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vol.14 ということは生き残った!? (台湾各地の記念碑や観光案内板を翻訳してみる)

(翻訳)
統計によると、日本には147の震洋隊があって、台湾では基隆、淡水、澎湖、左営、屏東に駐留していた。 震洋隊が使用した特攻高速艇は「自殺ボート」と呼ばれた。第二次世界大戦末期、日本は本土作戦を強化するため連合軍の水上特攻兵器に対処する攻撃戦術に切り替えた。 これらの高速艇、兵士、施設は通常、人工の塹壕に隠され、敵船を発見した場合にのみ攻撃した。
第二次大戦末期、1944年(昭和19年)日本軍は八罩と将軍澳の2つの島の村民を動員して塹壕を掘らせた。しかし、ほぼ1年かけて完成間際になったころ無条件降伏した。 震洋艇は日本軍によって海中に投入され焼かれた。戦後は他の物も廃棄された。いくつかの塹壕は崩壊し僅かに凹みが残っているだけだ。
(翻訳終わり)

未確認の希望

えっ、という事は、あの写真 vol.11 の人達は死なずに済んだのだろうか!?

そうであって欲しい。


この海を渡って帰国出来ていたのであろうか


望安鄉の震洋隊シリーズはこれでお終い。

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