2023年、hicardがこの業界で挑戦する理由を考えた
こんにちは、hicardの北川レオです。
おかげさまで株式会社hicardは、設立から3年の節目を迎えることができました。いつもhicardを支えてくださっている皆様、心からありがとうございます。現代における3年という時間は、体感よりもずっと濃密なようで、この3年間を通して、僕個人の目的意識やhicardの存在理由についても、その解像度に大きな変化がありました。もちろん、今後もアップデートされていくものではありますが、2023年時点での自身の考えを記事に残しておこうと思います。
0. 前置き
株式会社hicard
hicard(ハイカード)は、仕事を共にしていた3人のデザインチームを法人化して生まれた会社です。2020年、僕はなにか大層なビジョンを掲げていたわけではなく、より魅力的な仕事に携わるために自身のクリエイティブチームを早く作るべきだ、と焦る気持ちから法人登記を急いでいました。立ち上げ後も、良いモノづくりをすること、クリエイティブのジャンルを絞らないこと、グローバル展開前提で動くこと以外は、ほとんど制限なく自由にやってきたチームでした。
しかし、創業2年目、hicardに関わっていただける方の数がぐんと増えると、組織としての人格も生まれ始め、僕たちは何を成し遂げるために仕事をしているのか、どんなチームを目指しているのか、を明確にし公言する必要が出てきました。魅力的なプレイヤーを巻き込みチームの連携を強めるためには、明確なビジョンと共感できるストーリーが必要だからです。今まで何がなしに運営してきたhicardという組織に対して、腰を据えて向き合うべきタイミングが近づいていました。
hicardが近い未来に目指す組織像については随分前から議論しており、暫定的なアイデアは既に言語化できていました。それは、売上を最優先にせず、良いモノづくりをしたい人がジャンル問わず集まり、プロジェクトごとに柔軟なチーム作りができる組織です。自由な気風で拝金主義的ではないクリエイティブチームのような概念は、ここ数年で散見されるようになったものの、依然マイノリティとして扱われる考え方です。いずれにせよ、そのような組織を目指すと宣言するのであれば、社内外問わずにその理由を説明することが求められます。であるにも関わらず僕は、この組織像を目指すべき具体的な理由を納得感のある根拠を持って説明することができずにいました。この考えはロジカルな議論を積み重ねて生まれたものではなく、僕の主観的な感覚を基にしたものであり、再現性の高い説明として再構成するための時間を十分に確保できていなかったからです。そしてその感覚は、〇〇の事業領域では〇〇な構造になっているからビジネスチャンスがあるんだ、などといった局所的な事象に対してではなく、到底3分間のピッチでは説明しきれないような社会の根底に横たわっている大きな文脈に対して、つまり世の中の大きな流れに対しての感覚でした。
正直なことを言うと、その対象物の手触り感のなさと壮大さへの萎縮が相まって、今まで向き合うことを避けてきた節もあります。が、主観的な憶測に頼った説明だけでは人の心を動かすことは難しい、という当たり前の前提に立つと、hicardの今後のためには、根拠立てられた再現性の高い説明が必要であることは自明です。
繰り返しになりますが、hicardが目指す組織像は、世の中の大きな流れに対する非言語的な感覚がベースになっています。であるならば、世の中に対する解像度が上がれば、僕の考えの源泉もはっきりしてくるはずです。そのため、まずは、今僕たちはどのような時代を生きているのか、今後どうなっていくと考えられそうなのかを調べ、言語化することから始めました。
僕は、情報のインプットと考察を繰り返すことに数ヶ月間没頭しました。
先に結論
結論を先に書きます。
読者のほとんどを占めるであろう、IT系のデザイナーの方々からすると、「まあそうだね」と共感いただける部分が多くあるかもしれません。この記事は、「まあそうだね」と思えることが、なぜそうだと言えるのか、その根本を考えるような内容になっているので、当たり前じゃんと思われた方もぜひお時間をいただけると嬉しいです。
そして、これらの考えの根底には、僕が今回取り上げる要素だけに絞ったとしても、非常に複雑かつ多面的な背景が存在しています。取り扱うテーマの都合上、シンプルな情報構造にすることは難しく、重複する説明もいくつか出てくるかと思いますが、ご了承ください。
二つの切り口
僕は、情報をインプットしていく中で特にフォーカスすべきトピックとして、市場経済の発展と産業革命について掘り下げていきました。なぜなら、どちらも現代の経済・産業の根幹を支える大前提の事象であり、クリエイティブ業界にも多分な影響を与えているからです。例を挙げればキリがないですが、我々が広告業界に対してブラックな印象を持つ背景には市場経済において利益最大化を目指すという資本主義的な力学が働いていますし、産業における段階的な変革を通して、求められる職能と働き方にも大きな変化がもたらされました。現代という時代に向き合う以上、大きな流れを作っているこれら二つの事象を避けて通ることはできないため、本記事では以下の二つの切り口で現代社会を紐解いていくことにします。
市場経済の発展がもたらした経済的な背景
産業革命がもたらした産業的な背景
まずは、それぞれの切り口ごとに、これら二つの事象は社会全体、及び生産者と消費者にどのような変化を与えたのかについて言及し、それらを踏まえた上でhicardの目指す組織について記していきます。また、本記事では日本社会を中心に議論を進めますが、hicardが将来的にグローバル展開をしていくことは前提とした上で、まずは自分達の生きている日本という国に焦点を当てることで、現代社会に対する理解度を上げようという意図がありました。
1. 経済的な背景
資本主義の性質
資本主義は、日本、そして世界の経済を根本的に支えている概念です。僕が愛聴しているポッドキャスト「コテンラジオ」の「資本主義・ポスト資本主義」のシリーズでは、以下の6つの項目を資本主義の性質として列挙していました。ここでは、資本主義について考える軸とするために引用させていただきます。
さて、ここからは、上記6つの性質がそれぞれに持つ課題をクリエイティブ業界の視点も織り交ぜながら併せて提示し、資本主義社会についての解像度を上げていきます。そして、そんな社会がモノづくりに与える影響について考えます。
①市場経済を前提として成り立っている
全ての性質の前提条件となる性質です。20世紀後半以降に日本に生まれた世代にとっては、自由市場が整備されていない世界を想像することは難しいですが、モノづくりの観点から見ると、市場経済を前提に成り立っている社会であること自体に課題を見出すことができます。なぜなら、現在行われている生産活動のほとんどが市場経済に組み込まれており、市場に流通することが前提ではないモノづくりは淘汰されていく傾向にあるからです。
例えば、現代社会において、芸術家/アーティストとして活躍するためには、作品の芸術性よりも作品の商業的成功が優先されます。その対象がリアルプロダクトであれば、モノの良さよりも、流通ルートの確保や利益率の向上が優先されますし、音楽であれば、楽曲の音楽性よりもインフルエンス力が大事だったりするわけです。そして、市場に流通することを前提に作られていない「ただの良いモノ」は、生産者側に他に収入を得る手段がない以上、市場に受け入れられないまま淘汰されてしまいます。
このような「ただの良いモノ」が評価されない構造に対しての良し悪しを議論するつもりはありませんが、たとえ、誰かにポジティブな影響を与えるポテンシャルを秘めたモノであったとしても、市場に評価されない限り生き残ることができないという仕組みで社会が成り立っていることは確かです。資本主義が浸透していく中で失われていった伝統芸能も「ただの良いモノ」の一例です。
②市場にとって良しとされる行動にしかインセンティブがない
「市場経済を前提として成り立っている」に強く関連する性質です。市場経済の中で淘汰されてしまうクリエイティブ領域については前述した通りですが、対して、インセンティブが発生することによって生じる課題について考えてみます。
市場にとって良しとされる行動を経済的な成功につながる行動と捉えると、この社会は売上と利益効率を追い求めれば追い求めるほど、インセンティブを得ることが可能な構造であると言えます。結果として、市場経済が大きく発展した20世紀後半には、倫理的な考慮や環境への被害を軽視するような経済活動が見られ、社会問題として注目を集めるようになりました。公害などの環境汚染、労働者の劣悪な待遇、消費者の健康被害など、市場経済の原則に則した経営が原因となって引き起こされる問題は後を絶ちません。
以上のように、この性質が持つ明らかな課題は「市場にとって良しとされる行動」が必ずしも人類の全体幸福につながるわけではないという点です。多分に洩れずクリエイティブ業界でも「市場にとって良しとされる」が倫理的には正しいとは言えなかったり合理性に欠けるような構造が多く存在しています。下請け企業のミルフィーユ構造、クリエイターへのやりがい搾取、クリエイティブの盗用、ダークパターンなどが良い例です。
③持続的成長が生産人口に比例している
「市場にとって良しとされる行動にしかインセンティブがない」社会において、高い収益性を持った事業を展開している企業は、従業員を増やしさらに事業を拡大していこうとする傾向があります。当たり前のことですが、従業員が増えれば増えるほど売り上げが増加し、市場からの高い評価を獲得できるからです。
ここでの課題は、上記のように、経済的な意味での持続的成長が促されるような社会において、持続的成長のために生産人口を増やすという手段を疑いなく選んでしまいやすいという点にあります。そもそも成長する必要があるのか、あるのであれば成長スピードは適切であるか、従業員一人当たりの生産効率をあげる手段は他にないか、などと網羅的に吟味する余白を現代社会は与えてくれません。
クリエイティブ業界に目線を移してみましょう。
他業種と同じように、特に、労働集約型のビジネス構造をとる制作会社では、採用人数が売上獲得のためのKPIになってしまいがちです。ですが、そのようにして肯定的に作られる大きな組織は、必ずしもクリエイティブな活動に適している構造であるとは言えません。なぜなら、大きな組織で成果物のクオリティを担保するためには、属人性を可能な限り排除し仕組み化することが効果的な一方で、そのような組織の中では、彼ら/彼女らが持つアイデンティティやユニーク性は徐々に希薄化されてしまうからです。結果、本来であれば属人性に宿るはずのクリエイティブの力は十分に発揮されず、あらゆる点において標準化の傾向が生まれます。
また、従業員を増やしていく過程で、特定の性質を持った個人を集め続けることが困難になっていくということも、大きな組織がクリエイティブチームに適していない一つの理由です。今までの事業はある特定の性質を持つ人が集まったスモールチームだからこそ成り立っていたことだ、と大勢を雇った後に気づくという例も少なくないはずです。それでも、企業は採用人数を優先してしまいますし、社会の仕組みがそのアクションを正当化してくれます。アウトプットの良し悪しに関わらず、生産人口を増やした結果、企業の持続的な成長を達成することさえできるのであれば、「市場にとって良しとされる行動」としてインセンティブが発生するのです。
僕がここで強調したいのは、クリエイティブチームにおいて人を増やすことは悪であるという脊髄反射的な反対論ではありません。この社会で企業/組織を経営する際、人を増やすというアクションがあまりにも前提的かつ脳死的に選ばれているよね、という問題を提起したいのです。
④期待値を定量化することができる
「持続的成長が生産人口に比例している」と合わせて考えたい性質です。それは、持続的成長のために生産人口を増やす、という現象が、売上は期待値を定量化して予測することが可能である、という前提の上に成り立っているからです。
この性質に対して、まず考えるべき課題は、市場経済における価値の中で定量化できる対象はカネのみであるという点です。その企業がいかに人類に貢献しているか、環境破壊を食い止めているか、多くの人々に感動を与えているか、を定量的に測る仕組みは存在していませんし、そのような行動をしたからといってインセンティブを獲得することはできません。市場経済からの評価欲しさに行う非合理的な経済活動も、脳死的に行われる大量雇用も、定量化できる指標がカネにしかないことが原因の一つと言えるでしょう。
加えて、定量化された過度な期待は時に、大惨事を招くという点も忘れてはいけません。定量的な根拠というものは、我々の判断を補助してくれる強力な武器となり得ますが、扱い方次第ではミスリードの誘引となる諸刃の剣です。そして人類が、定量化された予測を疑い踏みとどまること、未来を予測することはできないと自覚的になることの難しさは、リーマンショックや日本のバブル崩壊の歴史からも明らかです。
⑤資本が資本を生む
ここまでの4つの性質は資本主義社会での基本的な行動原理として解釈することができますが、「資本が資本を生む」という性質はその行動原理に従うインセンティブを強化する性質だと考えることができるでしょう。なぜなら、インセンティブとして得られるカネは、市場経済の仕組みを駆使することで、一次関数的ではなく指数関数的に増やしていくことが可能だからです。
指数関数的に増えることを「(期待値として)定量化して」予測できると思い込んだ人々を駆り立てる衝動は強力です。どうすれば自分も資本家側に回ることができるのか、起業家として一攫千金を狙うことができるのか、投資家として楽に余剰資本を運用することができるのか——、いかに人々がこの社会の行動原理に従順であるかはタイムラインに懲りず出回るノウハウが、それを証明しています。
さて、この性質が持つ課題として、貧富の格差が拡大する、という議論が至る所でされていますが、ここで取り上げたいのはそのような正面的な議論ではなく、この性質がもたらす副次的な課題です。それは、指数関数的な成功曲線に夢を見ているこの社会では、既に市場経済的に評価されている企業や個人のノウハウが画一的に伝播する傾向にある、ということです。そして、それは当然クリエイティブ業界にも当てはまります。加えて、この業界はビジュアルを駆使した情報発信が相対的に多いため、その傾向は顕著です。
市場経済的に成功した個人/組織の情報が影響力を持って出回る(市場経済的な成功に繋がらずともインプレッションが稼げそうな情報ももちろん取り上げれられますが)ことが直接の課題ではありませんが、マジョリティがそのような情報に盲信的であることと、社会の行動原理に従わない人々の情報は供給されにくいことに課題があります。確かに、成功者の発信する情報は有益であるかもしれません。でもそれは、この時代の、この社会の行動原理に沿って成功した(あるいは成功させられた)人々のノウハウにすぎないのです。
⑥資本主義はシステムではなくOSとして機能している
最後の性質は今までの5つとは違い、資本主義がどのように社会に実装されているのか、つまり、僕たちと資本主義の関係性を説明しています。「システムではなくOSとして機能している」という表現に対しては、いくつかの解釈ができますが、僕は、「資本主義を前提にした社会構造は、即座に編集・解体ができるようなものではなく、社会のコアとして機能しているものである」と理解しました。
そして、資本主義という概念はまるでDNAのように人々の価値観の根幹に根付いているものであり、文化や思想、商慣習、政治体制など、僕たちの生活を支えるあらゆる要素に相互に影響を与えているため、コントロールが困難なものだと考えています。そのため、よほどの革命的な事象が発生し社会が根幹から作り変えられるようなことがない限り、この根底にある価値観は引き継がれていくはずです。もちろん、クリエイティブ業界においてもです。
資本主義の性質から考える現代社会・モノづくり
以上が、コテンラジオで取り上げられていた資本主義が持つ6つの性質でした。
さて、これらの性質が持つクリエイティブ業界における課題については既に確認しました。
では、このような社会において、クリエイティブ会社はどのような挙動を示すと考えられるでしょうか。
まず、市場経済における成功を前提に、インセンティブを得るために売上と利益効率を追い求めることになります。仕事のクオリティももちろん大事ですが、最優先されるのは会社の経済的成功を見据えた成長です。そして、従業員を増やすことがビジネス拡大に直結するため、採用人数が売上拡大のためのKPIとなります。結果、高い利益率の事業を有し、従業員の増加に伴い売上も上昇し続けている企業は、今後も持続的に成長していくことが市場から期待され、定量的に高く評価され、創業者はインセンティブとしての資本を獲得し、それを元手に新たな事業を展開していく——そのような優れた企業を目指すことは、ごく自然な流れです。
ただ、そのような優れた企業は、果たして、必ずしも優れたモノづくり集団と言えるでしょうか。
僕がここで強調しておきたいのは、資本主義的価値観が支配的な世の中において、上記のようなアクションを促してしまう力学が間違いなく働いているということと、そのような社会だからこそ、真にモノづくりに向き合う企業は生まれにくいだろう、ということです。
ここまでの話を通して僕の主張を簡潔にまとめると、
現代社会では、モノづくりに最適化された組織は発生しにくい
その社会構造はしばらく変わることはなさそう
の2点になります。
ただ言葉にすることは簡単なのですが、この社会は(当たり前ですが)あらゆる要素が複雑に絡み合った上に成り立っているため、できる限り解像度高くお伝えできるように風呂敷を大きく広げました。次は、このような構造を前提とした現代日本で起きている、人々の価値観の変化について、消費者と生産者の二軸に分けて考えます。
消費者の変化
現代社会における消費者の変化について特筆すべき点として、以下の2点をピックアップしました。
消費活動を行う条件が変化し複雑化してきている
所有の概念が拡張されてきている
その結果、人々の消費活動に大きな影響を与えるモノづくりという仕事に求められる要件も、以下のように変化しています。
モノづくりの目的が多面的かつ複雑になってきている
モノづくり対象がより抽象的かつ複合的になってきている
それぞれについて深掘りしていきます。
消費活動を行う条件が変化し複雑化してきている
コンテンツが飽和している現代社会では、人々が商品を認知してから購買するまでのフローと消費活動を決定するまでの条件が複雑化しています。多様なメディアで情報を摂取するようになった消費者は、自分に適したモノなのか、誰がどういう背景で作ったモノなのか、SDGsに則したモノであるか、などの指標を考慮するようになりました。
このような消費者の変化に合わせて、モノづくりの目的は「多面的かつ複雑」になっていきました。純粋に売ることを目的に、マスの感覚に向けてとにかく「買ってくれそう」なモノをつくっていればよかった時代から、細かくカテゴライズされた消費者たちが「買ってよかった」と思えるモノづくりが必要な時代になったからです。そして、時には、今まで社会に認知さえされていなかったニッチな集団のためのデザイン、多様性に最大限配慮したデザイン、消費後にシェアしてもらうことが目的のデザイン、特定の社会問題をターゲットにしたデザイン、などの使い分けが求められるようになりました。
このような変化の主な要因は、表面的には、インターネット技術による消費者リテラシーの変化とマーケティング手法の技術的発達であると考えられますが、インターネットの技術普及は、あくまでも加速装置としての役割しか持たず、多様性や個人主義、持続可能性を求める昨今の風潮は、経済的・歴史的因果関係を背景に起きている現象であるとも言えます。
一般的に、人は新しい概念やシステムに対して、倫理や長期的な不利益を軽視して、先行者利益を優先し衝動的に行動する、という傾向があります。歴史上、そういった極端な状況の直後にはその反動として、カウンター的空気が醸成され、理性的な方向へ社会は変わってきました。例えば、列強各国が自国の利益のためにこぞって行った非人道的な植民地支配も、度重なる解放運動の中で次第にその数を減らしていきましたし、戦艦や核爆弾などの戦争に大きな影響を与えた兵器も、苛烈な製造競争の後に軍縮・規制していく流れを辿っています。
同じように、現代の環境問題、個人主義、多様性などを尊重する風潮は、公害問題、身分制度、奴隷制、人種差別という事象のカウンターとして、必然的に世の中に受け入れられていると考えられます。そして、それが人々の消費活動にまで影響を与えているのです。
所有の概念が拡張されてきている
先述した、資本主義の6つの性質には取り上げられていませんでしたが、そもそもの前提として、資本主義は個人の「所有」を認めています。経済は、個人または企業が「所有」している財産を元に生産した「商品」を市場で取り引きさせることで成り立っているからです。
そんな「所有」という概念ですが、20世紀後半以降、非物質的なサービス産業が発達しインターネットが普及するにつれて、その言葉の意味する範囲を拡張していきました。その結果、商品の幅も拡張され、新しいビジネスモデルの可能性が生まれました。例えば、AirbnbやUberなどのシェアリングエコノミー、Netflixに代表されるサブスクリプションモデル、Web3概念の根幹を支えるブロックチェーン技術が例に挙げられます。「所有」という概念を拡張し複数人で分散化することは、環境問題やコスパの観点からも合理的で、行き過ぎた資本主義の反省を考慮すると必然的な流れと言えるでしょう。
そのような流れに合わせて、モノづくりの対象は「抽象的かつ複合的」になっていきました。単一的に機能するモノだけではなく、さまざまな体験とそれに伴うモノ、あるいはインターフェースを合わせて作る必要が出てきたからです。
生産者の変化
次は、生産者の変化について考えます。産業革命以降、貧富の格差はあれど貧困の問題は徐々に解消され、労働者階級の人々は着実に自らの権利を勝ち取っていきました。それでもなお、労働者がより良い待遇を求め続ける背景には、前述したように、庶民やマイノリティが抑圧されてきた歴史からの揺り戻しの力が働いていると考えられます。結果として、福祉的で個人主義や多様性を尊重する現代の風潮は、雇用形態や労働環境の自由化と多様化を後押ししました。
また一方で、雇用者側も反発の姿勢を見せることなく、労働者が大規模なデモを起こさずとも、自然な流れで労働者の多様な働き方を認めるようになりました。クリエイティブ業界に焦点を当てると、フリーランスやギルド型組織が流行し、リモートワークやパラレルワークなどの新しい働き方の形が社会から容認されつつあります。
労働者に自由と権利を与えることは、彼ら/彼女らをコントロールする立場である雇用者にとって都合の悪いことのように思えるにも関わらず、雇用者側が寛容であった要因の一つとして、インターネット技術の普及が大きな役割を果たしていると考えます。インターネットは仕事における物理的な制約を排除しただけでなく、個人の情報発信を容易にすることで、個人が企業の力に頼らずとも経済的な成功を収めることを可能にしました。
中でも、情報社会に素早く順応することができた一部の人は、企業にとって重要な戦力となり、彼ら/彼女らには高い報酬が支払われました。雇用者側にとってもそれは悪い話ではなく、逆に、優秀な労働者を囲い込むために、企業間が争うほどになりました。それほどまでに、彼ら/彼女らの持つスキルは希少で、現代のビジネスに大きなインパクトを与えているということです。
このように、インターネットの登場以降、雇う側・雇われる側の双方の事情がうまく噛み合い、働き方や組織構造の自由化と多様化という世の中の流れが生まれました。そして、この大きな流れは、複雑化するモノづくり業界においては追い風となります。組織構造が限定的だった時代から、多様な組織構造が受け入れられる時代に変化したことで、社会に規定されない、モノづくりに最適化された組織構造を世の中に浸透させやすくなったからです。今なお社会の大半を占める近代的な組織構造に固執せず、モノづくりのための組織を追求できる社会環境が整ってきたのです。
経済的な背景から考える現代社会・モノづくり
改めて、僕の考えをまとめます。
繰り返しになりますが、今まで取り上げてきた社会現象は複雑かつ多面的な背景のもとに発生しているので、柔軟に視点と尺度を切り替えて考えることが重要です。
次のセクションでは、視点をややミクロに寄せて産業的な背景から現代社会を捉えるために、まずは産業革命の概要を説明します。続けて、消費者と生産者の変化について産業的な背景から改めて述べたのちに、hicardの目指す組織の話に移ります。
2. 産業的背景
第一次産業革命
人類のモノづくりの歴史を産業革命無くして語ることはできません。産業革命とは、18世紀半ばに石炭と蒸気機関を導入することでモノづくりの大幅な効率化を可能にした、製造業における変革です。また、現代まで続くその後の段階的な産業の変革を4段階に分けて、第○次産業革命と分類することもあります。それら4つの産業革命について、一つずつ順を追って紹介していきます。
第一次産業革命は、製造過程に石炭で動く蒸気機関を導入することで、綿製品などの軽工業を中心に革命的なモノづくりの効率化を実現しました。初めに産業革命を起こすことに成功したのはイギリスです。19世紀、イギリスは大英帝国として覇権国家の地位を築き上げることになりますが、産業革命は工業力において他国を突き放したという意味でイギリス台頭の大きな要因の一つとなりました。
モノづくりの観点に視点を移してみます。
産業革命の結果、以前は職人が手作業で一つずつ作っていたものを半自動で大量に作ることが可能になったわけですが、産業革命がモノづくりに与えた影響の本質は、機械によって均一なモノづくりができるようになった点、つまり、属人性と唯一性の排除にあると考えています(貨幣の鋳造や活版印刷など、均一なものを作る技術は産業革命以前からありましたが、あらゆる工業製品においてと言う意味で)。なぜなら、属人性と唯一性が排除されることで、あらゆるモノづくりを規格化して定量的に管理することが可能になり、効率性の観点から、製造技術の比較・選択・改善に加え、生産量の予測ができるようになったからです。また、それは同時に、定量的なデータをもとに、自身が直接手を施さずともモノづくりのクオリティをコントロールすることが可能になった、ということでもあります。
そして、上記の理由に加えさまざまな要因も後押しして(ここでは語り尽くせないほどの因果関係が背景にあって)、資本主義体制もこの時期に整備されることになります。高いリスクを孕む航海を支援する仕組みとして、利益とコストを分散させる株式会社の形態が適していたことと同じように、機械に対する初期投資を必要とする近代的な製造体制にとっても、資本主義の考え方は相性が良かったのです。
加えて、蒸気機関という新しい動力の登場は、交通の分野においても革命的な発展をもたらし、グローバリゼーションが進むきっかけとなりました。これ以降、人・モノ・カネが自由に世界中を行き来する時代に突入し、人類を取り巻く社会環境は、今までにない勢いで変化していくことになります。
以上のことを踏まえると、僕たちが知る現代社会のベースは、特に第一次産業革命を境に形成されていったものである、と捉えることができるでしょう。
そして、ここまでの指摘の通り、そのような前提で出来上がっている現代社会の構造において、モノづくりに適した組織が生まれにくいことは、必然です。
第二次産業革命
第二次産業革命は、19世紀後半から20世紀前半に起きた産業革命です。エネルギー源が石炭と蒸気機関から石油と電力に代わったことと、第一次産業革命によって製造技術が発展したことで、人々は、船や飛行機、車、戦車などの重工業における機械化と大量生産を可能にしました。
近代的な戦争において、産業は軍事に直接の影響を与えることに加え、当時は帝国主義が当たり前のように肯定された弱肉強食の時代です。各国が自身の生存圏を守るために産業の発展に奔走した一方で、産業革命の波に乗り遅れた国々は、20世紀以降、その影響力を維持することができず衰退していってしまいました。
このように、生存本能を根拠に肯定されていた、効率化/成長を至上とする価値観は現代にも引き継がれています。いうまでもなく、この方針は、資本主義的な発想とも相性が良く、経済・産業・世界情勢がうまく噛み合うことで、人類はさらに産業の発展を推し進めることになりました。また、前述の通り、この時代に発展した重工業の分野における過剰な開発が主な原因となって、20世紀後半には環境問題が表面化していくことになります。
第三次産業革命
第三次産業革命は、20世紀半ばから後半にかけて起きた産業における変革で、コンピュータ技術の登場とその活用によって、精密機械やデジタル分野でのモノづくりが発展しました。以降、人間では不可能な計算処理を活用できるようになったという点で、第一次産業革命から第二次産業革命の間で起きた変化と比べて、別次元のインパクトをモノづくり業界に与えました。僕たちが今こうやって、コンピュータを駆使してモノづくりができることも第三次産業革命の直接的な恩恵です。
第三次産業革命が推進されたのは、大戦後の冷戦期だったため、国際関係における緊張感はあったものの、大戦後の市場経済の成熟により人々の生活が豊かになり余裕が生まれることで人口が爆発的に増加し、今ある多くのサービス業の形がこの時代に勃興しました。以前は人間が行っていた単純作業をコンピュータによって置き換えることで、その分、人間にしかできない作業に人的リソースが回されるようになったことも、製造業以外のビジネスモデルが発達したことの一因です。
加えて、この時代に情報通信技術が大きく発達したことで、直接会わずとも人々とコミュニケーションができるようになり、非物理世界におけるグローバル化が促されました。その結果、今までではマスメディアが寡占していた情報発信能力を個人でも簡単に行使することが可能になり、人々の価値観のアップデートと多様化を加速させることに繋がりました。
以上が、過去に起きた産業革命についての概要です。
通常、産業革命について考える際、歴史や金融市場の背景を踏まえることでより包括的な解釈が可能ですが、今回は、できる限りモノづくりに関連する観点に絞って書きました。
ここからは、このようなステップで変容してきた産業構造を背景に、今僕たちが生きている現代に目を向けて、第四次産業革命について触れていきます。
第四次産業革命
第四次産業革命とは、2010年代あたりからAI、ブロックチェーン、ビッグデータ、IoT技術などを活用することで、デジタル技術をさまざまな既存産業と紐付けて拡張していこうという流れの中で生まれた、現代の産業革命を指し示す言葉です。現在進行中の変革のため、その実態はつかみづらく、第一次〜三次産業革命に比べると、曖昧さを多分に抱えている概念でしょう。特にここ最近では、AIを中心とした先端技術の一部マスへの浸透が目まぐるしく進んでいることもあり、どこまでを同一の変革として定義すべきかについては意見が分かれるところです。
と、第四次産業革命の概要は以上なのですが、ここから、現代社会のモノづくりについて産業の視点から考察していくにあたって、第四次産業革命の視点だけではなく、第三次産業革命中に生まれたインターネットという要素も抱き合わせて考えていければと思います。というのも、前述したように、第三次産業革命と第四次産業革命の間に起きたインターネット技術の普及という事象が、社会はもちろん、クリエイティブ業界に対しても決定的なインパクトを与えているからです。
(余談として、では、なぜインターネットの登場が産業革命の分水嶺として捉えられていないのかという疑問が残りますが、インターネット自体が製造工程や製造技術に直接の影響を与えたわけではないため、製造業の発展を段階的に説明する際には、必要なかったからという理解をしています。)
先ほどと同じように、消費者と生産者の二つの視点から、産業的な要因が人々に与えた影響について考えていきます。
消費者の変化
産業的な背景から、インターネット登場以降に起きた消費者の変化を二つにまとめます。
一つ目は、メディアが多様化し情報をより恣意的に摂取することが可能になった、という点です。これについては先ほども少し触れましたが、インターネットの普及以降、個人や小さな組織でさえもメディアとしての機能を果たすことが可能になりました。そして、SNSの普及によって企業と消費者間でのコミュニケーションが可能になり、開発プロセスがインタラクティブになったことも以前には見られなかった変化です。人々が選び取った情報を元に消費活動を行うようになった現代社会は、国民のほとんどが同じ情報とモノを消費していた20世紀と比べると、消費活動の複雑性という点で大きく異なります。
二つ目は、スイッチングコストの低い商品が市場に増加し継続利用の必要性が低くなった、という点です。これは、一般社団法人デザインシップ代表の広野萌さんの受け売りなので、詳しくは下記記事をご覧いただければと思います。
インターネットがまだ普及していない20世紀的なビジネスでは、買ってもらうためのモノづくりが優先されてきました。なぜなら、少し気に入らないからという理由で車や家具を買い換えることが稀なように、物質的でスイッチングコストの高い商品が流通の大半を占めている市場において、購入後のユーザー体験を追求することの経済的合理性が低かったからです。
しかし、非物質的な商品が増えたことに加え情報化が進んだ現代では、楽天市場が微妙であればAmazonを、ヤフオク!が微妙であればメルカリを使えば良いように、サブスクリプションモデルのサービスが微妙であればいつでも解約すれば良いように、使ってみて気に食わないものがあれば、その代替商品に即座に乗り換えることが可能になりました。これは、購買後の使い勝手の重要度が高まっていることに加え、ユーザーに愛されることが競合優位性になる、ということを意味しています。
このように、人々が摂取する情報を選ぶようになったこと、購入したもののスイッチングが容易になったこと、以上二点を要因に、真の意味で消費者に向き合ったモノづくりが必要になったことで、デザインする目的が「多面的かつ複雑」になっているのです。
生産者の変化
続いて生産者の変化です。こちらに関しても、二点に絞って考えます。
まず一つ目は、技術・モノ・体験を組み合わせた複合的なクリエイティブスキルが必要になってきた、という点です。第四次産業革命の時代、ピュアなインターネットビジネスでは新規参入が難しくなりつつある今、ビジネスチャンスを狙う起業家たちの戦略は、インターネットの普及によって新たに開けた市場に向かうか、新しい技術を駆使してまだ見ぬ価値を生み出すか、のどちらかに大別できるはずです。前者にはD2C(既に飽和感は否めませんが)、FinTech、DXなどの領域、後者にはWeb3、IoT、AIなどの領域が当てはまります。いずれにせよ、インターネット黎明期とは違い、Webアプリ一つで成り立つようなドメインは既に飽和状態にあり、単一のスキルしか持たないデザイナーひとりでは戦局を変えることが難しくなりつつあります。求められるクリエイティブスキルが複雑になっていることは、エシカルデザイン、インクルーシブデザイン、スペキュラティブデザインなどの新しいデザイン領域が生まれていることからも明らかです。
二つ目に、物質的な制約のないプラットフォームが生まれたことで、販売におけるチャネル獲得の優先順位が下がった、ということが挙げられます。インターネット登場以前、事業者は、良い立地に店舗を構えること、デパートで目立つ売場を獲得すること、テレビCMの枠を確保することに躍起になっていました。当然、スタートアップのような小さな組織が付け入る隙はなかったのですが、App Store、YouTube、Instagram、TikTokなど、販促に活用できるあらゆるプラットフォームが誕生したことをきっかけに、大きな予算がなくとも、より精度高く消費者にリーチすることが可能になりました。これは、特にレガシーな事業領域における参入障壁の引き下げを意味します。
このように、情報技術の発展とともに世の中にあるビジネス構造が複雑化していく中で、世の中に求められるモノづくりの対象物は「抽象的かつ複合的に」なっています。そのため、幅広い知識と経験を有し、複雑化したモノづくりと向き合うことができるチームが求められているのです。
3. hicardの目指す組織
「何かしら」でつながっているスモールチームの集団
ここまで、経済的な背景と産業的な背景から現代社会を紐解いてきました。その上で、改めて僕の考えをまとめると下記のようになります。
あくまでも、ここまでの議論の役割は、モノづくりに最適化された組織づくりにチャレンジする意義を根拠立ててすることでした。
ここからは、僕が現代に作るべきだと考えている組織の形について書いていきます(いくつかの組織形態について批判的な意見も述べていますが、これはあくまでもhicardの目指す組織の形を具体化するための議論であり、特定の組織や団体を批判する意図はございません)。
結論として、僕は、アイデンティティを各々で確立させたスモールチームが「何かしら」の形で連動した組織、を目指します。ここでいう「スモールチーム」を「◯人以下の組織」と明確化することは難しいですが、できる限り具体的に示すとするなら、個々人が自身のクリエイティビティを十分に発揮することができる人数規模の組織、という表現になりそうです。僕の肌感覚では、それは50人以下までのイメージですが、組織構造によっては、それ以上の人数で構成することも可能だと考えています。
僕があえてスモールチームにこだわる理由、言葉を変えると、盲信的に大人数の組織を目指したくない理由は、前述したように、資本主義社会で発生しやすい持続的な成長を前提とした大きな組織は、そもそもモノづくりに適したチームではない、と考えているからです。売上増加を優先し、コントローラビリティを高めるために制作フローが規格化され、属人性が軽視された組織ではクリエイティブの力が発揮されにくい、という確信があります。世の中へのインパクトを最大化するための規格化は致し方ない、という考えもありますが、市場経済での成功という納得しやすい成果に取り付かれ、あらゆるものを標準化してしまう20世紀的な価値観の支配から脱せないままでは、人が持つクリエイティブの力を最大化することはできません。これは、21世紀的なモノづくりにおいてもなお大きくビハインドしてしまっている日本では特に無視できない議論のはずです。
そもそもの話をすると、クリエイティブな仕事に興味のあるクリエイターは、自身のアイデンティティが軽視されるような組織に魅力を感じませんし、そういった組織に運悪く巻き込まれないよう注意を払っています。市場から評価され、自身で仕事を選ぶことができる優秀なクリエイターであれば尚更です。
以上のことから、健全なモノづくりの環境を保つためにも、優秀な人材を味方につけるためにも、短期的な利益追求のために組織を大きくすることはしないという方針は、僕にとっての大前提です。とはいえ、僕は組織を大きくすること自体を否定しているわけではありません。ここまで、スモールチームに対する肯定的な意見が多いため補足をしておくと、大きな組織にはそれ相応の大きな力があるということは承知の上です。
その上で、僕が否定しているのは脳死的に膨れ上がった大きな組織です。スモールチームとしての利を生かしたまま、「何かしら」の手段でその力を束ねることで連帯性とシナジーを生み出すことが可能なのであれば、それが現段階での僕の理想です。そういった「何かしら」の形で連動した組織の形を実現するために試行錯誤を繰り返していきます。
ギルド型組織
既存の典型的な組織の形について考えていきます。ここ数年で、ギルド型組織、つまり、会社のメンバーのほとんどがフリーランスで構成されている組織が多く生まれました。ギルド型組織が、一部業界ではありますが、こんなにも素早く世の中に浸透した理由は、制度がシンプル、かつ、わかりやすく自由だからだと考えています。
契約形態は、既存の業務委託契約に則ればいいので、発注者・受注者双方にとって馴染みあるものですし、正規雇用で生じるさまざまな制約にお互いが縛られることなく自由に働くことができます。個人の力が相対的に強まっている現代だからこそ、より自由な働き方を選びたいフリーランス人材にとっては、理想的な組織形態です。また、正社員がマジョリティである組織において、フリーランスは孤独感や疎外感を感じることがありますが、そんな彼ら/彼女らを逆にチームとしてまとめることで組織への帰属欲求が満たされることも、フリーランスにとってギルド型組織が魅力的に見える要因の一つです。
このように、既に社会に受け入れられつつあるギルド型組織ですが、hicardでは、カスタマイズなしにこの仕組みを採用することは考えていません。なぜなら、ピュアなギルド型組織の弱点として、発注者と受注者が双方にとって良い意味でも悪い意味でも無責任でいられてしまう、という点が挙げられるからです。全員がフリーランスであるが故に、発注する側にはチーム全員に一定の報酬を与えるという義務が発生しないため、受注者側はマルチワークを行うなどして、仕事が与えられずとも支障が出ないようリスクを分散させる必要があります。このような関係性では、仕事をシェアするハブとしての機能は果たせたとしても、一蓮托生のチームとしての強さを十分に発揮することは難しいです。
以上のことから、契約形態はどうであれ、フルタイムで働くという従業員側の覚悟に対し、案件がなくとも固定給を支払う責任を持つという、ある意味で相互にリスクを負っている正規雇用的な関係の方が少人数かつ強い組織を作ることが可能だと考えています。
加えて、ギルド型組織が僕たちにとって不適当である最大の理由は、ギルド型組織というものが既に、働きやすい組織、個人が尊重される組織、自由な組織として、クリエイティブ業界において一定の認知を取ってしまっているという点です。強い組織は自由になれるかもしれませんが、自由だからといって強い組織になれるわけではありません。高いチームパフォーマンスを発揮するためには一定の規律や制約が必要である、という考えの下、自由な働き方を何よりも重視している組織として捉えられかねないラベリングとそのフォーマットを使うことは避けたいと考えています。
ホールディングス
ホールディングスは、どの業界でもよく見られる仕組みですが、hicardは、今後典型的なホールディングス体制を作るつもりはありません。資本関係がある以上、上下関係が明確に発生するため、子会社側のチームは親会社の機嫌を伺わないといけないという意味で独立性を高く保つことが難しいからです。
また、これは、組織構造や株主関係などの仕組みとしての問題ではなく、そこから生じるメンタルや姿勢の問題であると捉えています。アイデンティティの独立したスモールチームを束ねることが可能だとして、それらをただの資本関係だけで統率する場合、子会社になってしまったその組織の代表や社員が以前と同じような屹立した姿勢を保つことができるのかを想像した時に、どうしてもうまくいくイメージがわかないのです。
僕はまだ不勉強なため、ホールディングス化することのメリットとデメリットを網羅的に認識できているわけではありませんが、以上のような理由から、少なくとも単純なホールディングスの仕組みはクリエイティブチームには適していない、と考えています。他にも世の中には多様な組織形態が存在していますが、いずれにせよ、それらのエッセンスを何度も反芻しオリジナルな形を試行錯誤せずして、hicardの目指す理想的な組織構造は出来上がりません。
「何かしら」の可能性
繰り返しになりますが、hicardは、各々のアイデンティティを確立させたスモールチームが「何かしら」で連動する組織、を目指します。しかし、現状はまだアクションを起こせておらず、具体的な方法論を考えている段階です。まだまだ、勉強も考えも足りていないのですが、最近、僕の目指す組織像のヒントになりそうな実例を見つけたので簡単に紹介しておこうと思います。
それは、EUです。EUは、共通した通貨を使い、人やカネやモノの移動を自由にし、共同体における各国の連携を強めています。それぞれの国が独立していること、明確な上下格差やヒエラルキー関係が存在しないこと、共同体として共存していくためのツールや仕組みが整備されていること、などの点が僕の目指す組織のイメージに近いです。また、共通通貨であるユーロには、単に両替の手間が省けるなどの機能的な役割だけでなく、象徴としての役割や各国のEUに対する依存度を高めるための役割があります。では、hicardの目指す組織において何がユーロの役割を担うことができるのか、類似する構造の組織にはどのような例があるのか、そのようなことを現在進行形で考えています。
この記事を書いた目的の一つに、僕の考え方に共感してくれる方、特にデザインチームを既に運営されている方とぜひ意見交流をしたい、というものがありました。hicardの中だけで議論していくにはあまりに広範囲で複雑な課題だからです。ここまで長い話に付き合っていただいたにも関わらず、明確なソリューションを提示することができずに申し訳ない気持ちですが、本当の意味でクリエイターのつくる力を引き出し、それらを束ねることが可能な組織はどのような組織なのか、この話の続きを共に議論し試行錯誤していくことができる人を探しています。
ここまで、現代という時代にクリエイティブ業界にチャレンジする意義とその背景について議論してきました。しかし、それはあくまでも、今挑戦すべきと考えられる状況の考察であり、僕がなぜ根源的にクリエイティブ業界にコミットすべきだと考えているかの説明にはなっていませんでした。その辺りの僕の原初的な欲求についてを記して、この記事を終えたいと思います。
4. 最後に
改めてなぜクリエイティブ業界なのか
社会的事象は、どのような状況にどのような性質の個人が存在していたのか、そしてその個人の起こしたアクションがどのように影響したのかを理解することで部分的に紐解くことが可能です。現代社会がどのような状況であるのか、僕なりの考えはここまでで確認してきた通りですが、僕個人の性質についてはほとんど言及してこなかったため、ここで触れておきます。
僕の人間としての性質を以下のように表現しました。
1.については、僕がクリエイティブ業界を選んでいる直接の理由につながります。なぜなら、モノづくりを通して、今まで関わる機会のなかった特定の事業領域に足を踏み入れることで、ステークホルダーやユーザーと対話し共感することで、新しい知識を得て、理解し、体験することができるからです。僕にとって、自身のチームはこのプロセスを効率的に回すための装置であり、hicardもそのような動機から生まれた組織でした。チームを通して間接的にあらゆる事物にアクセスできるこのシステムは、以前の生活には戻れないほどに僕の好奇心を刺激してくれます。
加えて、クリエイティブ職の魅力は、人の五感に直接的に影響を与えることができるという性質に集約されます。それはすなわち、人の認知をコントロールすることであり、今までも人類はあらゆる場面でこの力を行使してきました。そのような力を横断的に発揮できるスキルだからこそ、クリエイターという職業は世界を渡り歩くことが可能なのです。知らないこと、経験したことのないこと、誰もやったことがないこと、に魅力を感じる僕にとってはまさに天職と呼べるものです。
2.と3.の要素は、僕がそんな天職に取り組む動機をさらに強化します。理性と感性の双方を信じていること、人に強く共感すること、この二つの個性が世の中に対する反骨的な姿勢を僕に与えたからです。僕たちが生きているクリエイティブ職の世界は、元来、不本意なことではありますが、感性が支配的になりがちな業界です。そして、ここまで議論してきたことに加え、この業界にはあるべき姿だと信じることのできない状況がいくつも存在しています。だからこそ、考えることを放棄せずに「理性的に」この業界に向き合うことで、日本だけでなく世界のモノのつくり方を少しずつ変えていきたいと思います。僕はクリエイターに、業界に、社会に「共感」することで新しいモノづくりの在り方を探っていきたいのです。
この記事を書くにあたって、相談に乗ってくれた方々、そして、僕がこういった活動に集中できるように普段の仕事を巻き取ってくれたhicardのみんなには大変感謝しています。非言語的な表現を信じてきた僕たちが、あえて文章というメディアで表現することの意義と難しさを同時に感じる経験となりました。今後も書き続けようと思います。