連載「人命の特別を言わず*言う」の第15回、公開です!

※ 9月に出してもらえることを願っている『人命の特別を言わず*言う』の最後の章、第4章「高めず、認める」の第3節「人間を高めず認める」。今回は、1「還る思想」、2「かけがえのない、大したことのない私」、3「人の像は空っぽであってよい」の2。全体の目次・構成は『人命の特別を言わず*言う』『人命の特別を言わず*言う 補註』をご覧ください。

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第4章 高めず、認める

■2 かけがえのない、大したことのない私
 そのときどきに、あるいは毎日、人は文句を言ったり不満をつぶやいたりしてきた。そのなかで、1970年の前後、世界中にいっとき起こった騒動のことが、まだときどきは語られることがある。もちろんそれも、世界に長く起こってきたことがあってのことだったし、その後にも、問題も運動も引き継がれた。
 それは人間がしたことだから当然だが、基本的に、人間のための闘争であり運動だった。人間扱いされなかった人たちについて、市民権を獲得しよう、させようというのだった。言論として社会の表に現れるものは、多く、その社会において意味をもつ内容をもつものになる。その社会で実現はしていないにしても、その社会で正当とされ、使える筋の論理を使おうとする。例えば公民権運動とはそういうものだ。その正しいことがなかなか実現しないのはなぜか、それはそれで分析すべきことだが、ここでは別にしよう。実現が困難な、しかし獲得すべき守るべき人間的なものがあった。その時、市民でないとされた人たちに十分なその質がある、と主張される。実際に力量があるのは事実だった。それはほとんど人間扱いされなかった人たちが、人間扱いするようにと主張するものであり、それらはまったくもっともなものだった。
 人がなす主張・運動の「すべて」をそのなかに包接することも可能だ。しかし、そうしたものと接し重なりながら、すこし肌合いの違うもの言いがあり、言い方があった。
 私たちにも人間である資格があると言いながら、同時に資格は本当はどうでもよいと言う。十分にできると言うが、じつはできなくたってかまわないとも思っている。そんな思想、というか気持ちがあった。人間がそう偉いとは思わない。その人々の各々のあり方が、なんでもよいというように肯定されることである。標語としては「能力主義の否定」が言われた。「優生思想に反対」という看板もほぼ同義の言葉として使われた。それは、なにもなくても、まずは人=ヒトであればよい、ということになるが、それでかまわないという構えのものだった。
 すると一つに、肯定されるものと、否定されないものは、はたして同じであったのかである。ほとんど変わらないのかもしれない。しかし、立派に普通に人間である人たちという像があって、そこから始めてその集合に属する者たちを加えていく時と、それと逆に、何もないところから始めるのと、順番は異なる。例えば障害者の運動においては、「最重度」の人たちを基点・始点に置くことが言われた(★18)。実際には、実現しやすいところからしか実現はしないだろう。けれども、その姿勢があるのとないのと、同じではない。
 もう一つは、言い方のことだ。条件なしに当然に権利がある、と言うのであれば、それはそれで終わりで、なにも付け足しはいらない。しかし、現実的に効果的であるのは情動に訴えることだから、加えて言ったほうがよいということになる。そこで、一方では悲惨を言う。他方では素晴らしさを言う。多くの場合にそれは嘘ではなく、本当のことなのだから、言うべきだし、言ったほうがよい。しかしそのことを言う時に、悔しいと思うことがある。よくないことがあることは確かだが、同時に、よいこともあるし、よくもわるくもないこともある。しかし、よくないこと悲しいことだけが取りあげられたり、他方では、よいところが強調される。いずれもいくらかずつ外しているように思われ、大げさであるように思われる。さらに、周囲の人たちから悲惨や善良さを過度に強調しているといった具合に受け止められ、それがまた腹立たしいということがある。
 ここでいくらかでもまともな思想は同じになる。天賦の人権とか、道徳律が天から降っているかのようにされることが非難されることがあるが、それには明らかな利点もある。周囲がなんと思ってもまた感じても、それと別に、なされるべきことはあるし守られるべききまりはある。そのように人は振る舞うべきだということだ。しかし、それでもなにかよいことやわるいことや理由を言わなければならないと思う人たちもいつでもいるし、そのように言わざるをえない事情も常にある。しかしこの時に、よいものを前に出していくのが当然であると思われているのと、本来は、そんなふうに思ったり言ったり演じたりする必要はないと思われているのと、異なる(★19)。そんな恥ずかしいことはできないと、黙ってしまったり、はきはきと言わなくてもよいなら、そのために得られたかもしれないものを得られないといったことも時にあるものの、楽ではある。
 それは、基本的には、すこしも特殊な時代の特殊な思考ではないと私は思う。むしろ、それが普通のことであるように私には思われる。理詰めで考えていっても必然的な道行きであり、当然の帰結でもあると思う。ただ、私がいくらか知っているのは、一時期のこの国にいた人たちが言ったり行動したことだ。そこにも幾つかの事情があったと思う。
 一つに、前項に紹介した「思想」、悪人正機といった言葉が、考えはしないが育って生きていく中で聞いてはきたもの、「初期値」のようなものとしてあった。これは、たんなる「建前」のようにしか作用しないこともままあるのだが、それでもそれなりの効力があることも否定はできない。人間の多くがもっているもの(その中の少ない人たちは有しておらず、類人猿の多くはもっていたりするもの)をもつことによって自らを肯定するといったことは、すくなくとも堂々と語ってよいようなことではないという感覚はある。
 一つに、それは、人間的な仕組みのもとでもよいことがなさそうな人たちによって言われた。もちろん、できないとされていたことが実はできるといったこともたくさんある。また、できないことがありつつできることもたくさんあることは、人間の一般的な存在のあり方ではある。けれども、そのときどきの社会においてより必要とされること、例えば知力を要することと限定するなら、それはできないという人たちがいる。そんな具合に人に思われ、自分でもそれを否定せず、しかし、だからといってこの世にいて暮らしているのは悪いことではないだろうと思って、そのことを言った人たちがいた。その人たちは、その仕組みのもとでは悪の側にいさせられるということであれば、「悪人」といってよいのかもしれないと自らのことを思った。そしてたいへん数少ない人しか知らないことだが、そしてそのことをそう大きく見る必要はないと私は思うが、二つの契機が合わさることがあった。1960年代に脳性まひの人たちが、カトリックの修道院にいたこともあり、2代続きの社会運動家だった、生臭坊主の類といってよい人とともに茨城県の寺に籠もって暮らしたことがあった(★20)。ここで「正しい」親鸞の教義が教えられたかまた伝わったかどうかは怪しい。だがそれはそれほど大切なことではないと思う。
 そして、もう一つ、科学・学問への否定的批判的な姿勢の現われがこれに連動した。もちろんそこには公害の大規模な顕在化があった。医療・教育・福祉とされるものによる加害が告発された。科学の名のもとでの侵害への反省があった。そちらの加害の側にいるという自覚をもつ人たちが自らを批判し否定した。それはたしかに自虐的な行ないであって、そのことが揶揄されもした。仕事はやめないが否定的であるというその動きは、内部での分裂を生じさせたり、迷走したりして、ことの本性上、だんだん弱まっていくような動きでもあった。かっこうのよいものではなかった。しかし、私はそれをただ嘲笑すればよいものであるとは思えず、全部を捨ててしまえばよいと思わなかったから、『造反有理』(立岩[2013])等で、幾度かそうした動きについて記してもきた(★21)。
 それも世界中に起こったことであり、起こるべきことだった。そして自然環境問題については、おおむね、より穏当な共存、持続、制御の方向に行き、他方では、過激な環境原理主義の方に行く者たちもいた。その双方がまたいっしょになってやっているのが昨今の動向であり、本書で見てきた主張もその一部に位置づくものと捉えることもできる。
 その主張や運動や政策の大部分を否定する必要はなく、むしろ積極的に支持するべきことに異論はない。ただ、ときに間違ったことが言われる。だから本書も書いている。
 しかしその相手側は雄弁である。ながながと話を続け、繰り返す。その一部をとりあげて、部分的に検討し、批判したり言い直したりする論文がいくらも生産されていく。それに対して、こちらは、社会の具体的なできごとや仕組みについてはいろいろと文句を言い行動すべきことはあるのだが、基本的なことは、「反対!」とか「粉砕!」とか言ってしまった後、ほぼ何も言うことがない。象徴的とされる人物の書いたものであっても、あるいはそうした人たちのものはなおさら、そうしたものだ。田中美津に『かけがえのない、大したことのない私』(田中[2005])という題の本があるのだが、そんな感じだ。そしてその頃いくらか読まれたものを読んでわかることだが、その肌合いは、学術書の類と比べればもちろんだが、同時期のまたその前後の社会運動の本とも大きく違う。そこには何も難しいことは書かれていない。ただ、ときどき飛躍があったり断定があったり、矛盾しているように思われることが書かれているから、ひどく難しいとも言える(★22)。
 私自身は、そうした流れのわきにいて、それでも理屈を言う必要もあろうと思ったから、理屈を言う側にいてきたつもりだ。するとそれは、弁を弄することを正しくも大切なこととは思っていない味方の側にはあまり受けず、読んでもらえない。損な役回りだとは思っているのだが、いったんは言葉にすることに一定の意義もあると考えるから、仕方がないと思っている。そこには、うまく言葉にできるか自信のない部分は今でもあるのだが、支持されてよいものがあった。
 さきに、「間違ったことが言われる」、と書いた。悲惨を言い、調和を言う、それを言うのは間違っていないのだが、言い方が間違っていると思う。もちろん悲惨はあったし今もあるから、それを批判し糾弾し、よくしたらよいし、すでによいものはそのままにしたらよい。しかし、品性に欠けるとされる食物(肉)を食べ続ける人々を困った人たちだとしながら、実際には悲惨でないことや人も、悲惨なことや人にしてしまう。それは間違っているということだ(★23)。

■註                               ★18 『介助の仕事』では以下。「僕はまず日本の障害者運動っていうのが、一番重い人から、最重度の人を出発点にするんだっていってこれまでやってきたことっていうのは極めて重要なというか、偉大な立ち位置だったと思いますし、素晴らしいことだと思います。」(立岩[2021:178])
★19 『介助の仕事』(立岩[2021])では以下。「これは第6章で、うまく関係を作れることが介助者を得られる条件になるのはおかしいと述べたこと(141頁)と関係しています。美しい話がこってりあったほうが説得力があるということはたしかにあるでしょうが、「話を盛ってるな」と思われて、かえって引かれてしまうこともあります。人間や人間関係の具体的なところとは別に、天から降ってきたものであるかのように道徳や倫理を語ることにも道理があるということです。」(立岩[2021:205])
★20 その大仏空(おさらぎ・あきら)という人と茨城県にあった(今もある)その人の寺に住み、大空の話を聞いた人たちがやがて山を降りて「青い芝の会」の活動を新しくしていく。その経緯と、そして書かれたものと、真宗の教えとの関わりと差異が、頼尊恒信の『真宗学と障害学』に書かれている(頼尊[2015:103ff.])。
 動物倫理についての本で親鸞・悪人正機説にふれられているものとして見つけたのは『ベジタリアン哲学者の動物倫理入門』(浅野幸治[2021])で。
 「とにかく、殺生をする悪人は往生する、というのです。ということは、殺生をしてもかまわないということになりそうです。はたして、悪人正機説は、殺生を許可するのでしようか。悪人正機説の意義は、その社会的文脈の中で理解する必要があります。「下類」という言葉に注意してください。親鸞の当時、猟師は不殺生戒を犯して生き物を屠るということで差別されがちでした。悪人正機説は、そういう人に救いの手を差しのべるものと一般に解釈されます。ですから、反差別という点に、悪人正機説の大きな意義があるのです。
 これは、動物権利論の観点から、どう評価できるでしょうか。動物権利論によれば、人間の生命権と他の動物の生命権が両立しない場合、人間の生命権を優先することが容認されます。少し考えてみましよう。土地は有限です。土地は良い土地から占有されていさます。ということば、人口が十分に多い場合、一部の人は土地からあぶれます。良い土地から排除きれるわけです。例えば、極寒の地です。そういう所では、植物が十分に育ちません。ですから、必要な栄養源として動物に頼らぎるをえないでしよう。日本でも同様です、山間部に僅かな農地しかもっていなければ、そこで生産される米や野菜だけでは生きていくことができません。そういう場合、動物を殺して食料を補わざるをえないと思われます。ですから、農耕によって生計を立てることができない人が動物を殺して食べることを、権利論は許容します。
 このように考えられるので、動物権利論から見て、殺生が必ずしも往生の妨げにならないという親鸞の教えは適切なものと評価できます。では、殺生が往生の妨げにならないからといってドンドン殺生してよいということになるでしょうか。なりません。そういう勘違いを「本願ぼこり」と呼びます。」(浅野[2021:171-172])
★21 『造反有理』序の冒頭より。
 「本書で見ていくのは精神医療を巡ってかつてあって不毛のまま終息したとされる争いである。造反者が現われ、消耗な対立があった、学問的にも空白の時期だったと言われる。そしてその造反(派)は消滅してしまったとされる。世界的にもそんなことが言われることがあるが、日本ではまた別の要因も加わってそう言われる。それは違うと私は考える。造反は有理であったことを述べる。それは「精神」のことについて書くべき一番目にも二番目にも大切なことではないだろう。だが一定の意味があると思う。」(立岩[2013:9])
★22 フェミニズムのその時の問題は、一つに、殺生の問題としてあった。それは、産む/産まないは女の権利であるとは言った。しかし、そうほめられたことでもないとも思っていた。はっきりと主張した。だが同時に、割り切れているものではなかった。
 田中美津、さらに遡ると、森崎和江といった人たちがいる。田中は日本での「ウーマン・リブ」の始まりに関わった。(「リブ新宿センター」について『私的所有論』第9章註9、[1997→2013:715-716]。)その人は『いのちの女たちへ――とり乱しウーマン・リブ論』で、「肯定でも否定でもなく冷厳な事実として言うのだが、人間とは、他人の痛みなら三年でもガマンできる・・・・・・・・・・・・・生きものなのだ。」(田中[1972→2004:166-168])とも言う。森崎には『非所有の所有』(森崎[1963])という著書がある。私の最初の本の題を考えていた時に想起したのは、この本と、『存在と所有』(Marcel[1935=1976])だった。
 『生命学に何ができるか』(森岡正博[2001])がこの人(たち)、この時期(以来)の思想から受け取れるものを示している。ただそこから『無痛文明論』(森岡[2003])に行かねばならなかったかというと、私はそうは思わない。拙著では『良い死』(立岩[2008b])第3章「犠牲と不足について」がこのことに関連している。「女の解放とは殉死を良しとする心の構造からの解放だ」(田中[1972→2004:351])。
★23 『不如意の身体』の第5章「三つについて・ほんの幾つか」より。
 「一つ、表に出すことになる時に、その仕方を吟味することができる。かつて『良い死』でとりあげたのは、ユージン・スミスが撮った、胎児性水俣病の子とその子を抱く母の写真の使用を巡ってあったできごとだった(立岩[2008:227-230])。他にも、先天性四肢障害児の写真のことが議論されたことがあった。例えば、原発を許すのであれば、こんな不幸なことが起こるかもしれないことが示されるというのだが、それは指が一本少ないとかそういったことだ。それはこんなに不幸なことで、ゆえに、直視し、語り合い、慰めたりするようなことであるのかである。」(立岩[2008:132]→立岩[2022]
 ユージン・スミスの写真に関わる註は『良い死』第2章「自然な死、の代わりの自然の受領としての生」の以下に引用する部分の末尾に付した註25。例えば水俣病に関わる(ジョニー・デップが出たほうのではなく)土本典昭の映画のことを想起している。
 「その人たちは、人が生きることができないことがあったり苦痛のもとに置かれていることを指弾してきた。その状態がよいと思ったのではまったくない。行動は悲惨から始まった。だが、その後起こったこと、起こらざるをえなかったことは、その人たちと暮らしていったりすることだった。暮らしはしないとしても、支援やらなにやらの関係で、その人に面することになった。その人が亡くなっていく過程につきあったり、あるいは生きていく過程につきあってきた。すると、いくらかは異なってもくる。その人たちを苦しめたことについて、その人たちの暮らしを困難にしたことについて、そのことを責めてはいると同時に、その人を肯定はしている。その批判・指弾は、その人が生きることを否定しない。すると、その悲惨をそのままに使うのは間違っていると思うことになる。」(立岩[2008:176-177]→立岩[2022])

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