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【ものぐさ精神分析/岸田秀】

所感

過去読んできた本の中でベスト10に入る書籍。
本書は患者の書いた精神分析理論である。筆者自身も精神疾患を持ち、それらと向き合うことにより、いわゆる岸田理論が構築される。岸田理論はあらゆるものが転倒する。例えば、「戦争は我々の暮らしを滅茶滅茶にする」が「人間は日常生活をひっくり返すために戦争をする。
そのことによって我々がいかに日常を憎んでいるかがわかる」や「社会からこぼれ落ちた者が犯罪者になる」が「社会は自らが正常であるという幻想を保つために、正常でないものとしての犯罪者を必要とする」などがある。
人生とは一種の催眠術であることを発見したのはフロイトだが、それらを共同幻想という概念を用いてさらに展開しており、見事。特に小説家の考察が特に面白く、三島由紀夫に関しての考察はかなり腑に落ちた。個人的には読み終えた後、長らく疑問に思っていたことが少なからず言語化出来た気がする。

俺からみた社会をざっくり以下に記す。まず人間は産まれたその瞬間から自分の知らんところで決められたルールや競争に強制的に参加することになる。(大いなる構造とでも言っておく)そこから逸脱することは基本的に死を意味するが、すでに洗脳され終えた大人がそれらを阻止している。子供の頃から優劣を意識しては数字を競いそれらに一喜一憂し、その延長線上に社会は存在しており、幼少期はそれらの訓練であったといえる。(幼少期は洗脳された大人たちが子供を通して競争していると言える)
そのため大人になってからも、ホモソーシャルで言えば年収やどんな家に住んでいるか、車を持っているか、どれだけ女を抱いたか、モテるか、頭がいいか、賞を取っているかなど内容は変わりつつもどちらが足が速いかを競う子供の頃となんら変わらない構造があり、少なからずそれらに付き合わなければならない。(女性は女性で同様の構造がある。)
子供の頃と異なるのはそれらがダイレクトに社会的な価値に直結することである。当然それらが全てではないし、そこからの脱却として家族、友人、恋人、結婚などの大いなる構造とは異なった関係があり、救いとなることもあるが、結局のところは一時しのぎに過ぎず時間が経てばそれはまた大いなる構造に吸収されていく。自分の意思と関係なく向こう側からやってくる。人間はこういう流れの中でしか生きれない愚かな生き物だと思いながらも、俺自身はそれらの強固な流れに屈するかたちで仕方なくその枠組に従い、その中で戦い自身の価値を表明しなければない屈辱さと自分の愚かさを見つめることになる。もちろん戦わないという選択も可能であるが、見下されたり、話しを聞いて貰えなかったり、あらゆる社会的弊害が存在する。(いわゆる仲間はずれ)ほとんどの人間は自尊心からそれらに堪えられない。やりたくもないがやらなければならぬということを感じながら、後何十年も続くのかと思うと辟易する。そうなったときの解決方法はこれまで騙し騙し何かしらの意味付けを自分自身に行い賞味期限が切れたらまた意味付けをということの繰り返しであったように思う(というかみんなやってることか?)筆者の言葉を借りるのであれば私的幻想により身体的死が訪れるまでの延命措置を繰り返すということだろう。あとはここ3年ほど酒も強くないのに、夜は必ず飲みたくなるのだが、これは酔っ払うことで全てを忘却したいという欲望から来ているのではないかと思い始めている。長くなったが何が言いたいかというと、こういうようなことをなんとなく考えてしまう人は読んでみるといいように思う。というよりここまで読んでしまったあたなは読むことをおすすめする笑

p.s

年収やどれだけ女を抱いたか気になって仕方ない男というのが世の中にはいて、なぜそんなにもその指標にこだわるのだろうか?と長年疑問に思っていたのだが、実は彼らは過去に多分に傷つけられそれを必死に回復せんとしているのではないかと。そして動物同士が傷を舐め合い癒やすように、日夜居酒屋などで盛り上がっているのではないか。(傷を舐める隠れ蓑として)彼らも大いなる構造に絡め取られ脱出できず苦しんでおりその叫びがアホみたいに大きい声としてあらわれている気がしてならない。

UnsplashThomas Gramsが撮影した写真

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