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目玉焼きの美学

最近の朝食はトースト。
その上に目玉焼きを乗せ、ケチャップを垂らして食べている。しかし今朝、うっかりその卵を床に落としてしまった。卵を落としてしまうのは成人になってから初めてのことだ。

最悪である。

無駄にしてしまったという残念さより、潰れた卵を見るのがとにかく嫌なのだ。

いつも通り机の角にコンコンさせていたら、手から飛び出してするっと落ちてしまった。その瞬間、グシャっという嫌な音とともに、真っ黄色のドロドロになった液体が床に散乱した。ティッシュで掴むことにしたのだが、薄い紙越しに冷たいゼリー状の物質を手に取ったときのあの感覚は忘れられない。気を緩めてしまうとティッシュの隙から液体が滑り落ちてきた。

卵は、目玉焼きのように黄身の部分を美しく維持させるか、そうでなければ黄色い液体になるまで混ぜなくては気が済まない。そのぶん、黄身と白身のバランスが正しい目玉焼きは最高だ。大きな丸の中に小さな丸があり、収まりがよく、色のバランスもよい。焦げのない、まん丸な目玉焼きには幸福さえ感じる。

しかしひとたび崩れてしまえば話は別だ。形を失い、液体になり、黄色い汁が白身を超えてフライパンの外側までじわじわと流れていく様子はほとんどグロテスクといっていいと思う。床に落ちるなどもってのほか。割れた殻と黄身がごちゃごちゃになった様子は目も当てられない。

鳥の誕生シーンもだめだ。理科の授業だったか、見させられた動画がトラウマだ。殻に少しずつヒビが入り、何やら鋭いものが飛び出してきたと思えばなんと、濡れた薄毛が見えてくるではないか。ようやく殻を出たその生物はたしかに鳥らしいのだが、異常に遅く、どこか寒そうで、やたら大きい目をギョロギョロさせている。映画に出てくるエイリアンよりもエイリアンだった。以来、卵を割るときは今でも有精卵だったらどうしようかと、少しだけ緊張する。

こんなに嫌味を書いているのは、おそらく今朝みた夢のせいだ。
夢の中で、誰かが卵を割って食べようとしていた。私はそれを向かいで見ている。口へ運んでからすぐに、その人が顔をしかめた。そして吐き出した。

なんと、吐き出された液体の中から、モニョモニョと動く白っぽいエイリアン(雛)が出てきたのだ! エイリアンは何が起こったのかわからない様子で、ゆっくりと世界を見回していた。夢の中で私とその人は「ああ、有精卵だったのね」といたって冷静だった。信じられない。

といいつつ、目玉焼きは毎朝食べてしまう。
完璧な目玉焼きは、何度も言うように美しいものだ。程よく白身に火が入っており、形はほとんど円状(楕円ではない)。黄身は箸を入れてようやくとろけてくるくらいの硬さ。これに成功すると、朝から気分が上がる。

ホテルのように、丸い型に入れて焼くのはどこか人為的で好きではない。あくまで道具を使わないことに醍醐味があるのだ。

焦げつきやすいフライパンでない限り、油は不要。卵を落とすときにはなるべく手を垂直に。フライパンにギリギリまで近づけて、飛び散らないようにする。そうして静かに手を離すと、白身が無造作に広がっていくことはある程度避けられる。そこから弱火で3分ほど、できれば蓋をして火にかける。あんまり強くしてしまうと、今度は白身に気味の悪い気泡ができてしまう。白いぶつぶつみたいでこちらも食べる気が失せるため、けっして火を強めてはいけない。ガスコンロの場合はとくにご注意を。

こちらは広島で食べた、ほとんど完璧な目玉焼き。黄身がもう少し中心に寄っていたら、理想だ。


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差詰レオニー
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