レオ
少し面倒で、ひねくれた性格の私が、勝手に恋愛について語ります(偏見多いかも?)
継続は力なり この言葉は誰しもがどこかで聞いたことがあるはずだと思う。その通りだと思うし、私自身、この言葉を大切にしてきたつもり。 でもいつしかこの言葉が呪いに変わって、自分にまとわりついてきた時、逃げてもいいんじゃないかって思い始めた。 今日はそんな話をちょっとばかり語らせてほしい。 私には趣味とまではいかないが、2年ほど続けているものがある。テニス!バスケ!楽器!みたいに人々が慣れ親しんでいるようなものでもないから、どんなものかは内緒にするけど、私にとってはそんな
朝目覚ましの音で伸びをした。 ずっと長い夢を見ていたような気がした。 でも残った通話履歴から、やっぱり現実であったことを噛み締める。 何が正しかったのだろうか。 どうすれば良かったのだろうか。 「あのさ、思ったんやけど、ここまできたら一回お試しで付き合ってみない?」 自分でも不思議だった。なんでそんなこと思ったのか。 そしてなんできちんと相手の性格を考えなかったのか。 笑って「何言ってるん」って返してくれると思っていたのに。 実際は神妙な空気と重々しい言葉ばかりだった
私の好きな人は必ずしも私を幸せにしてくれるとは限らない。 そんなこと、とっくの昔に気づいていた。 それなのに、それを認めるのが怖かった。嫌だった。 人を好きになるという感情は、私にとって特別なもので、私の大切な一部。 はっきりとした理由もなく、その感情を否定するのは、自分の大切な一部を失うのは到底できなかった。 見返りを求めない恋をして早3年を迎える。 そんな私の恋ももうすぐ終止符を打つことになるのかもしれない。 相手を好きである自分を認め、でもそれを相手に押し付けな
望まずに、求めずに、ただそばにいることがどれほど辛くて、幸せなのか、2年前の私は何も理解していなかった。 2年前の今くらい。 ちょうど私は彼を好きになった。 最初は男女の仲良いグループの友達の一人なはずだった。 それが徐々に、その中でも特に仲の良い友達になって、深い話を語り合う仲になって... 気付いたら好きだったっていうのは、こういうことなんだと思う。 薄々感づいていた自分の感情に蓋をしようとして、これからも仲のいいまま、過ごそうと思ったのに。 欲張ってしまっ
中学三年生の終わりかけ。 体育の授業だと言うのに、いつだって半袖に、薄い長袖のジャージを着て、外でテニスをしていた。 私は別に体育が格別にできる方ではなくて 嫌いな競技だってあった。 それでも自分なりに楽しみながら、全力で、頑張っていた。 運動部に入っていたわけではないから、体育の先生とはそこまで親しくはなく。 顧問として面倒をみている生徒には優しいくせに、それ以外の生徒には厳しい先生は嫌いだった。 持久走なんて最悪だ。 どの体育の先生も持久走だけは特に、怖い
今日もいつものように出勤する。 何気ない日常。変化のない毎日。 ただ与えられた仕事をコツコツとこなす。 最初こそはやりがいを感じていたものの、同じ仕事を毎日して、同じ金額だけ毎月、自分に価値を付けられて、いつからか、こんな自分の生きがいを見失いつつあった。 世の中は良い意味でも、悪い意味でも便利になってしまって、情報で溢れていて、日々、いろんな人をSNSで眺めては、自分の価値が、存在が、必要性がわからなくなってしまう。 子供の頃からの習慣で、家にいる時は大抵つけてい
忘れられない人がいる。 無理に忘れようと思っても、そんなことはできっこないから、とっくの昔に諦めた。 ずるいよなぁ ずっと心の中に、頭の中に住みついている。 時々、ひょこっと顔を出して、私の感情をぐちゃぐちゃにする。 出会った時から、もうずっと前からずるかったけど。 今に始まったことでもないけれど。 職場のイケメンくんとご飯に行った。 優しくて、性格も良くて、ちょっと変わっている人。 表面的なことで言ったら、カッコよくて、背も高くって、高学歴で、きっと誰もが
毎日、考える時間があるのが、とても嫌になる。 小難しいことを考えては、つくづく、自分が嫌になる。 能天気だなんて、言い方は悪いかもしれないけれど、何も考えずに生きている人だっているはずなのに、どうして私はこんなにもいろんなことを考えてしまうのだろうか。 生きるのが怖い 死ぬのも怖い ずっと生き続けるのは嫌だけど、だからと言って死ぬのは嫌だ 歳を取るのは嫌だ。 自分が老いていく様を見たくない 自分の能力が落ちていく様を見たくない そんな私はいつも生命の神秘を考
「乾杯」 カチンと乾いた音が聞こえる。 同じワインのはずなのに、グラスの傾きでお互いの色が違って見える。 曇り空と湿気でジメジメとした6月の気候。 形容し難い雨の匂いに思い出すのは、今日と同じあの頃の私たち。 彼はいつだって真っ直ぐな目をしていた。 愛の告白も、それはそれはストレートで、ある意味ロマンチックだった。 星空の下の誰もいない住宅街 ね?場所だけでも、もうお腹いっぱい。 付き合ってからは、もっともっと真っ直ぐに、ただただ愛された。 会話の終わりは
おじいちゃんが亡くなった。 自分の身近な人が亡くなったのは初めてだった。 不思議とそんなに涙は流れなかった。 病院のベッドで弱々しいおじいちゃんの姿を知っていたから。 もう私のことを覚えていないおじいちゃんを知っていたから。 おじいちゃん、あなたはいつなくなったの。 私の知っているおじいちゃんはきっと随分と前に無くなっていたのだと思う。 亡くなったのはこの前。でも無くなったのはきっと随分前。 痩せこけて、目を瞑るおじいちゃんを眺めて、最後にありがとうを伝えた。
全ての努力が、目に見える形で、自分にとってのいい結果として報われるわけではない それが高校時代に学んだことだった。 私の青春は勉強だった。 部活に入ることはしなかった。 放課後、部活動の声が外から聞こえてくる教室で、勉強をするのが日課だった。 時折、窓の外を眺めては、それが羨ましくも思ったりもした。 それでも「受験」というものを意識したときに、部活をやる勇気は当時の私にはなかった。 もちろん、友達と遊んだりすることもあったし、いろんなことにも挑戦した。 短期で
初めて人をちゃんと好きになった。 こんな感情、初めてやったの。 「どこが」ではなく「どこも」好き。 私にはない考え、経験、世界を持ってるところ。 しょんぼりしているとき、面白いこと言って笑かしてくれるところ。 でもちゃんと悩んでる時は、一生懸命、一緒に悩んでくれるところ。 すぐ私をからかってくるところ。 それなのに、私の異変にすぐに気づくところ。 電話はイヤとか言うくせに、ちゃんと電話をとってくれるところ。 そんでもって、少なくとも2時間は話に付き合ってくれ
コロナ禍と謳われるようになってから早1年が過ぎた。 この1年以上で本当にいろいろなことが変わったと思う。 「当たり前のことが当たり前じゃなくなった」 いろんな人が言っているし、私もそう思う。 多くの「変化」があったのではないか。 「人間関係の変化」と「自分自身の変化」 もともと感情の整理に時間がかかる私にとって、この二つが本当に難しくなったことは言うまでもない。 大好きな人たちがいた。友達なんてちっぽけな定義付けをしたくないって思うくらいには仲が良かった。毎日の
好きな人がいる ずっと忘れられない人がいる これは紛れもなく恋で、これは紛れなもなく愛。 だから彼以外の誰かを愛したいとは思わないし、彼以外の誰かから愛されたいとは思わない。 彼以外は眼中にない これはほんと。 それなのに、なんでかな。 点線的な好意が心地よい。 実線的な好意じゃないから心地よい。 向き合わなくてもいいから。 心地が良い。 「実線」とか「点線」とか何って話よね。 でもこの表現が妙に自分にしっくりきてて、つい、わかってほしくて使っちゃう。
人生を語るにしてはまだ若すぎる気もするが、それでも十分に焦っている。 いろいろと詰んでいる。 いつだってその話の結論は 歳をとりたくない。 それだけだ。 ずっとこのままでいいのに。 そんなことまでは思わないけれど、ある程度長生きしたいな、とか、時代の移りゆく様をみたいな、とかそういう欲はあるけれど、自分もそれに合わせて老いていくのは、人生の終焉に向かって歩みを止められないのは、少しばかり辛さもある。 いつからか5年先のことを考えるのが嫌になった。 いつからなん
どうしてこうなっちゃうんだろう いつも振り回されてばっかりで 勝手に一喜一憂して 相手の言葉にすぐに喜んで、すぐに落ち込んで、それを繰り返す 相手の気持ちも考えてるフリをして、ちゃんと考えられていないんかもしれないし とんだ勘違い野郎だ、私は。 あーあ 忘れられたらいいのに いなくなれ あなたを好きな私