け取る情報が多くて訳がわからない。何が正しいのかもわからないし、そもそも自分がそれを思考することに意味があるのかすらもわからない。 気になることがあってそれについて考えていると、ふと、そもそもなぜそれを考える必要があるのかという思いが湧き上がり、 「意味がないな。」 と思った時にはそれまで自分なりに丁寧に積み上げてきたはずの論理的思考が崩壊している。その繰り返しである。 だから暇な時にテキトウ