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信仰と上位概念

一昨日(6月19日の月曜日)にゼミの先輩が宗教の話をしてくれた。その先輩曰く、神(上位概念)が求めていることをしたいし、神(上位概念)が悲しむことはしたくないらしい。そして、誰しもがそのような上位概念を持っているらしい。

一般的に日本人は他国に比べて、宗教に関心が少ないとされており、「神様を信じていますか?」と日本人に尋ねると少し考えてしまう人が多いのではないだろうか?この大きな要因の一つに、神という信仰の対象が我々日本人にとって何を指しているのかが不明瞭であるというものがあると思う。我々は多神教的世界観で生きており、ひとくちに神と言っても「え、それって八百万の中のどなた??」となりかねない。

そこで、信仰の対象を一括りに「上位概念」としてみる暴挙に出てみたい。上位概念は神よりも大きな概念であり、自分が信仰の対象としているもの全てが含まれる。(家族とか彼女とか推しとか!)そう考えると、意外と我々日本人も「信仰」しているのではないだろうか。「信仰」というとどうしても宗教感があり、現代の日本人にとってはあまり馴染みのないように感じるが、「推し活」や「オンラインサロン」等において熱狂的に上位概念を支持する様子はまさに「信仰」そのものである。

「〇〇のためにこれをしよう」

「〇〇がこれを見たらどう思うか?」

「〇〇だったら、こんな時どうするか?」

このような判断基準に基づいて意思決定をする場合、〇〇は上位概念であり、その上位概念を信仰してると言って良いと私は思う。

その先輩は「家族」が上位概念であり、家族が悲しむことは絶対にできないらしい。それを聞いて、私は頭の中で「彼女」が上位概念なのかなと考えた。彼女が悲しむことはしたくないという気持ちが強いからである。

また、先輩は「互いが信仰し合える関係は素晴らしいよね。」ともおっしゃっていた。なるほど、互いが上位概念であれば互いの幸福のために各々が自発的に行動するから、それはそれは素晴らしいものになるだろう。ここまで考えて、ふと、あれ?そもそも信仰ってなんだっけ?と思い、調べてみた。

信仰
神仏のように、自分にとって究極的な価値や意味をもっている対象と全人格的な関係をもち、その対象に無条件に依存し献身する心的態度をいう

日本大百科全書(ニッポニカ)

あれ??

信仰
絶対的他者 (神,キリストに代表される人格的他者およびその他の超自然的存在,あるいは自然的存在) もしくは絶対的自己への信頼的,合一的態度

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 

もしかして、人間間での関係性で「信仰」って言葉は適切ではないのか、、、?確かに、「互いが信仰し合える関係は素晴らしいよね。」は聞かないけど、「互いが信頼し合える関係は素晴らしいよね。」は結構一般的、、。

では、信仰と信頼の違いって、、?

信頼
人間と人間との間に形成され、相手の人格にすべてを一任する心的態度

日本大百科全書(ニッポニカ)

どうやら、「信頼」は相手に何らかの行為をしてもらう場合に使用する言葉らしい。また、相手のために何かをするという意味は「信頼」にはない。

さらに、このような辞書もある。

信仰
1 神仏などを信じてあがめること。また、ある宗教を信じて、その教えを自分のよりどころとすること。「信仰が厚い」「守護神として信仰する」
2 特定の対象を絶対のものと信じて疑わないこと。「古典的理論への信仰」「ブランド信仰」

デジタル大辞泉

「 特定の対象を絶対のものと信じて疑わないこと」

これはどちらかというと盲目的に信じ込む有様のように思える。

とすると、人間間における「信仰」があるとするならば、信頼するに足りる他者が超人的な人格を持っていると捉えることによって、その対象に献身し、自己のよりどころとすることと言えるのではないだろうか。

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