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スーツケースキャッチャー

高2でオーケストラ部を引退したとき、当時中学1年生だった後輩からサンキャッチャーのプレゼントをもらった。真面目で、音楽と絵を描くことが大好きな心優しい女の子だった。なぜか私のことを大層慕ってくれてもいた。

サンキャッチャーとは窓辺にぶら下げる大きなビーズのようなもので、光が当たるとそのビーズを中心に小さな虹ができる。総じて縁起がいいものとされている。

もらった当時はサンキャッチャーの存在を知らず、なんだか胡散臭いプレゼントだなぁ、と思ってしまった。他の後輩からは綺麗な花束やおしゃれなトートバッグなどをもらっていたのだが、そういうオーソドックスなものの方が当時の私には嬉しかった。

きっと「光」とか「虹」とか、そういうものが安直で稚拙なものに見えていたんだと思う。彼女のピュアな思いに向き合うのが照れ臭かったのだ。

だから彼女のサンキャッチャーは光を浴びさせることもなく、しばらくは日陰に置いてある箱におさめたままにしていた。箱から取り出して飾るようになったのは、私の浪人が決まってからのことだ。殺伐としている自室に彩りが欲しくなり、ようやくサンキャッチャーは日の目を浴びた。はじめて見るサンキャッチャーの光は、万華鏡のような柄であたりに広がっていった。1で届いた光を10にして部屋のなかを満たしてくれるような、そんな美しいものだった。「なるほど、これを私に見せようとしてくれたんだね」と、惜しくそして彼女に申し訳なく思った。

それから大学に受かり、久しぶりに部活へ顔を出したことがある。
でもそこに彼女の姿はなかった。聞くと高校に上がる前、学校に馴染めなくなって転校したという。通信に通いながら美大を目指していると聞いたが、今はどうしているかわからない。

サンキャッチャーをもらった当時から彼女のようなまっすぐな感性を持ち合わせていれば、今のような廻り道をしていなかったのかもしれないなぁ、と思う。

何を美しいと思うか。何をもって愛とするか。
自分の目と心で感じたものに、素直に動く。それには実は、たいへんな勇気がいるのだ。そのことに気づき、そして恐れず行動できるようになるまでに私は20年弱もかかってしまった。

あのときサンキャッチャーをくれた彼女が、今は安心できる場所で穏やかに過ごせていますように。

そしてあのときと同じように、自分の気持ちに素直で、純粋な心を大事にしながら生きられていますように。

今はどこにいるのかもわからない彼女に、ささやかな祈りを捧げることしかできない。

今月は電車の中でスーツケースをこしらえた乗客に鉢合わせることが多かった。

海外旅行をしている外国人の客が大きなスーツケースを持って満員電車に乗ってくると、なぜか申し訳ない気持ちになってくる。重い荷物を抱え、東京民としてはもう諦めてしまったこの満員電車のストレスに揉ませてしまって、ごめんねと。

夜になると今度は日本人の、旅行や帰省から戻ってきた乗客がちらほら見える。お盆などは特に車内も人がまばらで、ほどんどの乗客が座れるほどに快適だった。

あるときの地下鉄に座って乗っていると、上流から、ひとりでにアイボリーのスーツケースが流れてきた。持ち主の手を離した隙に進行方向へ向かってきたのだろう。他の乗客は気づいていないのか、見て見ぬふりをしているのか、誰もスーツケースを止めようとしない。いよいよ私の前に来た時、自然と手が伸びた。咄嗟のことで、片手を伸ばすのに精一杯。スーツケースは中に荷物がぎっしり入っているのか、片手で支えるにはかなりの重さだった。

上流の方を見るが、誰とも視線が合わない。

立ってスーツケースを押しながら、流れてきた方向へゆっくり歩く。まるで今は無き、新幹線の車内販売のように。

するとひとり、顔を上げた若い男の子がいた。

何と言うべきか、迷う。

「あの、これ、移動してきたんで」

意味不明な言い訳とともに、スーツケースを手渡した。

男の子は何も言わず、驚いたような顔でこちらを見、ちょうどそのとき着いた駅でそそくさと降りて行った。

同じようなことがつい最近もあった。

日曜日の午前。下りの電車でまた本を読んでいると、オレンジ色の、1泊2日分と思しき小さなスーツケースが流れてきた。これまた、誰もキャッチしようとしない。

どんぶらこ、どんぶらこ。

ここは東京、見て見ぬふりが得意な街。
桃太郎に出てくるおばあさんみたいな大人はいない。

またか、と思い、再度片手で押さえた。
そしてスーツケースが来た方向へ、ゆっくりと歩いた。

すると右の座席の方から、「あっち」と指を指している中年の男女がいた。
目線の先を見ると中年男女の反対側に、寝ている人が2人、男と女がいた。しかし寝ているのでどちらが持ち主かわからない。

中年の男女が、まず男の方を起こした。
すると男は突然のことで驚いたのか

「えぇ! ボク!?」

と寝ぼけた声を張り上げた。

その声で目を覚ました隣の女が、

「あ、」

と言い、何事もなかったかのようにスーツケースを受け取り、スマホをいじり出した。

べつに感謝されたいわけじゃない。
しかしなんでこうも無反応なのだろう。桃太郎だって、感謝と言わんばかりの産声を上げたのに。突然のことでうまく言葉が出なかったのだろうか。

気まずい心持ちで座席に戻る。
座ってから、所在ない気持ちを紛らわせるために

「あたしはいい女」

と必死で言い聞かせた。惨めである。桃太郎のおばあさんでもそんな自己暗示はしていないだろう。

それから数駅して、ふと本から顔を上げたときのこと。

目の前に座っている男の人が、静かに目を閉じたまま、つーっと涙を流しているのに気づいてしまった。

右と左、それぞれひと粒ずつ。
目を瞑りながら、乾くのを待っているようにも見えた。見知らぬ男の涙を見るのは、これが初めてのことだった。男が静かに涙を流す様子は正直なところ、美しかった。

男はイヤホンをしていた。もしかすると流れてきた音楽に感動していただけかもしれない。ついさっき、恋人と別れてきたのかも。いやいや、前の晩にもこんなふうにさみしく泣いていたのかもしれない……。

男の涙のわけをあれこれと考えているうちに、彼はさっと立ち上がって降りて行った。その頃にはもう、涙はきれいさっぱり乾いていた。つい数分前まで泣いていた人には思えないほど、目はぱっちりと冴えていた。

8月はそんなことがあった。
電車で流れてくるスーツケースをキャッチするたびに、サンキャッチャーをくれた後輩のことを思い出していた。

あのとき即座に太陽の光をキャッチすることはできなかったけれど、今は代わりにスーツケースをキャッチしている。自分でも驚いてしまうほどの謎な瞬発力は、あの子への、しょうもない懺悔なのかもしれない。

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差詰レオニー
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