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【美術モデルの週報】生活に句読点を。

この日は都内某所でコスチューム(着衣)の絵画モデルをしていた。

公園の土が舞うほどに強い風が吹いており、昭和から続く木造建築の会場ではすりガラスの窓が終始ガタガタと音を立てて揺れていた。
めずらしく天窓のあるアトリエで、そこから差し込んでくる自然光をつかってデッサンをするという斬新なスタイル。

その天窓に隙間があるのか、デッサンの途中に上から枯れ葉の一枚がひらひらと落ちてくることがあった。とあるおじさまの頭上にひらりと舞い降りた瞬間は、ポーズをとりながら笑いを堪えるのに必死だった。皆が集中して目の前のキャンバスに描きこんでいるなか、彼だけがまるで初雪を見上げるように天井を見つめていたことを、私は知っている。そんなことまでモデルは見えてしまう。

休憩でたばこを吸いに外へ出ると、見覚えのある背中が見えた。例の初雪を受けた男性とはちがう男性だ。

彼は初日から「今日の調子はどう?」と元気に聞いてくれる人だった。私が「ばっちりです」と言うと、「よ〜し、今日も頑張るぞー!」と元気に応えるのが毎回の定番だ。メッシュタイプのシャツを着ている上にすこし日焼けもしているので、スポーツマンのような印象を受ける。モデル台からはよく、仏像の作品集を見ながら描いている様子が目に入っていた。モデルを目の前にして別のモチーフを描く人はめずらしく、少し気になっていたのだ。

そんな彼が同じ喫煙者だったという嬉しさから、つい話しかけてしまった。

「たばこ、吸われるんですね」

私が言うと、彼はくるっと振り向いて

「おうよ!」

と、やはり快活に答えてくれた。言葉が続くかと思って待機していたのだが、遠慮をしているのか、またくるっと向こうのほうを向いて行ったり来たりしていた。

基本的に、参加者はデッサンモデルとの会話や私語を禁止されている。裸にもなる仕事なので、プライベートな情報は明かさないようにと、事務所からも釘をさされているのだ。

風にさらされてぼんやりしていると、何かを思いついたように彼がこちらを振り向いた。日差しが強いので、後光が差している。

「何かが終わったら一本。たばこは生活の句読点だよなァ」

おもしろそうな話が始まったぞ、と思い、次なる言葉を待つ。スポーツマンみたいな彼は、意外にもゆっくりと考えながら喋るらしい。

「たばこは生活の区切り、『。』だな」

自分に言い聞かせるように彼は言う。

「コーヒーは、『、』だよな……『。』じゃない」

よくみると、彼の片手には空になったコンビニのカップコーヒーがある。

「酒とたばこは『。』だ」

その通りだと思った。たしかにコーヒーは作業中の息継ぎにはなる。でも締めくくるにはすこし物足りない。

「いまはみんな喋りっぱなし、動きっぱなしだよ。そうやって句読点もなく生きてるから、トランプさんみたいなおかしい奴が持て囃されるんだ。みんな、生活に句読点を打たないと」

と彼は続けた。わかるような、わからないような気がして、「本当にそうですね」とだけ私は言った。真意を聞くのが、ここでは不粋であるように感じた。

それから数日考えているのだが、彼の言ったことは結局分からないままだ。アメリカは日本以上に貧富の格差が激しく、リベラルな思想に食傷気味になっているとも聞く。彼の登場が生活の「句読点のなさ」と関連しているのかは計りかねるけれど(というか論理が飛躍しすぎてほぼ破綻しているような気がするけど)、独りごちながら静かに悟る様子は、後光が差しているのも相まって、「本当にそうかもしれない」と思わせるなにかがあった。もっとも、自分が肩身の狭い喫煙者だから、というのは大いにあるのだが。喫煙を肯定してくれる言説にはいつもスタンディングオベーションをしてしまう浅はかさが、私にはある。

さて、そんな彼は句読点の話をしたのち、突然

「サンシャイン!」

と大きな声で私に言ってきた。天気のことかと思い、

「ああ、そうですね。今日、ほんとに天気いいですねぇ」

となんとか取り繕った。

「いや、この前池袋のサンシャイン展望台に行ったんだけど」

そっちか〜い。初手で「池袋サンシャイン」には辿り着けないぜ、と思っていると、彼はこう続けた。

「すごく綺麗だった。今日みたいにスカーッと晴れててね。外国人も多かったけど、ああいう高い場所のほうが気持ちいいんだろうな。開放的で」

そしてまた、「なるほど」と唸る私。やはり遠くを見つめている彼のなかには、手ざわりのある気づきがあったのだと思う。

そのように人やものの潜在意識を探ろうとすること、そしてその結果を説明する言葉がいつもすこしだけ足りないところに、「画家み」を感じた。「合っているか、間違っているかは関係ない。おれは現実をこう見るんだ」という頼もしさがあった。

だから私は彼らが好きだ。それで収入を得ているわけじゃなかったとしても、真剣に絵を描いたり造形している彼らの姿には励まされるものがある。自分を曲げずに生きる勇気をもらえる。

色眼鏡をかけないピュアな眼差し、出来合いのものに飛び付かず、まだ形になっていないものを掴もうとする彼らの気骨を見ていると、社会通念の汁でズブズブになった私の脳も心なしか漂白されるような気がする。漂白まではいかずとも、薄めることはできる。素直に生きることが許されるこの世界でのみ楽に呼吸ができるような気がして、絵も描けないのに私はモデルをしている。

そろそろ十分休憩も終わりに近づき、彼といっしょに教室へ戻ることにした。最後に、ずっと気になっていたことを聞いてみた。

「仏像の写真を見ながら描かれてますよね。いまどんなものを描いてるんですか?」

「ん。極楽!」

やはり、彼は画家だった。


*毎週火曜日18時に、美術モデルのお仕事のあれこれを発信しています。お仕事のこと、デッサン会場の雰囲気を、モデル側の視点から書いてまいりますので、よろしければフォローしてください。

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差詰レオニー
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