「ふ」は、「普通」禁止、ぜったいだめ
おいしょっと、コラショ。
暑さ和らぐ夕方にこんにちは^^
「普通は買うよね〜」
「みんなだいたい金曜日はお迎えだよ」
わたしは「普通」と「みんな」を多用する人を信用しないようにしている
だってわたしは買わなかったし(手作りにしたんだった)
みんなお迎えならお便りがあって幼稚園の送迎バスは出ないはずだ
「普通」とか「みんな」とか
だれ の なに なんだろう
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母親からの
「普通はこうするでしょ」
この言葉でどれだけ
「わたしって普通のこともできないんだな」って
自分のことを低く低く見積もってきたんだろうって思う。
落ちているティッシュに気づかず拾わないとか(THEズボラ)
食器を洗う順番(コップが先で油物が最後)とか
ゴミを出すときに上に入らないチラシを蓋のようにして出すとか
「普通はこうするでしょ」
そうなんだ
わたしは「普通」もできないダメな人間なんだなぁ
子どもにとって親っていうのは
絶対ルールであり
人生の初期設定の設定者
ここでも書いたように
今のわたしの「普通」の基準は
そう、母親の「普通」の基準だ
しかし社会に出て、結婚して
それはそれはたくさんの「普通」に出会うことになる
驚いたのは
旦那の実家では
しじみ汁のしじみの身は食べない
という「普通」
あれは出汁を取るものらしい(もちろん食べてもよい、わたしもむすめもちまちまと身を食べて、その後のしじみ貝を積み重ねるのが好き)
他にも
台所のスポンジが5〜6種類あるのも
旦那の実家の「普通」だ
これなら自然と使う順番で洗う順番が決まる
我が家も採用!
友人の家のフライパンやフライ返しが
ベタベタのまま食器やグラスと一緒に置いてあったのも
会社の先輩が家でラーメンを食べるときは必ず割り箸を使うのも
それぞれの「普通」
自分の「普通」は押し付けず
相手の「普通」に興味をもつ
相手の「普通」は相手の
せっかくの子育てエッセイなのだからそれらしいことを書くと
ママ友の「普通」や
旦那の「普通」に興味をもつことで
家庭環境や価値観やいろいろなものに理解を示すことができるようになった
「普通」という言葉がネガティブワードだったわたし
「普通」という言葉をポジティブワードに変換してみたよ
そして子どもにも
我が家の「普通」があるってことは
おともだちの家の「普通」があるってことで
なんだよ、って言うようにしている
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間違っても
「普通はこうするよね?」
とは口にしない
それはただの
わたし の エゴ
※エゴ(自我や自尊心、自分の利益のみを追求する行動や考え方)
「普通」に振り回されないでくださいね、ママさんたち
それは
誰かの エゴ
かもしれないのですよ
今日もありがとうございました♪
みなさまに幸あれ。