
vol.1大同部落の観光案内板 (台湾各地の記念碑や観光案内を翻訳してみる。)
台湾では幹線道路や地域の道路の他に、細い道路網も良く発達している。人が定住する村落はどんな山奥でも離島でもだいたい自動車かスクーターで簡単に行くことができる。生活道路としてのインフラが整備されている。しかし、花蓮市秀林鄉の大同部落と大禮部落はそうはいかない。標高約740m地点までは自分で歩いて登るしか集落に行く方法は無い。麓の駐車場が海抜100mぐらいなので高低差600m以上を自分の足で登ることになる。大同部落にはそこからまた6.2km、麓からだと全行程9.2kmを歩いて行くことになる。2023年1月22-24日に行ってきた。その大同部落に一枚の観光案内板があった。翻訳してみる。

砂卡礑 與 赫赫斯
Shakadang and Xoxos
ここは大同部落。海抜約1120m、太魯閣族の人は砂卡礑(サカタン)と呼ぶ。砂卡礑とは「臼歯」という意味だ。伝承によると(この地に移り住むようになった)初期に部族の人が開墾しているときに臼歯を掘りだした。よって、ここを「砂卡礑」と命名した。砂卡礑部落の下方を流れる渓流が砂卡礑渓で、木材の伐採(搬出)を容易にするため砂卡礑林道を建設した。林道は全長10.6kmで北は清水山登山口まで深く入り、南は大禮部落で行き止まりとなる。
日治時代に(大同には)「教育所」と「砂卡礑駐在所」が設置され、大禮部落には「哈魯閣台駐在所」が設置されていた。大同部落と大禮部落は日治時代および民國69年(1980年)の2度、山を降りる集団移住が行われた。太魯閣口付近の民樂區の人々は二回目の集団で住み着いた人たちだ。ただし、生活基盤が山の上の耕地にあるため、人々は山上の耕作地を維持し続けた。
大同は清水山に登るとき必ず通る場所で、ここから先は道が細く険しくなり登山道に属する。都会の喧騒から離れ、美しい山林の景色に包まれ、動物たちの鳴き声が絶えない。そして素朴で温かい人達がいる。大同、大禮は訪れるに値するところだ。
(翻訳終わり)
台湾人だけでなく欧米人も好んでこの地を訪れるようだ。実際、私が滞在していた時にもフランス人が台湾人に案内されて登ってきていた。行くことの困難さもこの地の独特の人気につながっているように思う。






