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異次元のミャンマー 瞑想とケアの融合2020.1.24-28
タンリン・タバラワ・イェイクター僧院、瞑想センター
ヤンゴンから1時間。
亜熱帯のジャングルをぬけたぬかるんだ道の向こうに、アジールのような2キロ四方の「コミュニティ」があった。
人が往来し、炊き出しの調理場や精神障害者のクリニック、西欧からのヨギーの宿泊施設を過ぎ、コンクリート7階建てのセンターがあった。瞑想療法(マインドフルネス)と病院を退院した方の療養施設。喜捨とボランティアで運営。中心はお坊さん、尼さん。アメリカ人のボランティア、ポルトガル人のボランティア、台湾の学生たち。日本の介護施設で働くことが決まっているというミャンマー人の若者もいた。
入り口の看板には「お坊さん、尼さん、高齢者、病気のヨガの修行者のため」とあった。まさに貧しい高齢者、障害者のためのアジール。衝撃的体験。アジアは深い。
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ボランティアの医師が診察。患者がたくさんいた。
二階以上は30 ほどのベッドがある。
ポルトガル人のボランティアが褥瘡の処置をしていた。あまりに鮮やかに処置に「Is he nurse?」と尋ねた。「いや。ボランティアだ。でも彼が一番うまいよ」と英語で答えてくれた。日本でいうところのの療養型だ。麻痺のある患者を車椅子に座らせベッドを綺麗にしているのも西洋人のボランティアだ。今日は休日なので、タイ人の学生ボランティアが溢れるほどがんばっている。
創始者の僧サヤドー・ウ・ オタマサラ氏はヤンゴン大学出の公務員で18年前にこのセンターを作った。日本にも何年か滞在していたそうだ。
ミャンマー的な共助と瞑想の融合。クーデーター前のデーターであるがミャンマーの医療保険の国民のカバー率は1%にすぎない。その中で上座部仏教的喜捨とボランティアが共助を可能とし、日本にも、北欧にもない「社会保障」が実現している。
そこにはこうある(Thabarwaセンターのホームページより)。
・瞑想の実践だけでなく、助けが必要としている人を限りなくて助ける
・ボランティアをしたい人にその機会を限りなく与える新しい形の瞑想センター
・瞑想者だけでなく、高齢者、精神的・肉体的な病気の方、親のない子供、家のない方、ボランティアの方等、さまざまなバックグランドの方が生活している。
・宗教、人種、年齢、性別、健康状態等に関係なく滞在できる。
・外国人も死ぬまで無料で滞在できる。
・托鉢も毎日行っています。
まさに、瞑想と共助の融合であり、喜捨が功徳をつむという教えの中で、貧者が共助で療養できるアジールがそこにはあった。
みたこともない世界。しかし現実である。
国がどうなろうと続いているはずだ。
2023.3.14再記