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小枝が一日を特別にする


近所の歩道を朝方に足早に駅に向かっていたところ、保育園に向かうであろう父子とすれ違った。父は3歳ほどの男の子と手を繋いでいた。
すれ違ってすぐに、嬌声が聞こえたので、振り返ると先ほどの男の子が道端に落ちていた小枝を拾い上げようと屈みこんでいた。小枝には鮮やかな緑色の葉が一枚だけ付いていた。拾い上げると男の子はその小枝を嬉しそうに陽にかざした。父は少し困ったようだけども嬉しそうな表情で見守っていた。

男の子は小枝に心を動かされ価値を見出したから、嬌声をあげ拾った。だけども、僕はその小枝の脇を通ったにも関わらず、存在に気づきもせずに通り過ぎた。男の子の見出した価値を僕は見付けられなかったのだ。

一つして同じ葉はないし、同じ枝はない、男の子の拾い上げた小枝は世界に一つしかない特別なものなのである。そして、男の子はその小枝を拾い上げたことで一日が少し特別なものになったに違いない。
そして、僕は、その価値を見つけることができずに、退屈な日常に塗りこめてしまっている。

たしかに、男の子にとって小枝の価値は宝物であるが、金融商品としての価値はないに等しい。その小枝を交換してくれという人が現れる可能性は低いし、同等の小枝は手に入ると考えられているからだ。
男の子もその小枝の価値を説明することは難しいだろう。
僕が、小枝が唯一のもので特別だと説明しても一笑に付されるだろう。

だが、それがどうした。

多くの人にとって無価値なものが、ある人にとっては価値があるということを大事にしたいと思ったので、marumadoというサービスを僕は作ろうとしている。

このnoteはmarumadoの開発背景を書くために始めました。


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