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約束

そろそろ成人式の季節である。新成人が綺麗な晴れ着の写真をアップしたり、旧・新成人が過去を振り返ってみたり。きっと良い思い出として残っているのだろう。私にとっては人生でも特に不運な日だった。それでも時間が過ぎると、痛みは薄れるものだなと思っている。

ぽつり

早起きしてヘアメイクしてもらったのだが、どう見ても失敗。今より10キロ以上は痩せていたが、顔はパンパン。メイクが致命的に似合っておらず、不自然な白塗りと殴られたあとのような黄色いまぶた。それでも「直してほしい」と言い出せなかった。前撮りも同じ人に担当してもらっていたのだが、いやすぎて写真を捨てたほど。

当日は会場の入り口で当時の親友と待ち合わせ。事前に電話をかけると、彼女はちょっと渋った。彼女は福祉施設で働いていて、当日は職場の子も連れて行かなくてはならないらしい。かといって、私も特に誰も思い浮かばず。直前になってほかの子に声をかけても迷惑だろうし、私も面識のある子だったから、「一緒に行きたい」とお願いした。

渋滞で時間ギリギリ。おそらく時間には間に合ったと思う。もう思い出せない。しかし、待ち合わせ場所に彼女はいなかった。まだ携帯のない時代で、ポケットベルがあったかなーどうだったかな、という時代で、連絡をとる手段はなく、ぽつりと待った。周囲では美しく着飾った子たちが楽しそうにしている。どれだけ待っても彼女は来なかった。私が遅かったのか、それとも最初からいなかったのかは、わからない。成人式が始まって、ひとりでなかに入り、よくわからない話を聞いて外に出た。

外には仕事関係の呉服屋の知り合いがいて、泣きそうなくらいうれしかったのを覚えている。同級生は見かけなかった。

こんな思いをするために、あのキツい職場で日々働いて振袖代を貯め、何日もかけて黒い振袖を探したわけではない。当時は振袖といえば赤・ピンク・水色などの色が主流。そんななか、ひたすら時間をかけて黒い振袖を探したのだ。そのころは、こんな日が待っているなんて想像もしていない。「成人式の日は職場に挨拶に来い」といわれていたので、ぽつぽつと涙を落としながら徒歩で移動した。

変わった色の振袖だったため、道行く人がお祝いの声をかけてくれる。途中のカフェで別な親友に偶然会えて、事情を聞くと一緒に過ごしてくれた。彼女たちは夜から飲みに出るらしい。そのころ激務だったし自分から誘うタイプではない私は、そういう約束すら誰ともしていなかった。いろいろと私は要領が悪すぎる。

雪解けのように

当時は、彼女に対して腹が立っていた。あとから聞いたが、待てずに入ったような話だった。

今ならわかる。彼女も職場関係の人と行くとなると自由にはできなかっただろう。彼女も激務だったし、電話でのやり取りではうまく伝わらなかった。ほかの友達と一緒に行く選択肢も考えるべきだったろう。

ヘアメイクも最悪だったし、ひとりだったし、寂しい日だった。

寂しくて悲しくて、しばらくは誰とも「約束」しなかった。似たような思いをするのはつらいからだ。携帯が普及してからはそんな思いもなくなって、とても快適だと感じている。

長いこと、成人式の振り袖姿を見るたびに思い出して憂鬱だった。しかし、時間が過ぎれば「そんなことがあったな」程度で、もう胸は痛まない。年を取るのはあまりうれしくないが、傷が塞がるのは良いことだ。雪解けのように、じわじわと悲しみの気持ちが溶けてなくなっていった感じがする。

振袖は結婚式で何度か着た。カナダ人の友達が遊びに来たときに振袖を着せたこともある。大層喜んでいた。振袖も活躍できてうれしかったろう。ただ、次に生まれ変わってそれが日本で私が女だったとしても、絶対に振袖は買わないし成人式には行かない。

毎年、時期が来ればなんとなく思い出す。

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ren
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