会社の意義
今年ももう終わろうとしている。零細企業ながらも、なんだかんだと3期目に突入しているのだが、少し振り返ってみたいなと思い下記に記す。3期目から新たなメンバーも加わることになった。正直こうしてやってこれたのも運が良かったなとつくづく思う。たまたまその時その場所にいることが生きていく上では重要な意味を持っているのかもしれないなと最近は思う。
会社を立ち上げた時はいろんな事務処理があって、(今もあるが)なんて面倒くさいのだと思ったし、しかもその行為はお金を生まないときている。俺は一体何をやってるんだろうなあと何度も自分と顔を合わせていた気がする。といっても私は設立の申請や決算など一度はやってみたいと思っていて結果そうなっているので自業自得なのだが。これから会社を作る方は後々も考えて出来る方にお願いした方がいいと思う。
会社を設立した後は、これから通勤しなくていいんだとか、朝決まった時間に起きなくていいんだとか、自分の関心あることに集中できるんだとか今思えば能天気なままの自分がいて、だいぶ都合の良い世界にいたように思う。それでも、しばらくして夜電気を消して天井を見上げる時には、ちっとも楽しくないイメージばかりが頭をよぎるようになるし、明日から仕事がなかったら一切お金は手に入らないのだなと、腹の上に鉛を置かれたような感覚と共に深く深く理解していた。それでも仕方ない選択だったなと納得しながら眠りについていた。
私は自立した大人に憧れていたと思う。社会人になる前の私はニートで周りの同級生なども自分でお金を稼いで、1人暮らしをして、服を買って飲み会に行ってと自立しているにもかかわらず、当の自分は就職活動から逃げたし、親に寄生しなければ生きていけないような状態でもあったから、自分と違ってちゃんと自立している他人たちを想像してはすごいなあと思っていた。そしていざ社会人になってみると、そこには想像していたものと違ったものがあって、勝手に憧れ勝手に裏切られたような気持ちでいた。結局のところ会社で働く自分は先人たちの努力によって築き上げられた土壌で作られた果実をお裾分けされていたのだと感じる自分がいた。
自分がどれくらい会社に貢献出来ているのかなども計算していたが、そもそもその貢献出来る状況すらも土壌の上であることは明白だった。そしてこれは自立と言えるのだろうかと考えるようになり、両親に寄生したあの頃と一体何が違うのかがよくわからなくなっていた。
自立というとイメージするのは、自分1人で獲物を狩ることが出来るようになり、生きていけることだと思っていた。自立という言葉をググってみても
自分以外のものの助けなしで、または支配を受けずに、自分の力で物事をやって行くこと。
と出てくる。きっとこのままでは、その機会が常に奪い去られたような気がして、日に日にフラストレーションを溜めることになった。
そうしてどちらにせよこのままではダメだなという考えに至り会社を作ることになった。その時の私は自立出来ているかどうかだけが、自分の人生を生きているという実感を得られるものなのだと思っていたし、私は会社を立ち上げることでどこか本当の大人になれるような、また独立こそが真の意味での自立であるのではないかと思っていた。この3年でその考えは変わったし、かなり浅はかな考えだったと今は思う。はっきり言って考える意味もないことだったなと今では思う。
自分が何をやるべきなのか、どう生きたいのか、何に人生を賭けたいのか、そういうものをずっとおざなりにしていたことで、自立してるかどうかなどというプライドなのかなんなのかさえわからない何かに気を取られていたなと思う。自分のやるべきことがわかっているなら社会的制度の枠組みなど取るに足らないことだし、自分は社会に対して何がしたいのかなとか、人生をどんなふうにしていきたいのかなど見つめ直すきっかけになった。きっとこの先会社が潰れてホームレスになろうとも、自分なりに社会を見つめて、自分なりの人生を見つめて行くことが私にとってもっとも充実感があり幸福度の高い人生なのだろう。自分の理に準じて一歩ずつでも地道に進んでいきたいというのが今の率直な気持ちだ。
私はこの2年で私1人では何も出来ないということがよくわかった。ただ自分1人生きていくことは可能かもしれないけれど、それは自分が楽しいと思える未来ではないし、そんなことなら会社を作る必要もないなとも思った。
私は1人空想しながら毎日を生きてて、こうなったら楽しいだろうなとかこういう施設とかあり得るのかなとか、数年後どうなっていたいななんて考えていたけど、私1人では私がこうあって欲しいなという未来には到底到達出来ないことが肌感でよくわかった。
だから会社の意義を少しずつでも考えていかないとなと思う。法としての人格の意義を。株式会社白矩(しらく)の名前の由来は白い模型を少しずつブラッシュアップしていくような過程を思って付けた名前だ。普段は建築やプロダクトの過程をブラッシュアップしていくのだが、白矩という会社はまだ始まらないかたちである白い単調な模型のままで、どんな検討が必要なのかもよくわからない状態だ。
それでも一つ思うところは今私が仕事を通して感じている、こうなったらいいのになとか、なんでこんなふうなのかなという感覚を大事にして、改善できる手立てを探していきたいと思う。10年20年経ったあとに今の私と同じことを思わないようにしていきたいなと思う。あらゆる慣習の波に呑み込まれながらもなんとか難波しないようやれるところまでやってみたいなと思う。
#株式会社白矩 #はたらくってなんだろう
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