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戻れない道の先に簡単な未来なんてない、でも信じずにはいられない映画『最低。』の話

3人と家族

美穂の「私らしいってなに!? 私ってなんなの!?」や、彩乃の「戻るなんてできるわけないでしょう!? そういう仕事してるんだよ、私!」、あやこの「私がこの絵を好きなのは…、それだけは本当なんです!」など、それぞれの辛苦は身に包まされるような迫真で、普段の生活と馴染んでいる。それは、それだけ我々の日常と遠くないものであるということである。

果てしなく続くかのような日常に耐えきれず、新しい世界の扉を開く平凡な主婦、美穂。家族に内緒で、AV女優として多忙な生活を送る専門学生、彩乃。奔放な母親に振り回されつつも、絵を描いているときだけ自由になれる女子高生、あやこ。そんな、年齢も境遇も異なる3人の女性が等しく持っているものが、「家族」である。

AVの撮影をしていたことで父親の死に目に会えなかった美穂。AV女優をやめるよう説得する母親を振り切って撮影に出かけた彩乃。「AV男優とAV女優のあいだの子」であると知って倒れたあやこ。

三者三様な彼女たちもみんな、家族に関わることで退っ引きならない問題を抱えている。


あやこの場合


元AV女優の母親を持つ子どもとしてレッテルを貼られたあやこは、ゲテモノでも見るかのような冷たい視線を浴びながらいた。その苦しみを知ってか知らずか、そこに向き合わず我が道を行く母に、とうとう「働かないの?」と問いかける。母親の回答は「働いたって意味ないじゃん、お母さんまだ働けるしさ。パラサイトも悪くないよ」であった。

理解に苦心するあやこは、実父の訃報を知らされ、母親の代わりに弔問を行う。そこで美穂と会い、興味も義理もない死んだ実父の好きな絵のことを聞かされ動揺し、涙を流して答える。「私がこの絵を好きなのは…、それだけは本当なんです!」

美穂とあやこが抱きしめあって涙するシーンには、どこか解放された澄みやかな空気が流れていた。もう、苦しまなくていいんだ。二人の解き放たれた心に、どういった浄化作用と結末があるのかは作中で描かれていない。それでも、少なくともあやこには、絵のことを研鑽していくに十二分な理由が与えられたようだった。


美穂の場合


美穂は、夫婦間での性生活に不満があり、それがきっかけでAV女優という道を選ぶ。父親の死と妹の妊娠で精神的な限界を打った彼女は、通夜の前日に夫に無理やり迫り、ベッドの上で「AVに出たの! カメラの前で知らない男とヤったの!」と告白する。その胸中には、自棄に満ちた自己憐憫がある。AVに出た自分のことで、夫はなにか自分を責めるだろう。そして、自分もそれを望んでいる。

しかし、夫である健太は布団に向かって感情をぶつけただけで、「あたまンなかいっぱいでなにも考えられない」と向こうに行ってしまう。

「もっと怒ってよ! なんでもっと怒ってくれないの!?」と美穂は叫ぶ。健太の怒りは、美穂をそのような状況に招いた自分自身に向けられていて、美穂には向いていない。でも美穂は、健太の感情を少しでも美穂自身に向けてほしかった。気にかまって欲しかった。だから叫んだ、だから泣いた。

「そりゃあないだろう…」と、思わず心で呟いてしまった。ここまできて、これほどのことをして、なおも二人はすれ違っているのだ。

ただ、この美穂の感情の爆発は二人にとって間違いなく良好なものを築くきっかけになったと信じている。美穂の実家の二階で遺品を整理する健太と、一階であやこと会っていた美穂は、なにしろ、おなじ向きの青空を見ていたのだから。


彩乃の場合


そして映画は、彩乃が日比野に電話をかけるシーンで締めくくられる。日比野とは最近知り合ったばかりとはいえ、彩乃にとって、信頼として自分を託せる、おそらく初めての男だった。

「日比野さん、私ね…」

この先の台詞を、監督を執った瀬々敬久は描かない。AV女優であることを告白するのか。気持ちを伝えるのか。もちろんどうなるかは想像上の話である。彼女は撮影中に貧血で倒れてしまった不始末を解決できていないし、AVをめぐっての母親との確執のその後も判然としない。

しかし、「いつでも戻っておいで」という母親の書き置きを、「戻るなんてできるわけないでしょう!? そういう仕事してるんだよ、私!」と涙ながらに突っぱねた彩乃を、母親が力強く抱擁するシーンを我々はみている。この一本の電話に、彩乃は間違いなく、一歩進もうとしているのだという決意を、我々としては認めずにはいられない。彩乃の仕事が、もう戻れないものだとしても、彩乃がいつでも戻ってこれる椅子を用意しておくことが、母親の仕事なのだ。彩乃の表情に、晴れ晴れとした気持ちを見届けた我々の気持ちは、いま彼女と同様に晴れやかである。


結び -最低とは-


劇中に音楽がほとんど使用されないことで、彼女自身がその変化から目を背け続けるかのように淡々とストーリーを展開させる。それにより、登場人物の悲痛や懊悩が痛ましいくらい浮き彫りになっている。憂悶に輪郭を縁取られた3人の生活苦が、もしも現実に存在したらと考えたとき、我々の心は震える。そして、実際に現存しているであろうその苦しみは、おそらく言葉で易く結論づけられるほど生半なものではない。

最低。

淡々と点描されるように搦めとる人間模様と心象風景に、このタイトルはなにを訴えているのだろうか。

美穂や彩乃が、AV女優をやっている自分に対する後ろめたさに向けた「最低」。

節操なく他人と体を重ねた母親を、娘であるあやこが見る「最低」。

そして、AV女優という職業に、心のどこかで「最低」という色眼鏡をしつらえている我々への「最低」。

だれかや、なにかに、偏見やレッテルと呼ばれるものはどうしても存在する。その先入観で、きっと我々は大事なものを見落としているし、おそらくいくつもの幸せを見過ごしてもいるだろう。事実、美穂や彩乃の「最低」も、あやこの「最低」も、映画が終わるころにはもう「最低」ではない。簡単な未来などあり得ない現状に、家族や自分を受け入れた彼女たちは強い。

だれかを「最低」だと決めつけるとき、そこに偏見や思い込みが働くことを、なによりも「最低」なことなんだと気づかされる。

そしてきっと、人間を、私欲の対象ではなく、尊重すべき個人であることを認めるとき、我々だって、彼女たちのように強くなれると、僕は信じずにはいられないのだ。

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